2016年4月 のアーカイブ

草屋敷

カテゴリー: 丹波日誌

2016/04/30  20:48


 

草に覆われた花壇

草に覆われた花壇

 

草だらけの庭

草だらけの庭

 

ツツジは咲き誇っていた

雑草の中でもツツジは負けていなかった

 

実家到着は午前1時15分。誰も住んでいない家の中は冷たかった。早速暖房を入れた。暖まるとやっと人心地が付いた。

GWがやってきた

カテゴリー: 旅行/移動/街歩き

2016/04/29  21:13


 

青い海

青い海

 

ゴールデンウィークに入った。渋滞予想を調べてから正午前に自宅を出た。練馬から関越道に乗り、鶴ヶ島ジャンクションで圏央道に入る。いつもは八王子ジャンクションで中央道に分岐するが、渋滞を見越して直進。厚木ジャンクションから東名に乗った。

しかし、中央道はほんとんど混んでいなかったことがあとで分かった。東名は30分ほどのろのろ運転だった。しかし、その先は順調に流れていた。新東名の上り線は事故で通行止めになっていた。渋滞に巻き込まれた人は不運を嘆くしかない。

由比PA(静岡市清水区)で休憩し、駿河湾を眺めた。よく晴れて、潮の香りがしょっぱかった。ここは東名で唯一トイレのみのPA。高波がくると、閉鎖されるという。

 

かきつばた

かきつばた

取りあえず目指したのは伊勢湾道刈谷ハイウェイオアシス。「かきつばた」の高濃度炭酸泉に浸かり、リラクゼーション椅子でしばし休憩する。最終目的地の丹波の実家まで650kmのほぼ半分だ。

善福寺公園再訪

カテゴリー: 旅行/移動/街歩き, 東京日誌Ⅲ

2016/04/27  23:27


 

「天徳湯」は健在だった

「天徳湯」は健在だった

 

ゴールデンウィークが目前に迫ってきた。何とか抱えていた原稿を書き上げた。気分転換も兼ねて上京中の小樽の友を誘い出して、杉並区善福寺を訪れた。

昔の下宿先がある場所だ。彼とはこの下宿で知り合った。学生4人が民家の離れに下宿していた。友は2階、私はその下の1階で生活していた。もう40年も前のことだ。一番近い銭湯が東京女子大近くの「天徳湯」(西荻北4)だった。

銭湯離れが激しい中、昔の銭湯がよもやそのまま残っているとは思わなかったが、どっこい残っていた。びっくりした。思い出でつながっている人間にとっては貴重な存在だ。

東女の門前にあった古本屋は後も形もなかった。本屋の匂いが全くしない大学というのはどういう存在なのかと思う。今時の女子大生はどのようにして勉強しているのだろうか?

 

緑したたる善福寺池(杉並区善福寺)

緑したたる善福寺公園の「上の池」(杉並区善福寺)

 

都立善福寺公園は真ん中にバス道路が走っていて、上から見るとひょうたんのような形の公園になっている。どちらにも池があり、「上の池」と「下の池」と呼ばれ、全体で「善福寺池」と総称されている。

「下の池」が善福寺川の源で、杉並区内を流れ、中野区の中野富士見町付近で神田川に合流。神田川は両国橋脇で隅田川に流れ込む。

東京都公園協会のHPによると、「両方の池で約3万7000平方メートル。公園全体の47%を占める。池にはカモ、カイツブリなどの水鳥やカワセミも来る」という。上の池のほうが圧倒的に大きい。

 

池の上を鯉のぼりが泳いでいた(同)

池の上を鯉のぼりが気持ち良く泳いでいた(同)

 

上の池の池上には鯉のぼりが泳いでいた。どうやら、この時期は毎年、鯉のぼりの掲揚が行われているようだ。40年前はなかった。それにしても気持ちが良さそうだ。

 

久しぶりにシャクナゲが咲いているのをみた

久しぶりにシャクナゲが咲いているのをみた

 

トロールの森2016春展(都立善福寺公園)

トロールの森2016春展(都立善福寺公園)

 

公園自体はほとんど40年前と同じだったが、周辺はかなり変わった。1軒だけぽつんとあった旅館は姿を消していた。昔ながらの「逆さクラゲ」で、なかなか赴きがあった。とりわけ雨が降った夜などは、ネオンが煙ったようで、風情を醸し出していた。

池のそばにあった歌手の橋幸夫の家も無かった。アパートに変貌していた。

 

 

自動運転

カテゴリー: 会見メモ

2016/04/25  21:45


 

プレゼンする日産自動車の山口豪副社長

プレゼンする日産自動車の山口豪副社長

 

ゲスト:山口

和太刀LIVE『剣見楽々』

カテゴリー: 映画/テレビ/舞台

2016/04/24  20:03


 

ミニシアター「Prime THEATER」(中野新橋)

ミニシアター「Prime THEATER」(中野新橋)

 

和太刀ミニLIVE『剣見楽々』(けんけんがくがく)を中野新橋のミニシアターで見た。殺陣集団・和太刀がディープな刀と侍の世界を演じるエンターテインメントだ。こんなものをやっているとは知らなかった。みやもとファーム「麦ノ家」(練馬区高松2)でランチした際、レジでパンフレットを見つけた。

チャンバラが好きである。時代小説もかなり読んでいる。小説の世界をもう少し深く知りたいと思い、LIVEをのぞいた。主宰しているのは清水大輔氏。彼が立ち回りを解説しながら、「一刀斎~夢想剣1、2」、「正義のために(沖田総司伝)、「心継ぐ者」などを演じた。なかなか迫力がある。

清水氏はプロの殺陣師。本当に狭いミニシアターで、臨場感に溢れていた。それにしても、高齢者は私くらいで、若い人が多いのに驚いた。

 

本当に「中野新橋」が存在した

「中野新橋」は実在した

蘭ちゃん4世満開

カテゴリー: 東京日誌Ⅲ, 花/木/樹

2016/04/21  06:56


 

次々に咲いていく

次々に咲いていく様に見とれる

 

見飽きない美しさ

見飽きない美しさ

 

蘭ちゃん4世の蕾が次から次へと開いていく。自分なりに手塩に掛けただけに愛しい。まだ蕾はある。全てが咲いたらさぞ壮観だろう。

手塩に掛けると言っても、霧吹きで水をやったりするだけだが、それでも毎日一回はしっかり観察する。太陽の光があるときは必ず葉を光りに当ててやる。それの繰り返しだ。

手入れをすれば、花はそれに応えてくれる。人もそうかもしれない。

遠来の友

カテゴリー: 東京日誌Ⅲ, 酒/酒場/居酒屋

2016/04/20  23:57


 

「船中八策」(高知)

「船中八策」をなみなみと・・・

 

「船中八策」は坂本龍馬が起草させた新国家構想。慶応3年(1967)6月9日、龍馬は土佐藩船「夕顔丸」で長崎から京都に急ぐ旅の途上にあった。土佐藩参政後藤象二郎や海援隊士陸奥陽之助、長岡謙吉らが同乗していた。

一触即発の幕府と薩長の戦いを回避させる一大奇策「大政奉還」を徳川慶喜に提案するための急ぎ旅だった。天皇を戴いた民主政体の実現を目指す「船中八策」の提言こそ急ぎ旅の目的だった。そしてそれは実現する。

「キレ味抜群の超辛口『船中八策』を酌めば、貴方の夢が、貴方だけの『八策』が、きっと脳裏に浮かんでくることでしょう」と司牡丹のHP(高知県高岡郡佐川町)は書いている。

 

スルメイカの刺し身

スルメイカの刺し身(三是寿司)

 

友の死に悲嘆に暮れていたら、北海道・小樽から遠来の友がやってきた。大学時代の下宿で一緒だった友で、どういうわけか40年以上も付き合いが続いている。

遠く離れて住むようになってからもう20年ほどになる。今でも年に1回電話で声を聞く程度。今回会ったのも10年ぶりくらい。それでも、昔の友とは会ったら、すぐに当時に戻れるから面白い。

お互い、歳は取った。しかし、心はまだ枯れてはいない。

最近、気に入っている南新宿の三是寿司(代々木2)で再会を祝した。

甲州街道から少し入ったところにある寿司屋だが、新宿という場所柄か、外国人観光客が多い。カウンターの中にいるおやじによると、「1日3組は来るよ」。この日も長い馬蹄形のカウンターに3組も座っていた。

人生は別れもあれば、再会もある。会ったり、別れたりの繰り返しだ。忙しい。

故人に一献

カテゴリー: 体調/体力/運動/病気, 東京日誌Ⅲ

2016/04/17  23:10


 

最後の一献「菊正宗」

最後の一献「菊正宗」

 

葬儀・告別式が正午から行われた。前線の影響で関東地方は朝から台風並みの強風が吹き荒れた。東中野でJRに乗り換え、三鷹まで行く。中央線が強風のため、全線で止まっていた。

しかし、運良く、三鷹に着いた時点で、運転再開のアナウンスがあった。特別快速は止まったままだが、各駅停車だけでも動いてくれて助かった。式は既に始まっていたが、何とか間に合った。

告別式も多くの会葬者で賑わった。故人の遺徳だ。出棺の時には春の嵐も収まり、明るい日差しが射してきた。故人の旅立ちを見送った。

1週間前に顔を合わせた仲間がまた顔を合わせた。1週間前の会合には故人の顔もあった。それが今はない。変な感じだ。故人を偲んで菊正宗の熱燗を飲んだ。辛かった。しかし、うまかった。

何かにつけて、情報交換と称して故人とは飲んでいた。2人でも飲んでいた。もう40年も一緒に飲んできた。その相手がもういない。これが人生なのだろうか。しこたま飲んでしまった。

最後の原稿

カテゴリー: 東京日誌Ⅲ

2016/04/16  23:07


 

最後の原稿

原稿には赤ペンがいっぱい入っていた

 

12日早朝急逝した友人の通夜式が八王子市内でしめやかに執り行われた。少し早めに行ったので、運良く式場内に入ることができた。入り切れずにロビーにたたずむ人が多かった。故人の人徳もあって、会葬者の列が途切れなかった。

享年67歳。60歳で勤めていた会社を定年退職。64歳までは同じ会社のシニア嘱託として働いた。それから3年間、フリージャーナリストとして活動した。亡くなる直前まで自宅で執筆作業を行っていた。

お清め所の隅に彼の写真や遺品などが置かれていた。写真の中で家族などとともに写っている彼は若い。「お気楽スマイル新聞」のバックナンバーが展示されていた。両親の「生誕185歳」祝いを兼ねた八ヶ岳家族旅行をトップニュースとしたファミリー新聞。こんな家族思いの一面があるとは知らなかった。

インタビュー記事の最終校正が置かれていた。赤ペンがいっぱい入っていた。最後の最後まで原稿を書いていた。原稿のない生活なんか考えられなかったに違いない。原稿こそ命だった。しかし、それはストレスというよりも喜びだったように思う。

ただ、原稿のために死んでしまったのでは何にもならない。生きていてこその原稿だ。自分が死んで、原稿が残った。やはり、残るのは原稿ではなく、彼自身だった。

お清め所で会社の元同僚らと故人を偲んだ。その後、駅近くの居酒屋で偲んでいる別の職場の元同僚らと合流。故人の思い出話に花を咲かせた。多くの人が故人を愛していた。嬉しかった。

しばらくして通夜式の行われた会館に戻った。故人の顔をもう一度見ておこうと思ったからだ。通夜式では多くの弔問客でごった返し、故人の遺影さえゆっくり見ることもできない。棺の中の彼はなぜだか、背広を着てネクタイまで締めていた。

 

熊本地震

カテゴリー: 東京日誌Ⅲ

2016/04/14  23:53


 

熊本県で震度7の地震(NHKテレビの画面から)

熊本県で震度7の地震(14日夜のNHKニュースウオッチ9、オンデマンド)

 

友の死は悲しい。ただ、悲しみにずっと浸らせてくれないのが今の時代だ。次から次へと変事が起きる。生活もしなければならない。仕事もある。生きているってことはそういうことだ。死者はそれらから解放されるが、行きている者は、大事や小事や雑事に係わっていかなければならない。

この日、帰宅したのは珍しく遅く21時40分ごろ。テレビが地震を速報していた。発生したのは14日21時26分ごろ。震源地は熊本県熊本地方。マグニチュード6.5(最初は6.4)、最大震度は益城(ましき)町の7だった。

これを書いている16日午前8時の時点では死者9人、建物の倒壊などによるけが人は1000人超に上っている。うち重傷者は53人。気象庁は15日、今回の地震を「平成28年熊本地震」と命名した。

とにかく余震が頻発している。以下は日本気象協会の過去の地震情報リスト(16日朝時点)。

発生時刻               震源地       マグニチュード  最大震度

4月14日21時26分頃  熊本県熊本地方     M6.5         7
22時6分頃      ―――       ―――                   6-
22時7分頃             熊本地方        M5.7        6-
22時38分頃             熊本地方        M5.0       5-
15日0時3分頃          熊本地方        M6.4        6+
1時53分頃            熊本地方      M4.8        5-
16日1時25分頃            熊本地方      M7.3        6+
1時44分頃             熊本地方     ―――         6-
3時3分頃          阿蘇地方        M5.8         5+
3時55分頃            阿蘇地方        M5.8          6+

震度4以下の余震は数え切れない。大地が揺らぐのは自分の存在が揺らぐのも同然だ。先週末8日に「南海トラフ地震」の話を名古屋大学の山岡耕春教授から聞いたばかりだ。

日本列島は変動帯。その変動帯が隆起して陸地を形成し、陸地の成長に伴って地震・火山・土砂移動による災害が発生している。われわれはそういう日本列島に住んでいる。巨大地震が起きるのは宿命。