2006年5月 のアーカイブ

「尼崎21世紀の森構想」

カテゴリー: 神戸日誌

2006/05/31  23:53


 尼崎信用金庫の氏平競重会長(尼崎商工会議所会頭)と話していたら、何度も「尼崎21世紀の森構想」なる言葉が出てきた。関西電力が撤退した発電所跡地を利用し、「森」を作るのだという。しかも、その森には松下電器がプラズマディスプレイパネル(PDP)工場を建設していると言うから、頭が混乱してしまった。

 そういう時は、自分の目で確認するに限る。尼信受付で聞いた「尼崎センタープール前駅から行ける」という言葉を頼りに阪神電鉄の同駅まで直行。駅前にある競艇場のガードマン氏に尋ねながら一路、尼崎港を目指した。

 3キロほども歩いたか。工場地帯を過ぎ、たどり着いたのが同森。ただし、ほとんど木は植わっていなかった。なぜ、それで森と言うのだろうか。分からない。ただ、遠目に「Panasonic」の看板が視野に入ってきた。まだ、大半が空き地だが、あちこちで工場を建設する槌音が聞こえている。敷地面積は1000haもあるのだという。

 松下のPDPを生産する第3工場は既に昨年稼働。第4工場の建設も決まったという。投資額が2000億円と巨額だったこともあって、大きな産業ニュースにもなった。現地は阪神高速のインターチェンジの側で、アクセスは申し分なし。

 ここを新しい尼崎の産業拠点にするのが市と県の描く構想のようだ。松下のPDP工場はその中核である。同工場の近くに、スポーツ健康増進施設「尼崎スポーツ森」が先ごろ完成。今秋の「ひょうご国体」の水泳競技はここで開催されるとか。

 あまりに広過ぎたのと、アポを取っていなかったのでPDP工場敷地内での立ち入りを拒否されたため、タクシーで(バスの運行はまだ)次の目的地「尼崎市役所」に向かった。市役所の掲示板の市報「あまがさき」5月15日を読んでいると、「尼崎21世紀の森構想」の紹介記事が載っていた。

 「国道43号以南の約1000haを対象として、臨海地域を魅力と活力のあるエリアに再生するため、環境共生型のまちづくりを進めているもの」(平成14年3月策定)」。

 かつて、”きたない街”と言われてきた尼崎市は今や空気もきれいになり、川に鯉が泳ぐようになるなど、随分変わってきている。イメージはまだまだ決して良くないが、生まれ変わろうとの努力は続いている。「21世紀の森構想」はイメージ一掃に向けた試みの一環のようだ。

「世界の貯金箱博物館」

カテゴリー: 神戸日誌

2006/05/30  23:57


 「尼崎信用金庫は1921年(大正10年)に現在の尼信記念館を本店として創業しました。1984年(昭和59年)当庫がかねてより収集していた国内外の貯金箱約6000個をこの記念館に展示し、『昔の貯金箱博物館』として公開しました。

 その後、国内はじめ海外からの収集はもとより、各方面からのご寄贈が相次ぎ、コレクションも約8000点50数カ国に及ぶところとなったため、1990年(平成2年)展示スペースを当金庫第2本店(昭和5年建築)内に移転拡充し、『世界の貯金箱博物館』と改称して公開しました。

 現在収集点数も60カ国約11,000個となり、質量ともにわが国唯一、世界でも最大級の貯金箱博物館です」

 世の中にはいろんな博物館があるものだ。それにしても、貯金箱博物館、というのも珍しい。たまたま訪問した尼信本店のすぐ近くに開設されていたのが「世界の貯金箱博物館」(尼崎市西本町北通3丁目93番地)。

 よくもまあ、これだけ集めたものだ。実にさまざまな貯金箱。素材だけとっても、木、竹、陶土、紙、鉄、銅などの金属、ポリエチレンなどと多種多様。デザインも人形やブタなどの動物が多い。

 海外との比較で面白いのは欧米のものは鍵付きが多く、日本のものは割らないとお金が取り出せないものが多いのが特徴だ。欧米ではある程度貯まったら、鍵を開けて取り出し、教会などに献金する。片や日本は、一杯になるまでひたすら貯めるのが目的だからだ、という。文化の違いが貯金箱にも表れている。

朝霧歩道橋

カテゴリー: 神戸日誌

2006/05/29  23:19


2001年7月21日
この歩道橋上で
明石市民夏まつり
花火大会へ向かう途中
群集なだれにより
命を失った
11人を偲ぶ  遺族一同

有馬千春     9才
有馬大      7才
飯尾寛子     5才
草替律子    71才
佐藤隆之助   7才
下村智仁     2才
多田新奈    5ヶ月
三木優衣菜    8才
柳原勇太     9才

 5月28日(日)昼、JR東海道線明石駅より1つ神戸寄りの駅「朝霧」に降り立った。線路を股いで眼前の大蔵海岸まで架かっているのが「朝霧歩道橋」だ。200mくらいか。歩道橋を渡りきったところに「想」と題した像が置かれていた。今も所轄警察の管理責任を問う裁判が続いている。

 事件から既に丸5年。人々はもう事件のことを忘れたように「像」の前を通り過ぎる。日常生活を続けるためには、いつまでも拘泥できないのかもしれない。目の前の明石海峡には壮大な橋が架かっていた。ここも兵庫県でニュースを追う人間にとっては知っておかなければならない現場の1つだ。合掌。

「全国障害者スポーツ大会」リハーサル大会

カテゴリー: 神戸日誌

2006/05/28  23:54


 全国障害者スポーツ大会のリハーサル大会が5月28日(日)、神戸総合運動公園ユニバー記念競技場(神戸市須磨区緑台)で開催され、開会式に出席した。本大会は10月14、15、16日に開かれる。今年で第6回目だ。兵庫県の県花「のじぎく」を冠して、「のじぎく兵庫大会」。開会式のリハーサルと同時に、この日から予選競技も始まった。

 スポーツを通じて人々の障害に対する理解を深め、障害者の社会参加に寄与することを目的に開催される全国的な祭典だ。2001年までは全国身体障害者スポーツ大会と全国知的障害者スポーツ大会が別々に行われていたが、02年から統合された。

 この日のリハーサルの参加選手は個人競技、団体競技を含め合計2450人。大変な数だ。それよりも頭の下がったのはたくさんのボランティアの存在だ。彼らの活動なくして、大会の運営は成り立たない。

 会場での案内、誘導、介助、環境美化などを受け持つおもてなしボランティア、聴覚障害者のため手話を行う情報支援ボランティア、選手団と行動を共にする同行ボランティア、競技運営のサポートを行う競技補助員などだ。

 「共に生きる社会を実感できる県民が支える大会」「心のこもった温かな大会」と同時に、のじぎく兵庫大会が目指すのは「震災復興への支援を感謝する喜びと感動の大会」。阪神・淡路大震災から何とか立ち直れたのも全国から寄せられた支援があったなればこそ。それへの感謝の意を表する大会にしたいとの気持ちが込められている。

 「のじぎく兵庫大会」の直前には同じ会場で「第61回国民体育大会」(9月30日-10月10日)が開催される。こちらは昨年まで、夏季と秋季が別々に行われていたが、今年から同時開催になった。大会関係者は大変だ。

大激流の司法制度改革

カテゴリー: 神戸日誌

2006/05/23  23:23


 大激流の真っ只中にあるのが日本の司法制度改革。第1弾が5月19-23日に法科大学院の修了者を対象に行われた初の新司法試験であり、第2弾は10月に開業する日本司法支援センター、そして最後は3年後の2009年5月までに実施される「裁判員制度」の導入だ。

 司法の世界はこれまで法律のプロだけが関与する特殊な世界だった。検察官も裁判官も専門家で、その中で裁かれるのは法律の素人である国民一般というのが通常の構図。「裁判員制度」の導入はその異常な世界に国民が入ってくることを意味する。

 考えて見れば、これは大変な話だ。大変な話ではあるものの、当たり前のことでもある。むしろ、これまでが普通じゃなかっただけだ。専門家が大きな顔をしていて、裁かれるほうは肩身が狭かった。犯罪を犯した、あるいは訴えられた立場だから当然だとあきらめていた。

 ところが、これからはそうでなくなる。専門的な法律知識や法技術論の戦いの場であった法廷が、法律の門外漢も交えた場に変化する。やさしい言葉や十分な説明が必要だ。法律用語は分からないほうが悪いのではなく、悪いのはむしろ、一般人が理解できないような専門用語しか使えない法律家のほうだ。

 22日夜、ニューオータニ神戸ハーバーランドで開かれた2006年度兵庫県弁護士会のパーティー。検察、裁判所、弁護士の県内の法曹関係者が一堂に集まった。竹本昌弘会長ら新役員や林醇神戸地方裁判所長、井戸敏三知事、麻田光広日本司法支援センター兵庫地方事務所長氏などのあいさつを聞きながら、司法制度を少し考えた一晩だった。

山歩き

カテゴリー: 神戸日誌

2006/05/21  22:11


今日(5月21日)の神戸は完全に夏日。こんなに良く晴れた日はやはり外に出るしかない。目指したのは取りあえず、新神戸駅近くの布引滝(ぬのびきのたき)。地図を持つのは面倒なので、市の設置している標識が頼りだった。

 元町5丁目から北上し、まず諏訪神社にお参り。そこから諏訪山に登った。登ったとは言うものの、山頂の標高は約160m。本当に軽いハイキングだ。諏訪山の山頂近くにあるのが「ビーナスブリッジ」。

 ブリッジと聞いて、それなりの橋を想像していたが、何と、再度山(ふたたびさん)ドライブウエイを跨いで架けられた横断歩道橋のこと。ただ、それが単なる歩道橋ではなくて、美しい8の字型を描くループ橋なのがミソ。

 その上に立つと、神戸の街と港が広がり、大阪湾の向こうの泉州なども視界に入る。とりわけ、夏の日の日暮れ時あたりがベストタイムで、デートスポットして名高い。昭和46年に完成した。ただ全長は約88mしかありません。

 碇山→市章山を”縦走”し、たどり着いたのが布引雄滝。一昨日来の大雨で水量が増えた雄滝は大きな音を立てて流れ落ちていた。滝の茶店で、滝を眺めながら、ざるそばと缶ビールのランチ。こういう時間は実にいい。

 滝から歩いて降りていくと、ものの10分ほどで新幹線・新神戸駅。駅舎の下を川(新生田川)が流れていたのには驚いた。新神戸駅はトンネルとトンネルの間、つまり六甲山系の裾の谷間に設けられている駅。谷間を流れるのが生田川で、その川の何ヵ所かが滝になっているわけだ。

 東京なら、高尾山や秩父にハイキングに行くためにも、そこにたどり着くまでに3時間くらいは掛かりそう。それが神戸では3時間あれば、登り終えた上に既に下っている時間、というのは言い過ぎか。あまりの「気楽な山歩き」が自分でも信じられなかった。

「先端医療センター」を見学する

カテゴリー: 神戸日誌

  11:50


 神戸に来て3週間。平日はともかく、週末はなるべく、関心テーマを設定して、重点的に動き回るのが楽しみだ。対象は観光であれ、研究であれ、何でもいい。自分の足と目をたっぷり使って、身体全体で空気を吸いながら、街を理解するためだ。疲れるし、非常に原始的だが、身体に覚えこませるのが最も効果的だ。頭は忘れても、身体が忘れない。

 新聞を読んでいたら、「神戸医療産業都市構想」の一般公開(5月20日)の案内が載っていたので、早速出掛けた。市民向け講演会と施設見学。神戸市が中心になって推進している野心的なプロジェクトで、場所は神戸空港と市の中心地・三宮の間にある人工島ポートアイランド。

 京都大学、大阪大学、神戸大学などの大学や研究機関、企業との連携で、関西圏全体で生命科学分野のクラスター形成に向けた取り組みが続けられいる。集積施設は以下の通り。

 ①神戸市立中央病院
 ②新中央市民病院(予定)
 ③理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(CDB)
 ④先端医療センター(IBRI)
 ⑤神戸国際ビジネスセンター(KIBC)
 ⑥神戸バイオテクノロジー研究・人材育成センター(BTセンター)
   /神戸大学インキュベーションセンター
 ⑦神戸バイオメディカル創造センター(BMA)
 ⑧神戸臨床研究情報センター(TRI)
 ⑨神戸インキュベーションオフィス(KIO) 

 見学したのは先端医療センター。同センターの中心的な治療分野は身体の失われた組織や機能を回復させる再生医療。具体的には血管と歯槽骨の再生だ。PETカメラやCT-ライナックなどの最新医療機器(残念ながらドイツ製ばかり)を駆使し、診断・治療が始まっている。

 医療関連産業はガーゼやメスなどから精密な画像診断機器まで、非常にすそ野の広い産業。神戸市の狙っているのは医療関連企業進出の受け皿を作ることで、ビジネスチャンスの創造だ。

 この試みが成功しているのかどうかは知らないが、ここに進出している企業は70社以上に上るという。平成11年実施の「神戸医療産業集積形成調査」では、中核施設が完成してから20年後、市内では1万8000人の雇用と、約3300億円の生産誘発効果があると試算されている。

 高齢化が加速度的に進行する中、医療は国民最大のテーマ。誰が最初に打ち出した構想なのか知らないが、先見性のあるプロジェクトであるのは確か。神戸空港からポートライナー(無人モノレール)で5分という地の利の良さも大きい。「臨海型開発」から「臨空型開発」に転換できるかどうかが勝負かもしれない。

神戸暮らし

カテゴリー: 神戸日誌

2006/05/13  12:23


 「三宮神社の北側から大丸神戸店、元町(もとまち)商店街にかけては、かつて、西国街道の要衝として、茶店や呉服屋が並ぶ街道筋だった。そのまま商店街に発達し、開港とともにヨーロッパの文物が入り込んだ。当時からハイカラの先端を歩み、神戸のファッションをリードしてきました。元町Ⅰ番街から元町6丁目商店街まで全長1.2kmのアーケードに老舗が軒を連ね、神戸の良さがもとまちにあります」(元町5丁目商店街の掲示板)

 「東京暮らし」を15年ぶりにひとまずたたみ、「神戸暮らし」をGW明けから本格始動した。見るもの、聞くものすべてが新鮮で、毎日が新しい発見の連続だ。もちろん楽しい発見もあれば、辛い発見もあるのは世の常。知らないほうが良かったケースもなきにしもあらずだ。

 三宮の商店街(三宮センター街と三宮本通商店街)が最も華やかで人出も多い今風の商店街だとすれば、元町商店街は伝統的な商店街。開港当時、神戸に移り住んだ外国人たちのご用達だった老舗が多く、全国展開しているお店の本店も少なくない。

 折角なら、最も神戸らしい場所に住みたいものだ。先々代が明治時代の半ば、元町で呉服屋を営んでいたという。連休中、生家で私物の整理をしていた母が見つけてきた当時の住所は「元町通5丁目21番地」。これまで、何度も聞かされていたこともあってか、決めた家も元町通5丁目。これは全くの偶然だ。

 何とも因縁めいたものを感じている。物件は幾つも見たものの、どうも「元町」が刷り込まれていたようで、気づいたら、「元町」を選んでしまっていた。新しい職場からなるべく遠い物件を探したはずなのに、何と「歩いて3分」。

 知人の言葉がふるっている。「神戸勤務はすばらしかった。3ない主義ですよ。東京では味わえません」。「上司がいない(自分がボス)。通勤がない。おまけに女房もいない」。単身赴任は気分的には楽な半面、すべてを自分でこなさなければならないのがちと辛い。さて、どうなることやら。