紀伊国屋書店@新宿

花金の街はそれだけで活気づく。とにかく、明日は仕事が休みということだけで、サラリーマンは解放感に浸れるからだ。風は冷たい。ノルマの運動を終え、歌舞伎町を抜け、久しぶりに紀伊国屋書店に向かった。通りすがりに見る人の顔は誰しもどことなく浮き浮きしているように見えた。

 1960年代末から70年代初めにかけてこの街で学生時代を送った人間にとって紀伊国屋書店は文化の原点みたいなものだ。この店の前で人と待ち合わせ、出撃していった。行くべきあてがないときは、店内に入って、ひたすら本と本の間をさまよったものだ。

 書店との縁は切れていないが、それでもぶらぶらする回数はかなり減った。行く店も大体決まっている。最近お気に入りの本屋は銀座・ブックファースト、日本橋・丸善、新宿・ブックファースト、それに地元書店や古本のブックオフぐらいだ。

 紀伊国屋書店をぶらつきながら、他の店では味わえない心地良さを覚えた。なぜだろう。青春時代の一時期をここで過ごしたこともさることながら、気に行ったのは店の雰囲気かもしれない。紀伊国屋(新宿本店)は最近の大型店に比べると、内がごちゃごちゃして、すっきりしていない。

 銀座と新宿のブックファーストのほうが店が大きくて、じっくり本を選ぶのには適している。しかし、逆にあまりに機能的すぎて、整理されすぎて、本との距離を今一遠く感じるのだ。既にテーマが決まっていて、その関連書を探す場合はふさわしい。集中して勉強しようとする場合、図書館が最適なのと同じだ。ただ図書館では新らしいアイデアは期待できない。

 自分のテーマを抱えていて、その問題の解決を常に意識しながら、解決のヒントを本そのものや本屋という場の空気の中で探る。あまりに整然と無機質な空間、場からはヒントが現われないような気がしてならない。ただ、これは個人差があるかもしれない。

 最近の本屋は単に本を売る場所を提供しているだけではない。講演会や展示会を主催し、多方面の情報を発信している。店そのものが文化・情報発信基地とも呼べるものだ。そうした現場にゆったりと身を置きながら、自分の抱えるテーマを考えてみる。そういうときに、意外な着想・発想・連想が生まれてくるような気がする。

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