2006年9月 のアーカイブ

「のじぎく兵庫国体」

カテゴリー: 神戸日誌

2006/09/30  22:12


 第61回国民体育大会の開会式が9月30日(土)、神戸市須磨区のユニバー記念競技場で行われ、特別招待者として参加した。選手たちを歓迎し、式典を盛り上げる役割と心得、しっかり拍手に努めたつもりだ。会期は10月10日まで。

 県花を取り入れて「のじぎく兵庫国体」と銘打たれた国体が兵庫県で開催されるのは50年ぶり。こちらに転勤して5カ月だが、この県を知る上で、様々なイベントが繰り広げられる国体は格好の機会だ。

 兵庫県は昔、5国(摂津、播磨、但馬、丹波、淡路)で構成されていた。オープニングプログラムではこれら但馬、丹波、淡路の伝統芸能が披露されたが、地域性を反映していて興味深かった。

▼摂津=神戸と阪神間の尼崎、西宮、宝塚、川西、三田市などを含む、大阪府に隣接する県 南東部。面積は県全体の15%だが、人口は60%を占める。六甲山系の南側に広がる大都市部と北側の田園地帯が共存し、街・港・山・歴史、さまざまな魅力が凝縮されたエリア。

▼播磨=日本標準時を刻む子午線の通る明石市から、姫路市、たつの市、相生市、岡山県に隣接する赤穂市を含む県南西部。北は宍粟市、多可町まで。世界文化遺産の姫路城をはじめ、「忠臣蔵」の赤穂、小京都と呼ばれる龍野など城下町が多い。

▼但馬=県最高峰の氷ノ山をはじめとする1000m級の山々と日本海に囲まれた、豊岡市、朝来市、養父市、香美町、新温泉町エリア。城崎温泉、湯村温泉などの名湯や但馬牛、松葉カニなど、海の幸の本場。

▼丹波=丹波市と篠山市からなる地域。マツタケ、丹波栗、黒豆など農産物が豊富で、阪神間に100km圏内の農村部。

▼淡路=淡路、洲本、南あわじの3市から成る瀬戸内海最大の島。日本書紀や古事記にも登場し、「国生み神話」が今も伝えられる。

 兵庫県は但馬、丹波、淡路、摂津などの田舎および準田舎と大都市圏の攝津とが混合した県。その摂津も兵庫区を中心に平氏の史跡がたくさん残るなど深い歴史をかいま見せる一方で、神戸市は朝鮮、中国、インドなどからの移民も多く、開放的な国際都市の側面も持つ。とにかく何でも揃っているのが兵庫県というのが私の印象だ。

 運動に才能がなかったこともあって、これまで国体に関心を持ったことは全くなかったが、競技はともかく、これだけイベントはやはり見ごたえがある。お祭りである。スポーツイベントしてのニュース価値はかつてに比べ、大きく低下しているものの、それでも国体である。天皇・皇后両陛下が臨席されるというのは大変なことではある、ということを実感した1日だった。

オルセー美術館展

カテゴリー: 神戸日誌

2006/09/28  23:49


 「19世紀 芸術家たちの楽園」と題したオルセー美術館展が9月29日から、神戸市立博物館で開幕する。それに先立って28日、内覧会が開かれ、短時間ながら観て回った。博物館自体が壮麗な石造物で気にいっていたが、その中で名画を観られるのはぜいたくだ。

 オルセーは1900年のパリ万博に合わせて建造されたオルセー駅を改装し、1986年に誕生した美術館。セーヌ川を挟んた対岸にはあのルーブル美術館がどんと構えている。それに比べ新興勢力だが、印象派の殿堂としての評価も得て、美術好きにはたまらない場所だ。

 オルセー美術展は今回で3度目。いずれも神戸と東京で開かれている。神戸はいつもこの私立博物館だ。第1回「モデルニテ:パリ・近代の誕生」(1996年)、第2回「19世紀の夢と現実」(1999年)、そして今回「芸術家たちの楽園」。

 エドゥアール・マネ「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」(1872年)がカタログの表紙を飾っている。作家ポール・ヴァレリーが1972年のマネ100年記念展の折、「1872年に制作されたベルト・モリゾの肖像画以上に優れた作品を知らない」と述べたとか。

うなぎ「青葉」

カテゴリー: 神戸日誌

2006/09/26  23:46


 あこがれの「青葉」(神戸市中央区元町通3-8-10)でうなぎを食べた。神戸でうなぎを食べるならここだ、と聞かされていたものの、とにかく高い。うな丼が何と2700円!普通の店の倍もする。足がすくむのも当然だ。幸いなことに、公費で食する機会に恵まれた。

 本当においしかった。腹一杯になった。ご飯でお腹が膨れたのではない。うなぎが大きくて、たっぷりと太っていて、満腹になったからである。紀州備長炭でじっくり焼き、秘伝のタレで味付けてある。少なくても、これまでに食べたうなぎの中で、一番立派だった。

 「三宮青葉」は息子さんの店、「東京青葉」も新富町にあるようだが、誰の店だろうか?「青葉」と目と鼻に先には「青柳」があるし、すぐ近くの南京町には「うなぎ横丁」があるし、どうやら神戸にはうなぎ屋が多そうだ。

「トゥレット症候群」を考える

カテゴリー: 神戸日誌

  21:36


 市民講演会「発達障害を考える」in神戸に参加した。9月26日(火)18-21時、神戸ポートピアホテル。副題は「チック、落ち着きのなさ、こだわりとうまくつきあうために」。NPO法人「日本トゥレット協会」と「日本イーライリリー」の共催。

 突然の、無目的で、反復的なかつ常同的な筋肉の動きをしたり、またはそのような音や声の発したりするすることをチック症状という。前者が「運動チック」(まばたき、顔しかめ、首振り、人や物に触るなど)で、後者が「音声チック」(咳払い、鼻すすり、叫び声、卑猥な言葉や不謹慎な言葉を発するなど)。両方とも単純なものから、複雑なものまでその内容は多彩だ。

 「トゥレット症候群」とは運動チックと音声チックの症状が1年以上続く神経の病気のことを指す。チック症状は自分ではコントロールできないものだけに厄介だ。1885年にこの病気を発表したフランスの神経科医ジル・ドゥ・ラ・トゥレット博士の名前にちなんで名付けられた。

 深刻なのはチック症状だけでも大変なのに、AD/HD(注意欠陥/多動性障害)を併発することだ。京大医学部付属病院精神科神経科院内講師の岡田俊氏によれば、トゥレット障害の50-75%以上にAD/HDが併存するという。ほかにも強迫性障害、気分障害、学習障害、睡眠障害なども併発するケースも多い。

 注意欠陥:「集中力が乏しい」「容易に気が散る」「話を聞かない」「すぐ忘れる」「単純ミスをする」「物事を完成できない」「考える前に行動してしまう」「何となく落ち着きがない」

 多動性障害:「しゃべりすぎる」「質問が終わる前に答える」「人の話をさえぎる」「静かに遊べない」「順番を待てない」

 トゥレット症候群の発症1000人に1人と推定され、6歳から8歳ごろに症状に気づくことが多い。10-15歳ごろにチックが最も激しさを増すが、成人期には軽減することが多いという。本人はもとより両親の苦痛も甚大で、学校、職場、家庭生活でも支障が出るのは避けられない。

 日本トゥレット協会によると、この病気の原因は従来、心因性だと考えられてきたが、最近の研究で、脳内の神経伝達物質であるドーパミンやセロトニンなどの異常によることが明らかになってきたといわれる。症状を軽くする薬は出てきており、1日も早く特効薬の登場が待たれる。

コウノトリ自然放鳥

カテゴリー: 神戸日誌

2006/09/23  22:56


 コウノトリが飛び立つ姿を初めて見た。彼らにとっても初めての空。本当に飛び立ってくれるのか、一抹の不安も抱えながらの放鳥。何が起こるか、予想できない状況下での人為的な試みだが、見事に飛び立った。よく晴れた秋空に華麗に舞う姿は本当に美しかった。いいものを見た。場所は兵庫県の北部、豊岡市の円山川左岸(市街地側)だ。

 この日飛び立ったのは3羽。昨年9月24日の1回目の放鳥は県立コウノトリの郷公園内での放鳥だったが、今回は丸山川の河川敷。完全に自由行動だ。どこから飛び立ってもう帰ってこないことも十分想定される。

長さ:嘴から脚の先まで約1.4m
翼開長:翼を広げると2m前後
体重:4-5kg
餌:肉食性で、ドジョウ、フナなどの魚類やカエル、ミミズ、バッタなどの生きた小動物
分布:極東を中心に、推定約2000羽。嘴は黒、脚と目の周囲は赤色。繁殖地はシベリア、中国は越冬地。大陸では渡りを行い、途中、日本に飛来することもある。近縁種のシュバシコウ(嘴が朱色)は欧州中心に85万羽分布。

 コウノトリは昭和46年(1971年)一度絶滅している。豊岡市内で保護されていた野外に残っていた最後の1羽が死亡した。その後、昭和60年にロシア(ハバロフスク地方)から野生の幼鳥6を受贈し、復活への取り組みが始まった。

 絶滅したのは地域住民がコウノトリは「要らん」と考えたからだと、コウノトリ野生復帰推進連絡協議会の保田茂会長は指摘する。それが今度は「要る」に変わった。これは人間側の勝手な考えで、コウノトリは果たしてどう思うのか。「住民側がコウノトリと一緒に住む気持ちになってもらわないと持続しない」(保田会長)のは確かだろう。

 コウノトリと共生するためにはコウノトリが棲める環境を整備しなければならない。農薬を大量に使用するコメづくりも根本から改めなければならない。農民にとっては生き方、生活の仕方そのものを変える必要がある。

 決して楽なことではない。「コウノトリと共生する」との理念は美しいが、その取り組みはむしろ、ドロにまみれた汗との格闘だ。これはコウノトリとの共生だけに限るまい。人生のあらゆる局面に共通する心理だ。楽なことはどこにもなさそうだ。

湊川神社

カテゴリー: 神戸日誌

2006/09/22  14:29


 湊川神社は生田神社、長田神社と並んで神戸では有名な神社だ。楠木正成を祭る神社であることは知っていたが、歴史的な背景には知識がなかった。教えられてこなかったし、その必要も感じなかった。

 それが神戸に来て、やはり知らないでは済まない。正成夫人を祭る摂社・甘南備(かんなび)神社が境内にあって、100周年を記念する祭事が開かれたのを機会に勉強に行った。やはり、きちんとした知識が必要であるのは論を待たない。

 巫女3人の踊る神楽「橘の舞」、栃尾泰次郎宮司自身が舞う「朝日の舞」(宮司の舞とも言うそうだ)、それに古代の衣装に身を包んだ「胡蝶の舞」も鑑賞した。

 楠木正成は永仁2年(1294年)、河内の国赤坂の生まれ。現在の大阪府南河内郡。鎌倉幕府の大軍が京都に攻め込んできた際、時の後醍醐天皇が正成を呼び寄せ、正成の活躍もあって北条氏を滅ぼし、天皇親政の時代となった。

 しかし、その後、建武2年(1335年)、足利尊氏が反旗を翻し、鎌倉から京都に攻め登って来た。足利軍は陸と海から侵攻、兵庫・湊川で決戦。多勢に無勢の楠木軍は敗北し、現在の湊川神社境内で弟の正季と刺し違えて自害した。これが史実。

 正成が後醍醐天皇の命を受けて湊川の戦いに赴く途中、長男の正行(まさつら)と最後の別れをしたのが「桜井の駅」(今の大阪府三島郡島本町)。わが子に父亡き後も天皇への忠誠を誓うように諭した。この時の「桜井の別れ」は講談の題材になったこともあり有名。

 これを素材とした「青葉茂れる桜井の」の歌は愛国(天皇崇拝)者のテーマソングになったという。どこかで聞いたような気がしたが、きちんと聞くのはこのときが初めて。戦後民主主義教育を受けた者にとっては違和感の強い歌だった。天皇制論議はさておき、親殺し、子ども虐待などが頻発する殺伐とした今の時代に家族愛を問い直すことを問題提起しているようにも感じた。
 
場所:神戸市中央区多聞通3-1-1
主祭神:楠木正成
社格等: 別格官幣社・別表神社
創建:明治5年(1872年)

「竹中大工道具舘」

カテゴリー: 神戸日誌

2006/09/21  22:10


 世の中には面白いユニークな博物館かあるものだ。「竹中大工道具館」(神戸市中央区中山手通4ー18-25)。2000年の伝統を持つ日本の木造建築を技術面で支えてきた大工道具を系統的に収集・保存、研究・展示し、それを通じて工匠の精神と技術を長く後世に伝えようとするものだ。

 なぜこれが神戸にあるのかと疑問に思ったが、神戸は大手ゼネコン、竹中工務店(本社大阪市)の会社創立の地。1899年(明治32年)にこの地に設立され、1984年(昭和59年)、創立85周年記念事業として開館した。当初は企業は博物館としてスタートしたが、現在は財団法人として登録博物館の認可を受けている。

▼1階(道具の歴史)=古代の石器から現代の電動工具に至るまでの大工道具の発達、変遷の経過を、日本建築史を背景に、復元品、実物、絵巻物などで対比展示でたどれる。
▼2階(木と匠と道具)=木を中心とした建築技術の伝統を展示。
▼3階(道具と鍛冶)=道具たちの群像を展示。
▼地階(道具と映像)=ミニ企画コーナー、レクチャールームなど。

「シスメックス」見学

カテゴリー: 神戸日誌

2006/09/20  23:58


 医療検査で急成長中の「シスメックス」(本社神戸市)のソリューションセンターを見学した。神戸市のポートアイランドでは産官学連携による医療産業都市構想が推進中だが、同社はその中核を担っている有力企業。高齢化を背景に要注目会社だ。

 主力事業は血液や尿などを測定する検体検査用機器や試薬を生産し、それを世界150カ国以上に販売すること。研究開発から生産、販売までを一貫して行っており、今やこの分野では日本のトップメーカーにまでのし上がった。

 面白いのはこの会社が神戸に本社を置き、むしろそれをばねにグローバル戦略を描いていることだ。「東京でなくても、地方は地方でグローバルにやれることを証明したい」(家次恒社長)との姿勢は評価できるのではないか。

第4世代手帳「フランクリン・プランナー」

カテゴリー: 神戸日誌

2006/09/19  23:59


 文房具が好きだ。万年筆はもう20年以上も愛用しているし、ボールペンにもこだわりがある。ノートもそうだし、文房具売り場をぶらぶらするのは至極の時間である。日本橋・丸善もいいけど、銀座の伊東屋も楽しい。

 手帳はこれまで色んなものを使ってきたが、ここ5年ばかりは超整理手帳がお気に入りだった。これに付箋をべたべた貼って、スケジュール管理してきた。ところが、神戸に転勤してくる際、うかつなことに10月中旬以降のシートを忘れてきたため、1月以降のスケジュールの記載にはたと困った。

 紀伊国屋できいたら、新手帳の販売は10月に入ってからと冷たい。こちらは今が困っているのにすげない。どうしようかと思案に暮れていたときに目に飛び込んできたのが「人生は手帳で変わる」(第4世代手帳フランクリン・プランナーを使いこなす)の本。

 第1世代が「スケジュールを書き入れる手帳」だったのに対し、第2世代は「時間目盛入り手帳」、さらに第3世代はそれに目標設定と優先順位付けを加えたことで時間管理を行った。ここまでは時間管理のための手帳だった。

 「フランクリン・プランナー」が第4世代の手帳であると主張するのは「時間は管理できない。管理できるのは自分自身の行動」との認識に立ち、「時間ではなく、自分自身の生活を効果的に管理する」ことを目指している点だ。

 東急ハンズ三宮店で買った「スターターキット」は何と1万1550円。たかが手帳である。されど、人生を変えてくれるかしれない手帳である。どこまで使いこなせるか極めて心もとないが、もう買ってしまった。後の祭りである。さて、どないなることやら。

史跡「生野銀山」

カテゴリー: 神戸日誌

2006/09/18  12:06


 連休3日目の18日は流通科学大学のフォーラムに参加を予定していたが、気が変わってドライブに変更した。譲ってもらった中古車を遊ばせておくのはまずいと考えたからだ。乗らないと、車もダメになる。

 向かった所が生野銀山。昔、社会科の授業で習った有名な銀山。一度は見学したいと思っていたが、いかんせん遠い。とても電車では無理。車の威力はやはりすごい。考えてみれば、もう15年も車なし生活が続いていた。神戸でも車の必要は感じない。でも、田舎にいくと必需品だ。

 さて生野銀山。大同2年(807年)の開坑。室町年間の天文11年(1542年)には山名祐豊(やまなすけとよ)が銀鉱脈を発見し、本格的な採掘が始まった。織田、豊臣の時代を経て、江戸時代には徳川幕府が「銀山奉行」を設置。その後は「生野代官」が置かれ、生野銀山は最盛期を迎えた。

 生野銀山は明治に入って政府直轄鉱山となったが、フランス人技師のジャン・フランソワ・コァニェが着任し、軌道や捲揚機など先進的な技術を導入した結果、近代化を成し遂げた。明治29年には三菱合資会社に払い下げられたが、昭和48年に閉山。1200年の長い歴史に幕を閉じた。

 掘り進んだ抗道の総延長は350km以上、深さは1000mの深部に到達。採掘した鉱石の種類は70種にも及ぶという。