【大河ドラマ】権謀術策渦巻く平安朝時代にあってソウルメイトとして生きた「まひろ・道長」の世界を描く『光る君へ』

 

紫式部を演じる吉高由里子さん

 

■今年は「光る君へ」を見る

 

今年のNHK大河ドラマ『光る君へ』は初回から見逃した。そうなるとあとから熱心に見てもなかなか筋が読めない。これはまずい、と思った。

どうやら2月12日に「まだ間に合う『光る君へ』」を見ることでキャッチアップするつもりだが、会見でもなんでも最初にその場にいることが重要であることを知っていながら雑用にかまけて見逃した自分が悪い。

昨年の大河ドラマ『どうする家康』は1年を通じてずっと見逃した。見逃したと言うよりも見過ごした。要は最初の何回か見て面白くないと思った。見続ける気がしなかった。

今年はまだ間に合うようなら見てみたい。紫式部や藤原道長などは名前は知っているが、彼らの生きた時代はよく分からない。それをNHKが一般人にも分かりやすく見せてくれるのだから有り難い。

 

2人が出会う場

 

■文才に秀でた「まひろ」

 

筋を追うためには登場人物の相関図を押さえなければならない。主人公は10世紀後半、京で生まれた1人の女の子で「まひろ」と名付けられた。のちの紫式部(970?~1014?)である。以下はほぼNHKの解説に沿った内容である。

父・藤原為時は漢学や和歌に秀でた文人の家系だが、下級貴族である一家の暮らしぶりは豊かではなかった。まひろの文学の素養は幼い頃から際立ったものがあり、弟の講義を横で聞くだけで、漢学も和歌も覚えてしまうほどだった。学問はまひろにとって、心の中の豊かな世界観の礎となる。

少女のまひろが出会った運命の人こそがのちに最高権力者となる藤原道長である。まひろと道長はお互いに惹かれていく。しかし両家の家格の違いと、まひろの母の死にまつわる秘密が、2人の関係に影を落とす。

 

柄本佑(えもと・たすく)さんが演じる藤原道長

 

■道長の支援もあって『源氏物語』はベストセラーに

 

まひろは父ほども年の離れた藤原宣孝と結婚し、娘を授かったものの、わずか1年で夫は急逝。まひろはシングルマザーになった。

一方、道長は天皇に娘を入内させ、いずれは天皇の祖父=外戚となることを目論み、徐々に最高権力者の座を射止めていく。

道長の強い薦めもあって1人娘の養育のために宮中に上がることを決意し、まひろが書き薦める「源氏物語」は道長のバックアップもあって、大ベストセラーとなっていく。

作者の大石静氏は「作者のことば」で、「紫式部と藤原道長はツインソウルで、宿命のふたり。希代の政治家・道長の唯一の弱点は、まひろでした。彼女のこととなると、思わず軸がぶれてしまう生身の道長」と述べている。

 

藤原道長(読売新聞2021年7月13日)

 

■「この世をば」は我が世の春を謳歌した歌だった?

 

この世をば 我が世とぞ思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば

藤原道長(966~1028)が詠んだ最も有名な歌がこれである。「この世で自分の思うようにならないものはない。満月に欠けるもののないように、すべてが満足にそろっている」

道長は、3人の娘を次々に天皇や皇太子の妃とし、得意満面に詠んだ歌というのがこれまでの解釈だったとされている。

ところが最近はこの解釈に異論を唱える向きも出ているらしい。読売新聞調査研究本部の丸山淳一氏が書いた記事「この世をば...藤原道長の『望月の歌』新解釈から見える政権の試練とは」によると、京都先端科学大学教授の山本淳子氏が「望月の歌」の新解釈を発表している。

詳しくは山本氏の新解釈を読んでもらいたいが、道長は得意満面に我が世の春を謳歌するような状況にはなかったということを山本氏は新解釈の中で指摘しているようだ。

道長は現存する世界最古の直筆日記とされる『御堂関白記』を残しているが、そこにこの歌に関する記述はない。藤原実資(957~1046)の日記『小右記』の寛仁2年(1018年)10月16日の条に書き留められている。

いずれにしても歌もどう読めばいいのか、読み方によっては間違った意味にも思われることもあるという。歌がコミュニケーションツールだった時代だけに深読みする必要もありそうである。

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