2014年10月 のアーカイブ

「オランダ農業経営から日本を考える」

カテゴリー: 講演会/シンポ/セミナー/勉強会, 農業/農地/農政

2014/10/31  21:06


「国際市場への進出がオランド農業を成長させた」と語るラボバンクのベリー・マーティン氏

国際市場への進出がオランド農業を成長させたと語るラボバンクのベリー・マーティン氏

 

産官学連携の重要性を指摘するグリーンポート・ホラント会長のルーク・ヘルマンス氏

産官学連携の重要性を指摘するグリーンポート・ホラント会長のルーク・ヘルマンス氏

 

オリックス-蘭ラボバンク戦略提携記念シンポジウム「オランダの農業経営から日本を考える」-農業立国に向けた論点(主催・日経ビジネス企画編集センター)がラフォーレミュージアム六本木で10月31日(金)開催された。

田舎のたたみ方を研究している者としては、日本農業の現状が気になって仕方がない。対談に出席したNPO法人日本プロ農業総合支援機構の高木勇樹理事長からは「戦後農政が『土地持ち非農家』などといういびつな存在を生み出した」と嘲笑されたが、戦後農政の主要な担い手だった元農水次官に言ってもらいたくはない。

1970年当時の農業生産額はオランダも日本もほとんどゼロに近い水準で、差がなかった。しかし、その頃から米国が輸出振興に乗り出し、欧州は輸出振興と生産調整策に切り替えた。日本は生産調整一本槍の政策をとった。

オランダと日本を比較すれば、オランダは1971年辺りから徐々に世界市場の開発に成功し、2001年以降は急増。2011年の農産物輸出額は893億ドルと米国に次ぐ世界第2位に膨れ上がった。グローバリズムの進展と世界の食料需要急増の波に乗った。これに比べ、日本は33億ドルとオランダの3.7%。何でこんな差がついたのか。

1カ月ぶりの自宅

カテゴリー: 東京日誌Ⅱ

2014/10/26  22:56


まずは赤飯

まずは赤飯

 

消化の良いミートソースも

消化の良いミートソース

 

里芋の煮物と牛肉の冷シャブ+オニオンスライスも

里芋の煮物と牛肉の冷シャブ+オニオンスライスも

 

我が家に戻ってきた。赤飯が待っていた。光が丘リヴィンは米ウォルマートに乗っ取られ、中国産ばかり。かつての日本産志向はすっかり影を薄めた。店内は客でごった返しているが、価格優先の客ばかり。品質低下も甚だしい。来年にはイオンに改称するダイエーはもっとひどい。

赤飯には「ささげ」を使うのが普通だが、リヴィンでは「国産は置いていません」。ちょうど、丹波の姉が新米と黒豆に加えて、自分の畑で収穫した小豆を送って来てくれた。ささげより大粒だが、こちらのほうは純国産。しかも、生産者が身内だ。

主食はミートソース。退院に当たって、病院で栄養指導を2度にわたって受けた。消化の良いものをゆっくりとよく噛んで食べるよう繰り返し指導された。パスタ類は消化が良いという。里芋も同じだ。もちろん、アルコールは遠慮した。

注意事項はあるものの、特に食べる物に制限が付かないのは嬉しい。自宅に帰ってきた喜びに包まれながら昼食をいただいた。

さらば7東709号室

カテゴリー: 体調/体力/運動/病気, 入院日誌

  10:09


34日間過ごしたベット周り

34日間過ごしたベット周り

 

昼間はいつもこの風景を眺めていた

昼間はいつもこの風景を眺めていた

 

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最後の朝食はトースト(自分で焼く)と目玉焼きだった

 

病棟での最後の儀式はリストバンの切断

病棟での最後の儀式はリストバンの切断

 

潰瘍性大腸炎で9月23日に入院。25日に大腸全摘手術を受け、術後1週間辺りで腸詰まりトラブルに見舞われながら何とかその後の経過は順調で、10月26日(日)午前、退院にこぎ着けた。

入院期間は34日間。入院計画では4週間の予定だったが、腸トラブルがあって最終的に5週間になった。長かった。術後6日目から食事を再開したものの、12日目に、食べ物が腸で詰まって嘔吐。医師の指示で、食止めになった。つまり絶食。これが5日間続いた。

術後17日目に食止めが解除されたが、トラブル前に5分粥まで行っていた食事はまた重湯からスタート。3分粥→5分粥→全粥と進み、退院時には米飯小(常食)に戻った。ただ、私の場合は、最後まで、IBD食(炎症性腸疾患)だった。

34日間お世話になったベットともお別れ。病院でのすべての医療行為を終え、看護師さんからリストバンドを外してもらった。入院患者は入院と同時に、本人確認用のリストバンドを手首にはめられる。誤認や誤薬、輸血の間違い防止などのために、常にリストバンドのチェックと氏名の応答を求められる。バンドを切断されて初めて病院から解放される。

日曜日の病院は平日より静かだったが、退院する患者がいる一方で、それらしき荷物を手に入院してくる患者の姿もチラホラ。入院中は病院の敷地内から外に出ることは許されなかったが、この日はようやく晴れて自由の身になった。3男の運転する車で自宅に向かった。

30分足らずで自宅に着いた。隔離された病院と娑婆とは近かった。入院しているときは、絶望的な距離を感じていたが、退院してみると、すぐ近くだった。しかし、「退院」の見通しがつくまでは、何とも測りがたいほどの距離があった。娑婆に戻れたことを喜びたい。