老人大国
自分もその”老人”の仲間入りをしつつあるはずだが、なかなかそれは認めたくないらしい。つい、老人から目を背けたりするのは現実逃避も甚だしい。何ごとも、事実からスタートしなければならない。いくら自分では”老い”を認めたくなくても、厳然とした事実は受け入れるべきだろう。
都会でこうだから、田舎にいけば、もう”老人”だらけではないか。そう言えば、郷里の田舎でも、子供が外で遊んでいる姿を見る機会が極端に減った。子供など、どこにも居ないのではないかと思ってしまうほどだからだ。どこに居るのか。そもそも居ないのではないか。
私の所属する村落共同体の最小単位である「部落」(100軒ほどか)にはかつて同級生が何と23人もいた。この23人が学校から戻ってくると、外で一斉に遊ぶのである。どこを見ても、こどもが溢れている光景が広がっていた。教室でもそうだった。あれは何だったのか。
中国は13億人が住んでいるという。1人子政策にして、そうである。実態はもっといるのではないか、というのが衆目の見るところである。それだけの胃袋を満たすというのは大変なことだろう。
中国国家統計局が1月25日発表したところによると、2005年の同国の国内総生産(GDP)の前年度伸び率は物価変動の影響を除いた実質ベースで9.9%だった。GDPの規模ではフランスを抜いて米国、日本、ドイツ、英国に次いで5番目になった。
人口が多いということは大変なことである。大変な力である。それだけで存在感が高まる。戦後の日本社会は人口増加→成長を前提に成り立ってきた。それが反対のサイクルに入ったのだ。考えてみると、これは大変なことである。考えなくても、想像力を少し働かせば、分かることだ。いやはや、大変な時代になりました。