2015年8月 のアーカイブ

和牛は今や世界の「WAGYU」

カテゴリー: 農業/農地/農政

2015/08/27  10:28


 

ショーケースの中で熟成中の神戸ビーフ

ショーケースの中で熟成中の神戸ビーフ(ホテルニューオータニ「リブルーム」)

 

和牛の取材をずいぶん長い間続けてきた。和牛と言えば、「日本産」とばかり思っていたが、最近は「外国産」WAGYUが登場し、訳が分からなくなってきている。

日本は独自の「和牛文化」「霜降り文化」を形成し、「こんな進化した文化は世界にはない」と悦に入っていたら、いつの間にか外国でも同じような文化が育っていて、ある日、それに気が付いてびっくり仰天するのと同じパターンだ。

そんな事情を少し掘り下げて取材し、原稿にした。「和牛は今や世界のWAGYU」のタイトルで日本情報多言語発信サイトnippon.comにこの日公開された

和牛の遺伝子を受け継いだ外国産WAGYUでも、今の日本の表示ガイドラインでは「外国産和牛」と表示することはできない。「外国産牛」と表示されるだけ。

神戸牛や松阪牛などのブランド牛は久しく口に入ったことがない。一体誰の口に入っているのだろうか?

国宝茶室「如庵」

カテゴリー: 旅行/移動/街歩き

2015/08/23  23:44


 

国宝茶室如庵

国宝茶室如庵

 

犬山には、「犬山城」のほかに、もう一つ国宝があった。この「如庵」(じょあん)という名を持った茶室がそれ。織田信長の実弟で、茶の湯の創成期に尾張国が生んだ大茶匠の織田有楽斎(おだ・うらくさい、1547~1621)が晩年、武家を棄て隠棲の地とした京都建仁寺の正伝院の境内に建てた茶室だ。

如庵は1618年ころに建てられたが、明治以降各地を転々とした後、有楽斎の生まれ故郷に帰り着き、安住の地を犬山に得た。名鉄犬山ホテルの敷地内に日本庭園「有楽苑」が設けられ、その中に移されたという。

 

お抹茶をいただいた

お抹茶をいただいた

 

少し前の風雨で痛んだ屋根の修復中だった

少し前の風雨で痛んだ屋根の修復中だった

 

如庵の前の庭を静けさが満ちていた

如庵の前の庭を静けさが満ちていた

国宝 犬山城

カテゴリー: 旅行/移動/街歩き

  22:24


 

日本最古の天守閣で名高い、国宝・犬山城

 

葬儀・告別式、斎場、骨揚げ、初七日の法要を済ませ、葬祭会館を出たのは22日の午後6時を回っていた。とても、それからまっしぐらに東京まで走るのは無理だったので、ちょうど寝屋川市内で見つけた天然温泉「湯元一丁 ねや寿の湯」(寝屋川市池田中町)に飛び込んだ。

日本庭園を模した露天風呂が気持ちよく、疲れた体を癒やしてくれた。ここで午前零時近くまで仮眠し、再出発。東名・小牧ICで高速を下り、犬山市に向かった。午前8時到着。駐車場はまだ閑散としていた。

小高い公園から眺めた犬山城の姿がこれだ。何と言っても国宝!何が国宝なのかと思ったら、天守閣が日本最古だとか。天守が国宝の城は松本、姫路、彦根、この犬山のほか、今年、松江城が加わった。

 

木曽川の南岸にそそり立つ姿が美しい

 

木曽川がゆったりと流れる

 

うがいの「う」のような・・・

 

いざ登城!!

いざ登城!!

 

天守閣からの風景は丸で一服の絵

天守閣からの光景は丸で一服の絵。猛暑を忘れる心地よい風が吹き渡っていた

 

木曽川の対岸は岐阜県・各務原市

木曽川の対岸は岐阜県・各務原市

寝屋川市「香里園」

カテゴリー: 旅行/移動/街歩き

2015/08/22  21:37


 

フロントが2階の駅前ビジネスホテル

泊まったホテルインペリアル香里園

 

朝食は無料だった

 

泊まったのは2男が予約してくれた「ホテルインペリアル香里園」(大阪府寝屋川市香里新町)。京阪電車「香里園駅」から徒歩3分のビジネスホテル。2男が以前住んでいたマンションの目の前だが、ホテルの裏側のマンションに日本全国の目が集まっていたとは、その段階ではつゆ知らなかった。

寝屋川市で中学1年の平田奈津美さん(13)が殺害され、友人の星野凌斗さん(12)の遺体が発見された事件が起こっていることはもちろん知っていた。しかし、事件の起きた寝屋川市駅は香里園の隣駅だった。

通夜式が終わった頃にはどうも、平田さんの死体遺棄容疑で山田浩二容疑者(45)が逮捕された速報が流れたようだった。ゆっくりテレビを見る時間はなかったので、知らなかった。

 

 

問題のマンション

 

マンションの前は報道陣だらけ

 

それがこの日の朝、ホテルのロビーで朝食を食べたあと、部屋のある6階から香里園周辺の写真を撮ろうと思って、非常階段に出たら、こんな風景が下に広がっていた。ホテルの裏側のマンションに山田容疑者が住んでいた。びっくりした。全くの偶然だ。

 

 

香里中央商店街

 

 

 

 

 

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葬儀・告別式は午後1時からだった。10時チェックアウトしてから時間があった。香里園駅周辺を散策した。カメラを首からぶら下げていたら、「報道関係者」と間違われた。

故人の愛した「バードウォッチング」

カテゴリー: 体調/体力/運動/病気

2015/08/21  23:35


 

棺に納められた思い出の品々    棺に納められた思い出の品々 

 

人は生まれれば必ず死ぬ。早いか、遅いかだけの話だ。とはいうものの、やはり、人が死ぬまでに生きた時間は多寡にかかわらず、さまざまな色に染まっている。とりわけ、1人の人生でなかった場合、ともに生きた人たちの胸には思い出が残る。

息子の義父が亡くなった。脳梗塞で倒れ、入院加療中で、病気のほうはかなり快方に向かい、食事も再開。もうしばらくしたら退院できるめどが付いたと思われた矢先だった。74歳の生涯だった。3月に会ったばかりだった。

直接の死因は誤嚥(ごえん)性肺炎だった。口の中や胃の中のものが誤って気管に入ることで起こす肺炎。高齢者、とりわけ脳梗塞などの脳血管障害がある場合、誤嚥が起こりやすいという。入院して2カ月だった。

故人は家庭菜園とバードウォッチングが好きだった。野菜作りをやめたあたりから体調が悪くなったという。近所に市から農園を借り、野菜作りにいそしんでいた。採れた野菜を家族や孫たちに食べてもらうのが楽しみだったという。そう言えば、東京のわが家にも送ってもらったことがあった。

野菜作りはやさしいようで難しい。これまでに自宅の裏庭で1度挑戦したことがあったが、続かなかった。義父はかなり本格的に取り組んでいたという。そのうち、手ほどきを受けたいと思ったこともある。

故人が最も愛したのはバードウォッチング。「バードウォッチングが大好きで、どんな離島でも双眼鏡を持って飛んでいき、日本にいる鳥はほとんど見たと言っていたことも思い出されます」と喪主は述懐している。

棺には野鳥の会のガイドブックや野鳥の写真集のほか、旅行ノートも納められた。めくったノートのページには、「舳倉島へ」と書かれていた。舳倉島(へぐらじま)は能登半島の輪島沖から北方へ約50kmにある孤島。

透き通った美しい海に囲まれ、海女(あま)による素潜りが伝承され、別名「海女の島」とも呼ばれているという。磯釣りを楽しめるほか、一定の期間、渡り鳥が休憩地とすることから、バードウォッチングの場としても人気のスポットだとか。故人は島で多くの野鳥を見たことだろう。

通夜式に出席。故人を偲んだ。合掌

 

TPP交渉決裂の真相

カテゴリー: 会見メモ, 政治/外交/国際/軍事, 農業/農地/農政

2015/08/19  23:31


 

会見する鈴木宣弘氏

 

ゲスト:鈴木宣弘東大大学院教授
テーマ:TPP①
2015年8月19日@日本記者クラブ

鈴木宣弘(のぶひろ)氏は1958年三重県生まれ。東大農学部卒業後、農水省に入った農水官僚。農水省には15年いて退職。九州大学教授を経て、2006年から東大教授。元農水官僚は今やばりばりの環太平洋経済連携協定(TPP)反対の急先鋒だ。この日はTPP反対の立場から7月末のハワイTPP閣僚会議決裂の真相を語った。

この日の会見について、レコードチャイナに、論評無しのストレートニュースとして書いた。

鈴木教授は質疑の中で、米国の意向に日本が沿う形で物事を進める姿勢においては安保法制とTPPは全く同じであるとし、「米国には思考停止的に追随する一方、中国や韓国に対しては逆に何も考えずに対抗的な姿勢を取っている」とし、「こんなことをやっていると、アメリカが『もう日本はいいよ』と言った場合、日本だけが孤立してしまう」と指摘した。

その上で、「もう少し、世界の中で日本がどういう立ち位置で、どういう国と、どういう関係を持っていくかを自主的に戦略を持った上で対応していかないと危機的な状況になれば、日本の国民にとって不都合な状況が生じてくる」と警告した。

そう言えば、鈴木教授が東大農学部の「日本農業を考える」公開セミナー(2012年11月10日)で同じ学部の本間正義教授と論争したことを思い出した。鈴木氏が「TPPで崩壊する」、本間教授は「TPPで再生する」と真っ向から対決した。東大もなかなか面白いことをやるものだと思った。

TPP交渉は「足踏み」か「漂流」かの瀬戸際に来ているようだ。日本でもそれなりにもめたが、今ではすっかりもう議論的には”決着”が付いて「TPP合意は既定事実化」しているのは鈴木教授の指摘通り。

アメリカは何でもめているのだろうとぼけっと見ているだけだ。今回の大筋合意を阻んだニュージーランドの行動についても「小国の乱」との受け止めにとどまっている。

TPPの本質を理解しないことが日本人にとってどれだけ「不都合な真実」をもたらすものなのか。想像力をもっと、もっと発揮しなければならないことだけは確かだ。

日本で企業統治が育たないのは「投資家が経営者に圧力を掛けなかった」ため

カテゴリー: 会見メモ

2015/08/18  23:13


 

会見する宮内義彦氏

 

ゲスト:宮内義彦氏(オリックス・シニア・チェアマン、日本取締役協会会長)
テーマ:東芝不適切会計問題と企業統治
2015年8月18日@日本記者クラブ

 

オリックス名誉会長を退任し、今はシニア・チェアマンである宮内義彦氏の登場は日本取締役協会の会長として、コーポレートガバナンス(企業統治)のあり方を聞いた。

日本取締役協会は社外取締役、独立取締役の集まり。「経営者、経営者OB、弁護士・公認会計士・大学教授などの専門家、投資家など、経営に携わる人々が、コーポレート・ガバナンスの普及・啓蒙を通じて、企業と日本経済の持続的発展のために集まる、日本で唯一の団体」(協会について)。

宮内氏によると、経済界でコーポレートガバナンスが意識され始めたのは1990年代に入って、バブル崩壊で日本経済が沈滞したとき。立て直すには日本の企業経営に欠けたものがあったのではないかと考え、欧米の事例などを参考に勉強会が始まった。それを具体的な運動にする必要を感じ、経済同友会の有志で推進する組織を2002年3月に作ったという。

当時はコーポレートガバナンスという言葉をまだ聞くことがなく、「そんなものは必要ないじゃないか」との反応もあったという。「経済界の片隅の片隅の運動」(宮内氏)で、存在感は決して高くはなかった。今も経団連や同友会、日商などに比べると、格段に認知度は低いのが現実だ。

コーポレートガバナンスが急に注目を浴びたのは皮肉にも、日本を代表する大企業で、企業統治の優等生と思われていた東芝。歴代3トップが利益のかさ上げや損失計上の先送りを指示するなど不適切会計(要は粉飾会計)処理が明らかになったからだ。

田中久雄社長と前社長の佐々木則夫副会長、前々社長の西田厚聡相談役のトップ3人が辞任した。利益を上げることは重要だが、あくまで適正な会計処理に基づくのが大前提。

コーポレートガバナンスの充実・普及を主導しているのは民間ではなく、政府。アベノミクスの一環で、企業の活性化を図ろうとしているからだ。民間の経営者は自分の思い通りの経営をしたいのに、手足を縛るようなコーポレートガバナンスに熱心に取り組みたくないのが当然だという。

ただ、政府による改革は進み始めている。金融庁と東京証券取引所は今年6月から、東証上場企業を対象に、独立性が高い社外取締役を2人以上選ぶように促すことなどを盛り込んだ企業統治指針(コーポレートガバナンス・コード)の運用を開始した。企業は指針に沿った体制整備が求められ、指針を実施しない場合はその理由を説明しなければならない。今年は「企業統治元年」らしい。

宮内氏が会見で話した内容の一部をYouTube動画を見ながら書き出してみた。

・「欧米の企業統治ははるかに先を行っているという。どのように充実していったかという歴史を考えると、「お金を出す側が自分の本当に大事な資金を、企業の根源的な資金として提供するんだから、それを充実した形で運営してもらわないと困る。それを運営する責任者の経営者に対してしっかりと目を光らせていないとどうなるか分からない。投資家が圧力を掛けてコーポレートガバナンスを徐々に作っていった歴史がある。お金を出す側が自分のお金を守りたいがために経営者がしっかりやっているかどうか、しっかりやっているんだったら、もっとしっかりやらせる。ダメなら代えてしまうという決意をもってガバナンスを作り上げた」

・「日本ではどうか。日本の投資家はどうしているのか。不思議なことに日本の投資家は経営者にほとんど圧力を掛けない。ときどき、はぐれオオカミみたいな物言う株主が出てくると、文字通りはぐれオオカミ扱いで、『不思議なことをするな』ということで終わってしまう。99%の株主はその会社にお金を出して、経営のすべてをゆだねるという形でやってきた。経営者がそれに応えてグローバルに匹敵する業績を上げておくという歴史を作っているならば、日本でガバナンス問題は起こらなかった。しかし、1つの指標ではあるが、ROE(株主利益率)は欧米企業の半分。経営力がないのか、ガバナンスがないから経営力を発揮できないのか、どっちか分からないが、ダメじゃないかと政府からも言われる現状で、ガバナンス問題が出てきた」

・「また、海外の投資家も日本の市場を動かすだけの売買をしているが、実際上、海外の投資家の中のごく一部は物言う株主、まさにこれもはぐれオオカミ的な扱いであって、ほとんどの海外の投資家は日本にある程度のアロケーション(割り当て)をしないといけない。しかも、日本というのは特殊な市場なんだから、ガバナンスとか言ってもできはしないので、ありのままで日本に投資して、その中で、よりましなところに投資しようという態度できたんではないか」

・「内外ともマーケット、投資家が日本の経営に圧力を掛けなかった。だから日本のガバナンスは充実することがなかったんではないか。今や欧米の経営力と日本の経営力の格差が非常にはっきりしてきた。半分しか力がない。制度的には欧米ではかっちりしている制度が日本では皆無。どうして日本の経営力が半分なのかについては答えは分からない。ガバナンスがないことだけははっきりしている。取りあえずこれを何とかしないといけないというのが現在の動き」

・「私に言わせれば、日本のガバナンスが欧米と同じになったら、日本のROEが倍になるかというと絶対にそうはならない。企業経営は形と魂。まさに経営力があるかないかがその次に問われる。ガバナンスがイーコールになった場合は、日本の経営者は力があるかないか、そちらの競争に次はなっていく。その競争をする前の段階として、欧米のガバナンスは社外取締役を2名以上入れるなんていう水準をはるかに超えている。厳格なガバナンスを年々作り上げていっているのが現状。日本のガバナンスは一歩動いただけ。ものすごい勢いで追い付いていかないと、形の上だけでもさらに引き離される危険性がある」

『日本のいちばん長い日』

カテゴリー: 映画/テレビ/舞台

2015/08/17  23:53


 

ユナイテッド・シネマ・としまえんにて

ユナイテッド・シネマ・としまえんにて

 

作品名:『日本のいちばん長い日』(原作:半藤一利『日本のいちばん長い日』)
脚本・監督:原田眞人
阿南惟幾・陸軍大臣:役所広司
昭和天皇:本木雅弘
鈴木貫太郎・総理大臣:山﨑努

「安倍首相戦後70年談話」に思う

カテゴリー: 政治/外交/国際/軍事

2015/08/14  22:34


 

記者会見する安倍晋三首相

記者会見する安倍晋三首相

 

安倍晋三首相は14日、戦後70年を記念し、首相談話を発表した。談話は臨時閣議で決定したのち、首相が記者会見して読み上げた。

談話は会見直後にネット上で公開された。約3400字。読み上げは20分以上続いた。

全文は何度も読んでみた。常に比較される村山首相談話「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話、1995年8月15日)も読み直した。こちらは約1300字。安倍談話は村山談話の3倍。

安倍談話では村山談話で示された歴史認識に関わる4つのキーワード「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「心からのお詫び」が盛り込まれるかどうかが注目された。

安倍首相は談話作成にあたり、当初「お詫び」や「侵略」は盛り込まず、「謝罪外交」から脱却したいとの持論を貫きたい考えを持っていたといわれる。しかし、安全保障関連法案の審議に伴い内閣支持率が低下したことや連立与党・公明党の要請も受けて、両方とも盛り込む現実的な対応に切り替えたとされる。

4つのキーワードが明記され、字数も大幅に増えたものの、安倍談話を何度読んでも、心の底からの反省の気持ちはにじみ出てこない。無理に反省をしようとしているようで、文章が何とも不自然で、他人事のように感じられるのだ。

こんな談話ならむしろ出さないほうが良かったとも思える。村山元首相は大分市での記者会見で「植民地支配や侵略をしたことが大変悪かったと率直に謝る印象の文になっていない」と批判したが、村山談話はあまりに率直すぎて、逆に政治的メッセージとしては問題のように思える。難しいものだ。

談話作成にあたっては、安倍首相は、戦後70年談話に関する有識者会議『21世紀構想懇談会』(座長・西室泰三日本郵政社長)の報告書を参考にすることで各界の考えを取り入れることにした。それゆえ、談話はバランスは取れた内容になったものの、安倍首相自身の本音は影を潜めることになった。読んでいて、心を打たないのだ。

日本の政治家の言葉はなぜこれほど、聞く者の心に響かないのか。自分の言葉を持たないのか。聞いていても胸を打たない。面白くもない。あれだけ多くの言葉を吐き出しながら、心に迫る言葉が全く出てこないというのも不思議極まりない。政治家に信を持てないのはこのためかもしれない。

『8.15と3.11』

カテゴリー: Books

2015/08/11  19:52


 

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書名:『8.15と3.11』(戦後史の死角)
著者:笠井潔(かさい・きよし)
出版社:NHK出版新書(2012年9月10日第1刷発行)

 

『永続敗戦論』を唱える白井聡氏との関連で読んだ。3.11は8.15以降の戦後史の必然的な帰結であるとの論考をまとめた一冊。8.15を真に反省できなかった日本人が、「平和と繁栄」の戦後社会に災厄の種をまいたことを明らかにする内容だ。

笠井氏は1948年生まれの団塊世代。私と同年齢。プロレタリア学生同盟のイデオローグだったらしいが、連合赤軍事件を契機に学生運動から離れたという。推理小説やSF小説を多数手掛けているようだが、1冊も読んだことはない。

それにしても、この本も言わんとしていることは分かるが、あまりにも言葉が自分勝手で、いかにも学生運動の活動家らしい言い回しのオンパレード。分かりやすい文章とは対極的で、読み続けることが苦痛。テーマがいくら鋭いとしても、もう少しこなれた文章で読みたい。

・「1945年8月15日、日本国民は天皇による「大東亜戦争終結の詔書」のラジオ放送によって、ボツダム宣言の受諾と敗戦の事実を知った。無条件降伏を容認しない軍の一部による抵抗、軍人や右翼活動家の自決など多少の混乱は生じたが、大多数の国民は平静に、あるいは虚脱と無気力状態のなかで玉音放送を聴いた。占領体制は、アメリカが期待した以上の従順と無抵抗のうちに受け入れられた」

・「8.15の直後から思想や価値観の劇的な転換がはじまった。『鬼畜米英』から『アメリカ民主主義万歳』という具合に。一瞬のうちになされた、無節操ともいえる国民的総転向である」

・「軍事的に意味のない沖縄作戦が『空気』による決定の産物だと指摘したのは、『「空気」の研究』の山本七平だった。山本は、『戦後、本作戦の無謀を難詰する世論や史家の論評に対しては、私は当時ああせざるを得なかったと答うる以上に弁疏しようと思わない』という豊田副武そえむ連合艦隊司令長官の言葉を引用し、『彼が「ああせざると得なかった」ようにしたのは「空気」であった』と評している」

・「『空気』による決定は沖縄作戦にとどまらない。ポツダム宣言の受諾と無条件降伏に帰結した対米開戦の決定自体が、『空気』の産物といわざるをえない」

・「総理大臣の直轄機関である総力戦研究所は、1941年の夏に日米戦争の机上演習を行った。緒戦の優勢は期待できるが長期戦化は避けられない、圧倒的な国力の格差から戦局は逆転し、ソ連参戦によって日本は敗北するという机上演習の結果は、ほぼ正確に日米戦争の推移を予想していた」

・「総力戦研究所による『日本必敗』の結論を知りながら、東条英機首相は対米開戦に踏み切る。東条は『人間たまには清水の舞台から飛び降りることも必要だ』と、また山本五十六は『是非やれと言われれば初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる』と近衛文麿に語った。日米戦争の回避という選択は排除され、日本は『無謀な戦争』に突き進んでいく」

・「漠然とながら日米戦争の勝利は難しいと認識していても、完敗してアメリカの半属国に落ちぶれるという想像力は皆無だった。最悪の事態を想定しての必要な準備ができず、危機管理能力を致命的に欠いているのは、日米戦争から福島原発事故にいたるまで、『空気』が支配する日本社会の致命的な病理といわざるをえない」

・「対米開戦こそ、上から下まで日本社会に瀰漫する『空気』の支配、『空気』による決定の典型例のように見える。しかし、問題はそれにとどまらない。すでに230万の戦死者を算え、戦略爆撃や原爆投下で都市は廃墟と化し、米軍の本土上陸さえ切迫した昭和20年8月初旬の日本を、もしも戦争指導者層が4年前に確実なものとして予見していたとしよう」

・「この場合は、中国からの撤兵と権益の放棄、日独伊軍事同盟の破棄などアメリカの要求を呑んでも、開戦は回避されたろう。1941年にアメリカから提案されたハル・ノートでも、日露戦争までに得た領土や権益は保護されていた。いっさいを失う胎便戦争の敗北よりはましである」

・「しかい戦争指導者層は、無条件降伏と反属国化を必然化する徹底的な敗北を予見しえていない。考えたくないことは考えない。考えなくてもなんとかなるだろう。これが『空気』の国の習い性だ」