2009年1月 のアーカイブ

「変化」への対応

カテゴリー: 東京日誌Ⅱ

2009/01/31  23:54


 今年は本当に寒いのか、それとも暖かいのかよく分からない。寒い日があるかと思えば、すぐ暖かくなったり、あまりにも気候の変動が激しい。丸で世界の政治・経済の激動ぶりに連動しているかのごとくだ。

 「改革」「変革」が時代のキーワードだ。オバマ米新大統領の掲げるスローガンも「Change」である。変化にだれだけすばやく対応できるか。現代人にはそれが強く求められている。対応できなければ生き残れない。

 問題はいくら対応したくても、自分の意思とは無関係に段々反応が遅くなるということだ。年齢的なものも確実にある。自分の考えに合わなければ、とても合わせる気にはならないことも少なくない。むしろ、死んでも「変わらない」と頑張ってしまうことだってあるはずだ。

 変化することが必ずしも正しいとは思わない。変わらないほうがいいものや変わってはいけないものだってたくさんあるはずである。 主義主張がころころ変わるのは逆に問題だ。ボスが変わるたびに主張が変わる人間をサラリーマン社会の中でいろいろ見てきた。

 どんなボスの下でも働けるのがサラリーマンなのかもしれない。そんな器用な生き方がだれにでもできるかとなると、それは違う。意外と不器用な人間も多い。むしろ不器用な人間のほうがある特定分野を極められるというのは事実だ。不器用な人間には巡り合ったその世界しかないからだ。

 「変化」に対応できなくなった場合、どうすればいいのか。難しい問題だ。それでも必死に変わろうともがく努力を続けるべきなのか、それとも居直って、「変化」への対応を拒絶すべきなのか。

聖路加ガーデン

カテゴリー: 東京日誌Ⅱ

2009/01/27  14:59


 聖路加ガーデンのタワー47階の展望室から隅田川を眺めた。川に架かっている橋はご存知「勝ち鬨橋」である。高層ビルで最上階の展望室を無料開放しているのは嬉しい。霞ヶ関ビルはいつの間に展望室が消えていた。今や隣りにもっと高いビルが建ってしまったからなのだろうか。

タイムドーム明石

カテゴリー: ひょうご@東京

  14:44


「築地」と言えば魚河岸であるが、市場の裏側に広がっているのが本来の築地である。結構広いが、隅田川と面する辺りは「明石町」と呼ばれている。この明石町を歩いていて見つけたのが「タイムドーム明石」。

これは愛称で、本名は「中央区立郷土天文館」。紛らわしいが、要は郷土資料室があったこの場所にプラネタリウムが引っ越してきたので、こんな名前になったのだという。
他に区民ギャラリーも併設されている。

そこで気になるのが兵庫県明石市との関わりだが、「あるようでないような関係」だという。明石から移ってきた人が切り開いたので明石町の名前が付いたという説も伝承としてはあるが、確証はないという。

面白かったのは資料室で「築地外国人居留地」の説明を見つけたこと。横浜や神戸の居留地は有名で、とりわけ神戸では「旧居留地」として今も市の中心部を形成しているのに対し、「築地居留地」を想起させるものはほとんど残されていないという。

横浜や神戸の居留地は商人が多かったのに対し、築地は外国公館、学校、教会、病院などが建ち、宣教師や教師が多く住んだという。聖路加国際病院、礼拝堂などがそれである。

「福羽逸人の軌跡」展

カテゴリー: ひょうご@東京

2009/01/26  23:39


①播州葡萄園説明

②現在の播州葡萄園航空図

③新宿御苑アートギャラリー

 上映会の会場は新宿御苑インフォメーションセンターの2階だったが、1階のアートギャラリーで「福羽逸人の軌跡」~現代に受け継がれる知られざる新宿御苑の歴史~なる展示をやっていた。「ふくばはやと」と読む。

 こんな人物は聞いたこともなかったが、実はこの人物は新宿御苑の以前の姿だった「農事試験場」で植物栽培の研究に携わった、近代園芸の祖としても高い功績を残した人物である。

 加えて同氏は日本で最初の葡萄の栽培を兵庫県稲美町で行った人物だとか。わが郷土・兵庫ともつながりのあることも分かって少し嬉しくなった次第である。単純だが、こんなもんだ。

紅梅@新宿御苑

カテゴリー: 東京日誌Ⅱ

2009/01/25  12:58



 日曜日昼下がりの新宿御苑。よく晴れて空気は澄み渡っていた。日射しのある間はとても暖かだった。気持ちが良い。やはり来てみるものである。最も寒い2月がこれから待ち構えているというのに、年が明けるともう気分は春。その証拠に梅がもう咲いているではないか。梅は春を告げる花だ。

 新宿御苑に来たのは実に久しぶりだ。20年以上来ていないような気がする。用もなかった。来たことだけはかすかに記憶している。しかし、全く思い出せない。明治39年(1906)に皇室の庭園となるまでは一時農事試験場だったという。日本庭園やイギリス風景式庭園があるようだ。

 残念ながら公園の中には入らず、新宿門隣りの新宿御苑インフォメーションセンターでアース・ビジョン組織委員会主催の上映会で「タイガの子」(2006年、ドイツ、アンドレアス・フォークト監督と「クルード-むき出しの欲望の果て-」(2007年、オーストラリア、リチャード・スミス監督)の2作品を鑑賞した。

 「タイガの子」は29分の小品。西シベリア・オビ川中流域の厳しい自然の中で育まれてきた先住民族ハンティの生活を少年の日常を通じて紹介する。近くで油田開発が始まり、彼らの生活が脅かされる姿を静かな映像が捉える。アース・ビジョン第16回地球映像祭の子どもアース・ビジョン大賞受賞。

 「クルード」は先に法政大でも観ており2度目。90分の大作で、よくできている。原油開発の結果、炭素がすさまじい勢いで放出され、地球が温暖化していく。その結果、地球は海となり、再び炭素を溜め込んだ原油が地球深くに貯蔵されるプロセスをたどる。温暖化は原油再生の営みの再現でもある。もちろん、人類は生き残れない。地球にとっては懐かしい原点回帰にすぎない。皮肉である。

ケルン

カテゴリー: 東京日誌Ⅱ

2009/01/24  12:57


 霞ヶ関ビルに行った際、近くの「ケルン」本店でランチ。近くの「飯野ビル」1階の支店をいつも愛用していたが、建て替え工事中で、ビルの姿は跡形もなく消え、ブルドーザーが土煙を上げていた。何年か後には新ビルが建つ。

「ケルン」は1960年(昭和35年)創業の正統派洋食レストラン。店内が広く、落ち着いた雰囲気は最近、雨後の筍のように誕生した店とは丸で異なる。冒険的でも刺激的でも挑戦的でもない半面、安定的かつ信頼できる。

 東京都内ではこうした昔ながらの洋食レストランは今や少数派に転落したが、変わらぬ雰囲気で、変わらぬ味を提供してくれるのは安心できて嬉しい。昭和5年(1930年)創業のつばめグリル、京橋・明治屋地下のモルチェ京橋店と並んで好きな店だ。

日比谷図書館

カテゴリー: 東京日誌Ⅱ

2009/01/22  22:38


 日比谷図書館は最も好きな図書館だ。かつて会社が隣りにあったため、何かと言ってよく使わせてもらった。それが調べごとだったり、考えごとだったり、単なる居眠りだったりしたことも多かった。時には会社のデスクではできない仕事を持ち込んで精を出したこともある。

 広尾にある調査参考専門の都立中央図書館や国会図書館などにもお世話になったが、貸し出し専門館である日比谷図書館の利便性、大衆性、気軽さを凌ぐ図書館にはまだお目に掛かっていない。地下の食堂のカレーライスはなぜあんなにうまいのだろう。

 外見はとてもオシャレな建物とは思えない。耐震補強されたものの、そんなに頑丈のようにも見えない。雑多な人が集まるので、そんなに知的な風でもない。アカデミックという点では大学図書館には多いに負けるはずだ。

 それでも日比谷図書館が好きだった。自分の唯一の著作を書架で眺めるのがささやかな個人的な喜びでもあった。その本もいつの間にか姿を消した。日比谷図書館とは長い付き合いである。節目、節目で立ち寄って、勉強したり、居眠りしたりした。

 この日比谷図書館も今年で開館100周年。展示物を見ていたら、この図書館の変遷が伺える。大変な歴史である。これからも頑張って欲しいと思っていたら、今年4月から「東京都立」から「千代田区立」に変わるという。生き残るために変わるのだろうか?

 この図書館に来る前に、東京宝塚劇場の隣りにある日比谷三井ビルに行った。久しぶりに「まい泉」のトンカツが食べたくなったからだ。それなのに、地下の食堂街は1店を除いて全部撤退していた。「昭和35年の建物で老朽化し、建て直しのため」(管理センター)だとか。

 どこもかしこも今や「CHANGE」が主流。変わることが当たり前の世の中だ。それはそれで理解できるが、変わらないほうが良いものや、むしろ変わってはいけないものもあるはずだ。変わらないことの美しさや落ち着きといったものも否定できない。変わらない物に触れたときの安らぎは何なのだろうか。こんなことを考えること自体、もう時代遅れなんだろうな。

ナショナルモール

カテゴリー: 東京日誌Ⅱ

2009/01/21  02:31



キャピトルヒルの前を埋め尽くす観衆(NHKテレビ)

同じ場所を2カ月前に歩いた

オバマ米大統領就任演説

カテゴリー: 東京日誌Ⅱ

  02:23


 第44代米大統領にバラク・オバマ氏が就任した。自宅でLIVE映像を観た。NHKより。眠い。でもこれからもいろんな場面でこの演説は繰り返し、繰り返し流される。やはりこういうものはリアルタイムで観ておくべきなのだろう。全米から200万人も集まったというのも、歴史的な就任演説の場に身を置いて、歴史を実感したい人がそれだけいたということなのだ。現場にはいけなかったが、せめてテレビではリアルタイムで・・・

「靖国YASUKUNI」

カテゴリー: 映画/テレビ/舞台

2009/01/18  15:29


 

 練馬区公民館ホールで、ドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」を観た。観たいと思っていたものの、上映中止問題が起こって機会を失っていた。たまたま掲示板に張られていた上映会のお知らせを目にして足を運んだ。

 何せ「靖国」と聞いただけで、戦争体験のない戦後派としてはそのイデオロギーのおどろおどろしさがまず頭に浮かんできて、できればあまり付き合いたくないテーマだなとの思いが去来した上、上映中止に追い込まれるくらいだから、ものすごく厄介な内容になっているはずだとの固定観念もあった。

 映画を監督したのは李纓(リ・イン)氏。日本在住19年の中国人監督で、靖国をテーマに10年以上にわたって取材を続け、この作品に結実した。国民党の将軍として孫文の参謀を務めた後日本に亡命した老人の晩年を描いた『2H』(1999)や、東京・四谷で中国伝統の味を守り続ける料理店を営む日本人夫婦を描いた『味』(2003)などを発表している。

 実際に観てみると、極めてオーソドックスなドキュメンタリー映画だったので、むしろ拍子抜けしたというのが正直な感想だ。とにかく、ナレーションが全くなく、観る者に何も押し付けないのが嬉しい。主張するのではなく、観る側に考えさせる映画である。

 映画の主人公は現役最後の「靖国刀」の刀匠、刈谷直治氏である。当時90歳。昭和8年(1935)に靖国神社の境内に財団法人日本刀鍛錬会の鍛錬所が開設され、終戦までの12年間、「靖国刀」と呼ばれる8100振の軍刀が作られた。靖国神社には天皇のための聖戦で亡くなった軍人が護国の神(英霊)として祀られているが、この軍人の魂が移された一振りの刀と鏡が靖国神社の御神体だという。

 映画は鍛冶場で粛々と刀を打ち続ける刀匠の姿を中心に展開する。作刀の過程で、軍服姿の老人や青年、小泉首相、星条旗を持ったアメリカ人男性、台湾原住民など毎年8月15日に突然、騒然とした祝祭的空間に変貌する靖国神社の参拝者などの動きを絡ませる。

 李纓監督は「これは日本人に問いかける映画なんです。私が内包している様々な疑問、直面していることに対して、ぜひ問いかけてみたかったのです。なぜ、ここまで歴史認識のギャップが大きいのだろうか・・・。」(ドキュメンタリー映画監督の土本典昭氏との対談、2007年12月12日)

 靖国神社は明治2年(1869年)、明治天皇の意向で戊辰戦争で天皇・朝廷のために命を捧げた戦没者たちを祀るために創建された「東京招魂社」が前身で、明治12年に「靖国神社」と改称。陸・海軍省の管理の下、軍による軍のための神社として、国家神道の象徴的存在になったが、戦後、国家神道が廃止され、靖国神社は単一の宗教法人となった。

 上映の前に、第二次大戦後も中国山西省に残留し、中国の内戦を戦った日本軍残留兵の問題を扱ったドキュメンタリー映画「蟻と兵隊」(池谷薫監督、蓮ユニバース、2006年7月公開)の主人公、奥村和一氏のトークがあった。「映画はナレーションがなく、強制しない。ここから何を学ぶかを訴え掛けている。現実を直視し、何かを汲み取ってくれと訴え掛けている」との奥村氏の話が印象的だった。