【試写会】「断らない救命外来(ER)」を掲げる「エキサイカイ病院」を舞台に気力と体力を消耗する過酷な職場を誇張も脚色もなく撮し出すドキュメンタリー『その鼓動に耳をあてよ』

「その鼓動に耳をあてよ」パンフレット

 

テーマ:東海テレビドキュメンタリー劇場第15弾『その鼓動に耳をあてよ』
監督:足立拓朗(あだち・たくろう)
プロデューサー:阿武野勝彦(あぶの・かつひこ)、土方宏史(ひじかた・こうじ)
製作・配給:東海テレビ放送
2023年12月22日@日本記者クラブ
2024年1月27日よりポレポレ東中野(東京)、2月3日より第七芸術劇場(大阪)ほか全国順次公開

 

■断らないER

 

東海テレビドキュメンタリー劇場の第15弾『その鼓動に耳をあてよ』を見た。新型コロナウイルス騒動が終わってからの今も病院の中は外部とはほとんど隔離された状態で、中をうかがうことはできない。

今はそんな状態だが、もっともっと過酷だった2021年6月当時からこの取材は始まっている。信じられないが、取材を受けた病院があったのだ。

その病院は名古屋掖済会(えきさいかい)病院。1948年11月、名古屋市中川区に開院。名古屋港から3kmに位置し、開院当初から洋上救急をはじめ救急医療に注力してきた。内科と外科のみで病床数は30床だった。

1961年に救急センターを付設した本館が完成。高度経済成長期に入り急増した交通事故や工場での作業事故による救急患者に対応するため、東海地方で初めてのER(Emergency Room=救命救急センター、救急外来)を開設。

現在の診療科は36科、病床数602床を有し、救急車の受け入れ台数は年間1万台と、愛知県随一の規模となった。救急医15人、看護師・救命士30人が在籍するERは「断らない救急」を掲げ、24時間365日、風邪などの軽症患者から心肺停止の重症患者まで、すべての初期診療を行っている。

 

■診るのは”社会的な問題”も

 

とにかく静かに始まる。「これは現場の空気そのものだ。ここには派手な誇張もなく、脚色もない。医療現場の悲哀と情熱を浮き彫りにした「命の砦」の記録です」(夏川草介=医師・作家)。

「鼓動を聴き取る静寂をつくるために、ナレーションもない。はだかの紆余曲折、はだかのドキュメンタリー」(重松清=作家)である。

実にさまざまな患者が運び込まれてくる。耳の中に虫がいると泣き叫ぶ子どもや脚に釘が刺さった大工職人、自死を図った人・・・。身寄りのないお年寄りから生活困窮者まで誰でも受け入れる。

コロナウイルスのパンデミックで、救急車は連日過去最多を更新し、他の病院に断られた救急車が押し寄せ、みるみる患者のベッドが埋まっていく。

「何でも診るの”何でも”には社会的な問題までもが含まれる。”何でも”が年齢と病気の”何でも”診ると思った」と医師は言う。「救命救急センターを通して、コロナ禍を含む近年の社会の縮図を見ることのできる、心に残る作品です」(井上咲楽=タレント)とも。

 

■なかなか救えない重傷患者

 

初代院長が「患者が救急だと思えば救急だ」と言う言葉を残している。「断らない救急」という病院のモットーとして受け継がれ、1300人の職員によって支えられている。

「規模としては「大企業」並みだが、院内はとてもフランクで、あたたかい雰囲気がある」(ディレクターズ・ノート=足立拓朗氏)

「救急病棟24時」や「コード・ブルー・ドクターヘリ緊急救急」を見て育った足立氏にとって、「ERといえば、”瀕死の重傷患者をあっという間に治す”というイメージをもっていた」。

しかし、足立氏は「ERの現場に入ってすぐ、強烈な違和感を覚えた。泥酔患者、未払い、頻回受診・・・。一方でオーバドーズ、DV、虐待といった社会的背景を抱える患者が多いと思えば、鼻にドングリを詰まらせた可愛い男の子も来た」と言う。

「ドラマのような派手なシーンはほぼなく、重症患者はなかなか救えない。医療の知識がなく殺伐としたフロアに立つ取材スタッフはどうしたらいいのか・・・」

 

■救急科は病院の花形だが、内実は過酷な職場

 

「救命救急センターは病院の中では花形だ。しかし、その内実は体力と気力を消耗する過酷な職場である。1人1人の高い志なくしてセンターは1日ももたない」(プロダクション・ノート=阿武野勝彦氏)

医師たちは、ERの仕事を”究極の社会奉仕”と捉え、日々全力を尽くしている。一方で、外科や内科のように大学病院に支えられた医局制度がない救急科を志望する医師は少ないのが現実である。

「それを支えているのは、センターのスタッフだけではない。名古屋掖済会1300人の職員あってこそである。私は、病院の今の姿を世に問うてほしいとコロナの過酷な中で裸になってくれた掖済会病院の1人1人を頼もしいと思った。だから病院職員全員をエンドロールに刻ませてもらうことにした」(同上)

「私も青年時代に夢見ていたような人生行路とは全く違ったが、たくさんの人に支えられて生き永らえてきた。制作者として節目の年に、本作を生み出すことができた幸せを、いま噛みしめている」(同上)

 

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