2006年4月 のアーカイブ

赤福

カテゴリー: 東京日誌

2006/04/25  02:03


 出張の土産に伊勢名物「赤福」をいただいた。自分の旅行の際にもよく買ってくるお土産の定番だ。名古屋はもちろん、関西方面に出掛けた際も、この「赤福」が土産になることが少なくない。それで、改めて包み紙に目を凝らしてみた。

名称:和菓子
原材料:小豆(北海道産)、餅米(国産)、砂糖
製造業者:株式会社赤福(三重県伊勢市宇治中之切町26番地)

 赤福の創業は宝永4年(西暦1707年)。歴史のある菓子匠が多い中でも、古い部類に入るのではあるまいか。江戸幕府が開かれて100年超経ったところ。江戸幕府は1867年まで続くから、前半だ。お伊勢詣りの土産物だった。現在の店主は11代目、濱田典保氏。

 到来の赤福もちや 伊勢の春        子規

友人の死

カテゴリー: 東京日誌

2006/04/23  11:14


 大学時代の友人が亡くなった。今週末、もう1人の友人と3人で久しぶりに山登りをしようと計画していた矢先だった。長野県佐久市の山小屋に一泊し、私の「送別登山」にする趣向だった。本当なら、今時分、3人で他愛のない話に興じていたはずなのに・・・。

 1カ月前から何度か電話をしたが、その都度「使われていません」とのアナウンス。友人は1人暮らしだった。おかしいな、と感じつつ、他に連絡のしようもなかった。それで今年もらった年賀状の住所に葉書を出した。携帯電話の番号を書き、連絡をくれるよう書いた。

 連絡はあった。しかし、彼からではなく、妹さんからだった。転送された葉書を見て掛けてきたのだった。「兄は亡くなりました」。お酒を飲んで痰を詰まらせ、肺炎を起こしたのが直接の死因だったという。3月21日の午後3時半ごろだった。

 1週間前の3月14日午後1時半ごろ、彼から携帯に電話をもらった。「中国共産党がどのようにして権力を握ったかを暴いた『暴風10年』は非常に良い本だ。再出版すれば売れると思うので、それを伝えたかった。それと、あと山へ行こう。それが言いたくて君に電話した」。

 これまでも何度か、彼からは電話をもらった。いつも唐突だった。いつも会議中などで忙しくしており、十分相手をしてやれなかった。それが不思議に3月14日はゆったりしていた時間で、しばらく話をできたのがせめてもの救いだった。

 いつも、いつも勉強していた君。何年も何年も本を読み続けていた君。今年の年賀状で、「長年ヨガをつづけ、ようやく”正常体”にもどってきました。体の動きが自然にできるということです。では」と書いて寄こした君。貴兄の蔵書は私が引き取ります。

 4月22日の午後、仲間3人と貴兄の墓にお参りしました。ご両親と同じお墓に入っていましたね。お線香と一緒に、妹さんが君の好きだったタバコに火を点けて、差し入れをしていましたよ。さぞ、うまかったことでしょう。墓地にはもうつつじが咲いていた。どうか、安らかにお眠りください。合掌。

淡路サバ

カテゴリー: 東京日誌

  09:50


 鯖(サバ)と言えば、大分県豊後水道の「関サバ」が超有名だが、ほかにも屋久島の「首折れサバ」、土佐清水市の「清水サバ」、三浦市松輪の「松輪サバ」なども名高い。青身魚の代表格の1つで、DHA(ドコサヘキサエン酸)や EPA(エイコサペンタエン酸)などの不飽和脂肪酸が多く含まれ、健康面からも注目されている。

 近年では養殖技術の発達により、養殖物のサバも市場に出回るようになっている。大分県や鳥取県などで盛んに行われており、海外はノルウェーからも輸入されているとか。魚の産地は実に多彩で、今やタコと言えば、モロッコやモーリタニアなどアフリカ北西産がほとんどだ。

 「吟漁亭保志乃」(東京都中央区銀座7-5-12藤平ビル1階)で食したのが「淡路サバ」。関サバはこの時期、産卵を終えて旬を過ぎ、今は「淡路サバ」が脂の乗りも身の締まりもいいという。厳選素材が売りの保志乃の料理人がこう言うのだから、信じるしかあるまい。

 地酒も45種。久保田・萬寿(新潟)、七福神・門外不出(岩手)、萬寿泉・寿生(富山)を筆頭に多種多彩。ちなみに萬寿は正1合1800円也。ただ、この日いただいたのは芋焼酎でした。

蔵弥一 鹿児島・種子島酒造 25度 紫芋使用
導師  宮崎・櫻の郷醸造   25度 5年貯蔵 

「うさぎや」のどら焼

カテゴリー: 東京日誌

2006/04/19  23:21


  どら焼と言えば、和菓子中の和菓子。その中でも、絶品なのが「うさぎや」のどら焼。防腐剤は一切使用していないのが”売り”で、大納言のあんこも粒餡で、芸術的だ。もちろん、カステラの味が悪いようだと話にならないが、「うさぎや」はそんなことはない。

 不思議なのは「うさぎや」は上野と日本橋、阿佐ヶ谷の3カ所あるようで、いずれも「うさぎや」を名乗っている。どれが本家、本元なのか、あるいは元祖なのかは解明できていないが、どうやら上野の「うさぎや」が本家っぽい。創業が古いから。阿佐ヶ谷のどら焼は食べたことがない。

 以前、上野で買ったどら焼は注文してからあんこを詰めていたと思う。出来立てのほやほや。今日、食べたのは日本橋1丁目の「うさぎや」。本店と中央通り店の2店舗あるが、本店で買ったもの。それにしても、なぜ、どら焼と呼ぶようになったのだろう。

音声認識エンジン「AmiVoice」

カテゴリー: 東京日誌

2006/04/18  23:56


転勤あいさつのつもりで訪れた音声認識ベンチャー「アドバンスト・メディア」(本社・東京都豊島区東池袋3-1-1サンシャイン60 48F)で、同社の誇る音声認識エンジン「AmiVoice」のプレゼンを受ける羽目になった。同エンジンの特徴は以下の通り。

 ①従来の音声認識ソフトと異なり、事前学習を必要としない、つまり話者を特定しない画期的な音声認識エンジン

 ②優れた言語モデル・辞書を併せ持ち、特定単語の認識に留まらず、文章として高性能認識を可能とすることにより、ユーザビリティーを飛躍的に向上

 ③業界最高水準の認識率を誇り、特定の業種や領域に特化したソリューションをも提供することで、既に多くの分野で採用されているポテンシャル

 「AmiVoice」導入の主な事業分野は医療(病院でのカルテ、読影・診療リポートなどのデータ入力・編集作業)、娯楽&教育(ゲーム/TVでの入力アクションの容易化・自然化)、コンピューター・テレフォニー・インテグレ-ション(コールセンター業務、受付業務の高度化・効率化)、政府・公共(議会議事録、各種委員会議事録、裁判録などの作成)、ビジネス(営業報告データ、顧客とのやり取りの内容を音声・文字保存)、モバイル(携帯電話採用による高精度音声入力)などだ。

 本命はどうやら、携帯電話での音声入力の実現のようである。音声がたちまちテキストに早変わりするデモを見て嬉しくなった。何せ、携帯のあの狭いキーを操ることは土台あがいても女子高生やOLたちに適わない。とにかく指があんなに自由に動かない。

 それがこのエンジンを使えば、口頭で読み上げるだけで、簡単にテキストが打ち出される。ほれぼれするほどだ。キー操作において、女子高生にも劣るというコンプレックスから解放される。むしろ、一気に優位にさえ立てる。嬉しいことだ。

 音声認識も単語認識が可能になった第1世代(1960年~)から音声のテキスト化が可能になった第2世代、2001年からは本格的な実用化に入った第3世代を迎えている。第3世代まで踏み込んだ世界で唯一の音声認識技術が「AmiVoice」だという。技術は限りなく進化を続けているようである。

「禅林寺」の発見

カテゴリー: 東京日誌

2006/04/17  00:00


 知人の弔事で「禅林寺」(東京都三鷹市下連雀)に行った。初めてのところには必ずや新しい発見がある。禅林寺もそうだった。禅宗は曹洞宗と臨済宗の2つしかないと思い込んでいたが、ほかに黄檗宗(おうばくしゅう)という宗派もあることを知った。禅林寺は黄檗宗の寺院である。

 禅林寺はJR三鷹駅からほぼ直角に1キロほど南下したところ。陽も落ちていたので、よく見えなかったが、立派なお寺だった。同寺に太宰治と森鴎外の墓があることも初めて知った。弔事が終わったあと、墓石を探したが、暗くて諦めた。

 太宰の墓があるのは太宰が近くを流れる玉川上水に入水したためで、毎年命日の6月19日には、ここで太宰を偲んで桜桃忌が開かれる、という。鴎外の墓も元あった寺院が被災したため、ここに移転してきたとか。意外なところに意外なものがあるものだ。面白い。

「王林」の花

カテゴリー: 東京日誌

2006/04/16  23:29


 我が家の裏庭にリンゴの木を植えたのが10年前。りんごは1種類だけでは交配しないと教えられたので、異種の「王林」と「ふじ」の2本を植えた。この何年かはしっかり花も咲き、実も付くようになった。

 ただ、花が咲くのは「王林」だけ。今だに「ふじ」の花を見たことはない。当然のことながら、実もならない。なぜだろう。今年も「王林」が綺麗な花を咲かせている。赤味を帯びた花びらが実に可憐だ。

 「王林」は果汁が豊富で、甘さもたっぷり。 ゴ-ルデンデリシャスと印度の交配だ。緑黄色から黄色に着色し、果実の表面にポツポツした点が付くのが特徴。このポツポツがはっきりしているものが糖度も高いとされる。 特有の芳香があり、収穫の最盛期は「ふじ」の前の10月下旬~11月上旬にかけて。

上野駅再見

カテゴリー: 東京日誌

2006/04/14  01:12


 今宵の送別会は上野だった。JR上野駅の公園口で待ち合わせたものの、地下鉄で行ったので、迷ってしまった。歩道陸橋の上から見た上野駅の正面は本当に2年前に見た中国の大連駅とそっくりだった。大連駅は上野駅に模して建造されたのだから、当然と言えば当然だ。

 1年も行かないうちに上野も変わっていた。公園口から京成上野駅に向けて、坂を下っていくと、昔あったはずの映画館が消え失せていた。それとも見落としたのだろうか。年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず。

 たまたま入ったのは「肉の大山」直営食事処。帰りしなに何気なくもらった「うえの2006.4」(No.564)でエッセイ「公園南玄関口のオオカンザクラ雑感」(小川泰和東京都東部公園緑地事務所長)を読んだ。その中に引用されていた歌を記しておきたい。

  「さまざまの事思い出す桜かな」(芭蕉)

 「さくらさくらさくら咲き初め咲き終わり何もなかったような公園」(俵万智)

東京タワー

カテゴリー: 東京日誌

2006/04/12  23:53


 東京アメリカンクラブで行われたパーティーの帰途、一乗寺のそばから見た東京タワーが非常に綺麗だった。そう言えば、1年前も同じ風景を同じ場所で見たことを思い出す。飯倉の交差点から東京メトロ日比谷線神谷町駅に向かおうとしたが、オレンジ色(冬場)にライトアップされたその姿があまりに綺麗なので、今夜は吸い寄せられてしまった。

 タワーは目と鼻の先に突っ立っていた。目と鼻の先のように見えて、それを目指していくと、行けども行けども行き着かなくて、大変な思いをしたことが昔もあったので、途中で引き返すことも考えながら、歩いていくと交差点から本当に近かった。せいぜい200mくらいか。

 展望台に上るチケット売り場には外人観光客が大勢並んでいた。ついつられて、列に並んで切符を買ってしまった。大展望台(150m)までエレベーター、さらに乗り換えて特別展望台(250m)まで一気に上る。あまりに高くて、むしろ気分がよくなかった。

 東京タワー(東京都港区芝公園4-2-8)の高さは333m。パリのエッフェル塔は320m。昭和33年の開業以来、東京タワーは自立鉄塔としては世界1を誇るが、第2東京タワーが墨田区に建てば、そうではなくなる。時間の問題だろう。

 初めて東京タワーに上ったのはいつだったろうか。覚えていないほど昔のことだ。多分、東京で学生生活を始めたころだから30年も前のことだ。この東京とももう少しで、暫しのお別れだ。そういうセンチメンタルな気分があって、タワーに吸い寄せられたのかもしれない。きっとそうだ。

「ウェブ進化論」

カテゴリー: Books

2006/04/09  22:28


 今では「メール」や「携帯電話」は常識だが、ほんの少し前までは「葉書・手紙」や「固定電話」が普通だった。自動車電話が登場した時には、移動しながら電話できることが夢みたいに思った。忙しい時なんか、歩きながら電話できないものか、などと本当に夢見たものだ。

 それが今では、当たり前である。リアルタイムで連絡を取れる。非常に便利が良くなったが、逆に、どこにいても、呼び出され、捕捉される不便も生じた。仕事の進め方も「メール」によって随分変わった。良かったのか、悪かったのか分からないが、これも時代の流れなのだろう。

 遅まきながら、梅田望夫著「ウェブ進化論」(ちくま新書)を読んだ。「本当の大変化はこれから始まる」との副題が付いている。「インターネットが登場して10年。今、IT関連コストの劇的な低下と技術革新により、ネット社会が地殻変動を起こし、リアル世界との関係にも大きな変化が生じている」。

 「ネット参加者の急増とグーグルが牽引する検索技術の進化は、旧来の権威を突き崩し、知の世界の秩序を再編成しつつある。そして、ネット上にたまった富の再分配による新しい経済圏も生まれてきている」。

 ブログについても「ブログと総表現社会」の章が用意されている。ブログは、個の信用創造装置・舞台装置としての役割を果たすようになりつつあり、その意味合いは今後ますます大きくなるというのだ。自分にとっての究極の「知的生産の道具」かもしれない、とも指摘されている。

 ウェブ時代をどう生きるか、というのは結構、大問題だ。時代の流れに付いていかなければならない、との脅迫観念に襲われながら、一方で、別に流れに付いていけなければそれはその時のこと、との居直りも捨て切れない。

 とにかく、厄介な時代になったものだ。携帯電話こそ、「電話を掛けたり、掛かってきた電話を受けたり」の最低機能だけは何とかこなせるものの、それ以上になると付いていけない。iPODとなると、もういけません。ウェブ社会はもっともっと進化する、という。さて、どうしたものか。