2010年6月 のアーカイブ

サムライジャパン、PK戦に散る

カテゴリー: 東京日誌Ⅱ

2010/06/30  01:43


  サッカー・ワールドカップ南アフリカ大会決勝トーナメント1回戦で日本はパラグアイとのPK戦で敗れ、ベスト8進出はならなかった。前半・後半戦90分を戦い、さらに延長戦の30分も互角の死闘を演じたものの、最後のPK戦では勝利の女神がパラグアイに傾いた。

 日本のサッカー史上でも決勝T進出は国外では初めて。こういう試合は見ておかなければならない。そんなに熱心なサッカーファンではないけれど、今後長く語られるであろう試合は自分の目に刻み込んでおく必要がある。それにしてもPK戦は残酷なものだ。

 南米はサッカーが盛んで、南ア大会の決勝にはパラグアイのほか、ウルグアイ、ブラジル、アルゼンチン、チリの5カ国が進出。チリはブラジルに敗れたものの、4チームが8強入り。パラグアイは大国ブラジルやアルゼンチンの影に隠れて、目立たないが、なかなかのチームである。

 このパラグアイに12年前の1998年8月に行った。とにかく遠い。ロサンゼルスまで12時間、そこからブラジル・サンパウロまでまた12時間。そこでまた乗り換えて首都アスンシオンまで2時間。丸々1日かかってたどり着いた。

 国際協力機構(JICA)が同国に援助した職業訓練センター(CEV)開校20周年を機会に、国民の視点でプロジェクトを評価する調査団に参加した。2週間滞在したが、首都と言っても、日本ののどかな地方都市の趣だった。

 サッカーが盛んなことは知られており、至るところでボールを蹴っている少年たちの姿を見た。しかし、そんなに整備されたグランドがあるようにも思えなかったし、貧しそうだった。これといった産業もない。あるのは農業と観光資源のイグアスの滝ぐらいだ。この滝もブラジル、アルゼンチンとの3カ国国境にまたがっており、通常の観光客はブラジル側に入国して見物する仕組みだ。

 明るい材料としてはこの農業で、移住日系人が栽培を手掛けた大豆。同国の土壌にぴったり合って、生産性が飛躍的に高まった。有力な輸出資源として当時期待され、今では日本も輸入。われわれの口にも入っているはずだ。サッカーを見ながら、久しぶりにパラグアイのことを思い出していた。思い出は多いほうがよいようだ。歳をとってからは思い出を食べて生きるのだから。

進化するスイカ

カテゴリー: 東京日誌Ⅱ

2010/06/28  23:27


 

梅雨に入って青い空が消えたが、その代わりにやってきたのがうだるような湿気。とにかく朝から湿度が高く、体を結構痛めつけてくれる。体力の消耗が激しいのだ。梅雨が明けるのをひたすら待つしかない。

 まだ6月というのにいただいたのが夏の王者・スイカ。真っ赤な果肉を見ただけで涼しくなってくる。丸ごと、スパッと切ってかぶりつく。これはたまりません。

 そこで気がついた。とにかく果肉がほとんど外側のまでぎっしり詰まっており、外皮と果肉の間にある果皮が極めて薄いのだ。小玉スイカの果皮が薄いのは知っていたが、今回いただいたのは小玉ではなく、中玉。それなのに果皮が薄い。

 可食部分が多いのは嬉しいが、なぜこんなに果皮が薄いのか。何か高度な技術が働いた結果なのか。最近は丸いだけではなく、四角や三角のスイカも出現していると聞く。スイカも不断に進化を続けているのだろう。

 どうも、ビジネスは常識を打ち破るところから始まっているのかもしれない。焼きこげの付いた黄土色が常識だったタイ焼きの世界に、常識を打ち破る白いタイ焼きが登場したのもそれだ。黄色いスイカが現れたときもびっくりした。非常識を常識に転化するところにビジネスの商機ありだ。

あじさい祭り@としまえん

カテゴリー: 東京日誌Ⅱ

2010/06/26  23:56


 

 わが家でもようやくアジサイが咲き始めたが、残念ながら1品種だけ。それはそれでいいのだが、つい欲が出て、いろんな品種を見たくなるものである。人間の欲望は限りがない。困ったものだ。

 散歩がてらにぶらっと出掛けたのが西武グループの経営する水と緑の遊園地「としまえん」(東京都練馬区向山)。8年前から行われているあじさい祭りには一度行ったことがあるが、今晩のぞいたのは今年が初めての「あじさいナイト」(17-20時)。

 あじさい園のエリア内の丘に、ライトアップされたアジサイがところ狭しと咲き誇っていた。山あじさいとツルアジサイは終わり、今はガクアジサイと西洋あじさいが咲いている。加茂川菖蒲園(静岡県掛川市)で生まれたオリジナルあじさいが特別展示されていた。

「働かされる子どもたち」

カテゴリー: 講演会/シンポ/セミナー/勉強会

2010/06/25  18:03


 日本唯一のフォトジャーナリズム月刊誌『DAYS JAPAN』の「命の写真展」が東京都健康プラザ・ハイジア1階アートウォール(新宿区歌舞伎町2丁目)で開催されている。本当にビルの壁面を借用した入場無料の写真展だが、展示されているどの写真も胸を打つ写真ばかりだ。

 明るい写真、ほのぼのとした写真、救いのある写真、美しいだけの写真は一枚もない。どの1枚もこの地球に生きる命のありようを根底から考えさせる写真ばかりだ。しかも、これが今の世界の現実そのものなのだ。直視したくない現実が見る者を捉えて放さない。

 「母と子の旅」「紛争と災害」「ガザへの爆弾」「アフリカの光と影」「D-Light祝島など」と並んで「働かされる子どもたち」が展示されている。

■砂と石を分ける作業をするリシュ。2500人の女性と1000人の子どもを含む少なくとも1万人が、河岸から石や砂を集める仕事に従事している。バングラデシュ。2008年。Photo by G.M.Bアカシュ。第5回国際フォトジャーナリズム大賞審査員特別賞。

■リキシャ(三輪自動車)の部品を作る工場で働く少年。ホコリやガス、熱、騒音にさらされる危険な仕事だ。ダッカ・バングラデシュ。2006年8月。Photo by G.M.Bアカシュ。第3回国際フォトジャーナリズム大賞第3位。

■銀鍋の製造工場で働く11歳のジャイナル。3年間同じ工場で働いている。午前9時から午後6時までの賃金は1カ月に10ドルにしかならない。ダッカ・バングラデシュ。2008年1月。Photo by G.M.Bアカシュ。第5回国際フォトジャーナリズム大賞審査員特別賞。

 この写真はたまたまバングラデシュだが、世界各地でこうした悲惨な状況が起こっているのだろう。工場で働かされることはないまでも、日本でも、児童虐待の一端が露出している。ゆったりする暇もなく、学校や塾での勉強に追いまくられる子どもたちの姿は何を物語るのか。電車通学する小学生・中学生・高校生たちの手に握られている本が教科書以外のものだったことは思い出せない。

 子どもは存在自体が「未来」だ。存在するだけで、「将来」を予感させ、その場を明るくする。何と神々しい存在なのか。子どもに未来を与えない世界には、「将来」が存在するはずがない。このことだけは、いつの時代になっても真実である。

サッカーw杯決勝T進出

カテゴリー: 東京日誌Ⅱ

  05:24


  サッカーのワールドカップ南アフリカ大会で、日本はデンマークを3-1で破り、2勝1敗のE組2位で2大会ぶりの決勝トーナメント進出を果たした。次はパラグアイと対戦する。正直、今回は負けると思っていたのでびっくりした。

 4時半すぎに目覚めてリビングに降りて行くと、誰も観ていないのにテレビが試合を映していた。番組予約という便利な機能があって、自動的に電源を入れ、予約した番組に映すのだ。デジタルテレビを買った当初はチャンネルが自動で切り替わるのにもびっくりした。

 画面を見たら、既に後半も10分過ぎていた。スコアを見ると、日本に2点入っていた。思わずもう一度目をこすって画面を再確認したほどだ。日本サッカーも強くなった。大会前に負けたのが結果的に精神を鍛えたのだろうか。

 岡田監督は試合終了後、「日本は個人のプレーではなく、チームとしてのプレーをやってきた。それをしっかり示すことができた」と述べていた。個人技ではまだまだ外国強豪に劣るが、チームとしては勝るという意味だろう。

 とりわけ欧米はまず個人がいて、それをチームとしてまとめていく。日本はチームの方針がまずあって、それに個人が合わせていく。アプローチの違いだ。ビジネスの世界でも同様で、改めてカルチャーの違いを考えさせられて興味深い。

アジサイの秘密

カテゴリー: 東京日誌Ⅱ

2010/06/23  07:08


 わが家の軒先でアジサイ(紫陽花)が咲き始めた。人家の軒先などにひっそりと植えられ、梅雨の季節になると、途端に立派な花を咲かせる。開花期間は1カ月ほどだろうか。1年のほとんどは見向きもされないのはそれが定めか。

 非常に身近なアジサイなのだが、その実、「七変化」の理由など分からないことが結構多い。関心を持つことが普段ないからなのだが、調べてみると、それなりに複雑で、知りたいことになかなかたどり着けないのである。

 アジサイは日本固有の花。それを「1790年にジョセフ・バンクスがロンドンのキュー植物園に持ち込んだ。19世紀初期にはすでに紅色の花が咲くアジサイがつくられ、20世紀になると、ベルギー、オランダ、フランスを中心に育種が進み、現在数百種に及ぶ品種が知られている」(山と渓谷社『日本の樹木』)。

 この改良された品種が日本に逆輸入され、西洋アジサイまたはハイドランジャーと呼ばれている。通り掛かりによく見掛ける毬状のアジサイがそれだ。タンポポも日本古来の白い「日本タンポポ」はほぼ絶滅し、「西洋タンポポ」(黄色いタンポポ)に席巻されたようなものだ。それでもアジサイはまだガクアジサイやヤマアジサイとして奮闘しているようだ。

 調べるのにはそれなりに時間がかかる。時間の余裕がなかればならないし、ゆったりした気分も必要だ。植物図鑑も参考にしたが、やはり便利なのはネット検索。ただ、自分の欲しい情報の在りかに行き着くまでが結構大変である。しかし、探し回れば見つかるものである。「紫陽花の色の話」に行き着いた。

 それによると、アジサイの花の色はいろいろだが、どの色であっても色素は同じ「アントシアン」。全く同じアントシアンが濃い赤色を出したり、淡い青色を出したりしているのだという。これまた不思議である。元の色素はアントシアンだが、それだけで花の色が決まるのではなく、根が土壌から吸収する金属元素アルミニウムと花の中で合成される補助色素の3者の関係で花の色が決まるのだという。

アントシアン(アジサイの花に元々含まれている色素)
  +
補助色素(花に色がつき始めるにしたがって花の中で合成される色素)
  +
アルミニウム(根から吸収される金属元素)

 一般によく、土壌が酸性なら青、アルカリ性なら赤になると言われるが、そう単純でもなさそう。土中のアルミニウムの量も関係してくるのだという。とにかく発色のメカニズムは非常に複雑である。酸性・アルカリ性は人間の男女の産み分けにもたとえられるが、どうやらこの3者の関係も絶妙の配合のようだ。詮索などせず、花の色を楽しむことに精出せということなのだろうか。

サクランボ

カテゴリー: 東京日誌Ⅱ

2010/06/22  06:50


 小さな恋人
 山形のサクランボ
 JA全農山形

 山形と言えばサクランボである。サクランボと言えば、サトウニシキ(佐藤錦)である。佐藤栄助さんが「ナポレオン」と「黄玉」を交配して作ったと、2009年6月14日のブログに自分で書いている。去年ももらったが、今年も別のところからいただいた。幸せである。

 「輸入自由化で国産サクランボ農家は絶滅すると大騒ぎされたけど、そうはならなかったでしょう。輸入自由化は国産農家にとってもメリットだったんです。今やサクランボの木を20本も持ってれば、家が建つといいますよ」―輸入自由化論者のある人がしたり顔で言うのをい最近聞いた。サクランボの輸入自由化は昭和35年度(1960)。

 輸入自由化で壊滅的な打撃を受けたみかん農家もあるけど、サクランボ農家は逆にアメリカン・チェリーなどと完全に差別化ができて、高付加価値をアピールできた幸せな例だろう。しかし、みんながみんなそういうわけにはいくまい。

 米国などからの輸入が徐々に増加し、国内生産の3分の2までになっているものの、サトウニシキなど高品質生果への転換による差別化がうまくいった。大味なアメリカンチェリーに対し、サトウニシキの繊細な甘さといい、小粒ながら光沢のある表皮といい、もうこれは芸術品である。 

『動物の行動を科学する』

カテゴリー: 講演会/シンポ/セミナー/勉強会

2010/06/19  16:49


 第38回東京大学農学部公開セミナー『動物の行動を科学する』が農学部弥生講堂・一条ホール(文京区弥生1)で開かれた。農学部と大学院農学生命科学研究科主催。1991年から年2回開催ペースで始めてそろそろ20年になるという。何がきっかけだったか忘れたが、何度も来ている。難しい話を一般人にも分かりやすく話してくれるのがみそだ。

①カラスの特異な食習性と地域食文化=生圏システム学専攻 樋口広芳教授

 カラスは好きではない。好きではないが、結構見掛ける。人の顔を識別できるようなので、なるべく目を合わせないようにしている。このカラスは独自の文化を持っており、人間に似ているという。あんまりお近づきにはなりたくないが、攻撃された場合に備えて、習性を知っておくのは悪くない。

■日本で日常的に見られるのはハシブトガラス(嘴太鴉)とハシホソガラス(嘴細鴉)の2種類。くちばしが太くて、おでこが盛り上がっているのがハシブトガラスで、都会に住む。「カァーカァー」と澄んだ声で鳴くことが多い。ハシブトよりやや小柄で、くちばしが鋭く尖っており、おでこのでっぱりも少ないのがハシボソガラス。郊外や海岸近くに住む。鳴き声はは「ガァーガァー」とガラガラ声。

■カラスの行動は多様で柔軟性に富む。地域と結びついた特異な行動をとる。

 ・貝やクルミを割って食べる。赤信号で止まっている車のタイヤの前に出ていってクルミを置くものもいる。自分たちのやっていることの意味を正しく理解している。

 ・石鹸やロウソクをかじる。含まれている油脂分が大好き。保存食として最高のようである。千葉県松戸市の幼稚園の屋外にある洗面所から石鹸を3-5週間で60個も持ち去り、近くの林や人家の庭先の地表付近に埋め込み、落ち葉などをかぶせ、外から見えないようにして、あとから少しずつかじって食べる。

 ・京都市内の神社で野外に立てられたロウソクを持ち去るカラスもいた。

■食文化を持つ

 カラスはいろいろなところに棲み、いろいろなものをとって食べる何でも屋としての性質を持っている。その季節、その場所の状況に合わせて手に入りやすいもの、好みのもの、栄養価のあるものを見つけ出して食べている。ヒトとカラスは共通する点が実に多い。

②蛾のプロポーズ―匂いと音によるコミュニケーション―=生産・環境生物学専攻 石川幸男教授(略)

③マツノマダラカマキリ成虫の行動と松枯れ=森林科学専攻  富樫一巳教授(略)

④悩めるペットの行動治療=応用動物科学専攻=武内ゆかり准教授

 日本は空前のペットブーム。犬と猫の総飼育数は既に19歳以下の人口を凌ぐ勢いだという。社団法人ペットフード協会が実施した平成21年度(2009)犬猫飼育率全国調査によると、総飼育数は2234万頭。直近3年間は横ばいだが、それでも高飼育率を維持している。

 問題は多くのペットが飼育されながら、問題行動を理由に飼育放棄される動物も少なくないこと。こうした現状に対応するために発展してきたのが問題行動を治療する「動物行動治療」だ。聞き慣れない言葉だが、いろんな需要があるものである。

 ペットを否定するものではないが、それにしても首を傾げる場面をよく見掛ける。犬猫は自分で歩くと思っていたら、最近のお犬様はご主人の腕に抱かれたり、自転車の荷台のバスケットに乗ったり、寒さ対策でセーターを着込んだり、もうほとんど人間様のようである。

 これが何を意味しているのか。人間には愛情を注ぐ対象が必要だ。犬猫がその代替物になり得るとしたら、もうそれは自分のこどもを猫可愛がりするのも同然である。ペットがきちんと育つとはどうも思えないのだが、どうなのだろうか。


 

『鬼平犯科帳スペシャル~高萩の捨五郎~』

カテゴリー: 東京日誌Ⅱ

2010/06/18  21:05


 『フーテンの寅さん』と並ぶ国民的人気時代劇。中村吉右衛門主演でドラマがスタートしたのは1989年7月。2001年までの13年間にレギュラー、スペシャル合わせて141本が放送された。その後も年1本ペースでスペシャルが制作・放送されている。

 高萩の捨五郎(塩見三省)は盗人仲間の中での役割は「嘗め役(なめやく)」。盗賊の狙う店を詳細に調べ、見取り図などを売り渡す稼業だ。この捨五郎が上州、信州、越後などで派手な盗みを働いていた妙義の團右衛門(津川雅彦)と組んで「お盗め(おつとめ)」を働こうと江戸に姿を現す。

 侍に因縁を付けられた親子を助けるために足に大怪我をした捨五郎を鬼平が助け、やがて鬼平が火付盗賊改方の長官だと知った捨五郎は鬼平の密偵になることを決意。團右衛門を捕らえるために動く。しかし、團右衛門もそれを察知し、裏をかこうとする・・・・・

 今夜のスペシャルは第2シリーズ(1990)の『盗賊二筋道』(原案『高萩の捨五郎』)と第3シリーズ(1992)に放送された『妙義の團右衛門』を2時間スペシャル用にアレンジしたという。既視感があったのはそのためか。それにしても、「お盗め」を「おつとめ」と呼ばせるのは今回初めて知った。たかが鬼平、されど鬼平である。

自民党本部

カテゴリー: 東京日誌Ⅱ

2010/06/16  17:55


いちばん。
世界でいちばんの日本へ。
暮らしを、経済を、政治を、いまこそ、立て直すために。

ここいちばん、自民党はすべてを投げうち、
全力で責任を果たしていく。

日本を守る責任。
自民党

  勉強会のため永田町に行った。時間が少し早かったので、久しぶりに自民党本部の中をのぞいてみようか、と思った。しかし、中に入る前にガードマン氏に誰何された。「どこに何用があるのか」と聞かれ、「ちょっと中をのぞくだけ」と言っても、「それでは困る」と言われ、結局門前払い。中に入れなかった。

 確か、少し前に農水省に入ろうとしたときにも、同じ状況で止められたが、そのときは何とかもぐりこめた。考えてみれば、用もなく中に入ろうとするほうが問題かもしれない。それでも、昔は自由に入れたはずだ。日本もようやく欧米並みのセキュリティー管理になってきたと喜ぶべきなのか。

 野党になった自民党の今の姿を雰囲気だけでも味わいたかったが、果たせず。民主党は表紙と目次を変える究極の選挙対策を打った。問題は何も解決されていないのは自民党の言う通りだが、世論の支持率はV字型回復。世論はムードである。しかし、このムードをどうつかむかがポイントでもある。

 よほど、奇抜な手を打たない限り、7月11日投票の決まった参院選で自民党は勝てないだろう。玄関払いされた後、前掲のポスターを眺めた。よくできてはいる。しかし、そでにされたので、ポスターをうらめしく眺めた。