2013年12月 のアーカイブ

『真田太平記』

カテゴリー: Books

2013/12/31  20:14


1年がかりで読み終えた

1年がかりで読み終えた

 

書名:『真田太平記』(全12巻)
著者:池波正太郎
出版社:朝日新聞社/新潮文庫

いつから読み始めたか覚えていない。ブックオフでたまたま買ったのは一年ほど前。ベッドに入ってから入眠導入剤的に読み始めた。せいぜい10分もすれば眠くなってそこで読書は終わりだ。

それも毎日となると、ページ数は増える。別の本も読みたくなるから、枕元には常に何冊も本が積み上がっている。しかも、この種の小説は自宅専用、ベッド専用としているので、読み終わるまでどうしても時間がかかる。

1巻を読み終えたら、また次を買ってきたり、ブックオフに在庫がなければ時間がかなり空くし、新刊を買ってきたりもした。図書館で借りて読んだこともある。ハードカバーは揃っていなかった。結果的に文庫本が多い。

それにしても息の長い物語だ。信玄亡きのち、武田家の当主となったのは武田勝頼。信玄の切り開いた東海進出、さらには上洛への道の前に立ちはだかったのは織田信長だった。命運を決したのは天正三年(1575)の三河(愛知県設楽原)で激突した長篠の合戦。

勝頼が信長に大敗したのは鉄砲の数で圧倒されたからだ。500挺弱と3000挺の差だ。猛勇を誇る武田軍の騎馬隊も信長軍の鉄砲隊に息の根を止められた。勝頼は本拠地・古府中(甲府)に逃げ帰った。

信長の長男・信忠を大将とする織田軍約5万が包囲するのは伊那の高遠城。美濃から伊那谷を通って甲斐へ攻め込もうとしている織田軍にとっても、本国の甲斐一国に押し詰められ、敵を防ごうと必死の武田家にとっても、高遠は最後の関門だった。

高遠城は、むかし、伊那の豪族・高遠氏の居城だった。祖父・曾祖父の代から高遠家の家来だった武田家麾下の小山田備中守の長柄組の足軽である向井佐平次も一員として城に籠城。南曲輪の左手にある「法憧院曲輪」をつなぐ土塁の内側に身を横たえ、仮眠していた。

城の周りは織田軍の軍勢が取り囲み、見渡すかぎりに織田軍のかがり火が燃えさかっていた。明日にでも総攻撃が始まると、必ず死ぬのだから、「今夜だけは、しずかに、亡父・猪兵衛のことをおもいうかべながら、ねむりたかった」。母は7歳の夏に亡くなっていた。ときに佐平次は19歳。

そんな佐平次に「明日は、お前、死ぬる身じゃな」とささやいてきた女がいた。曲輪の一隅に、細長い十坪ほどの仮小屋が建てられてい、その中で寝起きしている女だ。女忍びの名前は「お江」。

このお江が亡き父ごの友達に頼まれて佐平次を救いだす。これが長い、長い物語の始まりだ。お江の主人こそ真田安房守昌幸。長男の源三郎信幸、二男源二郎信繁(のちの幸村)の父である。

「お笑月」が来る

カテゴリー: 東京日誌Ⅱ

2013/12/30  19:27


晦日のお買い物

「お笑月」がやってくる(リヴィン光が丘店)

 

食品売り場は大賑わい

食品売り場は大混雑(同上)

 

暮れである。晦日である。お正月の2日前だ。今年もずいぶん押し迫ってきた。残すところ、あと大晦日の1日だけ。泣いても笑っても今年は明日1日だけで終わる。時間だけはどうしようもない。どうにも逆戻りできない。

午後になって近くのスーパーマーケットに正月を迎える食料品を買い出しに行った。喪中なので、祝い事はできない。我が家に集まる人数も夫婦+1or2。今年は久しぶりに静かな正月を迎えられそうだ。

賑やかな正月もいいが、歳をとってくると、静かな正月も悪くはない。クルマのタイヤをノーマルからスノータイヤに履き替えた。作業中にTSUTAYAでDVDを4枚借りてきた。正月休み中に見るつもり。

もう何十年も仕事や原稿に追われる年が続いた。大晦日から元旦にかけて勤務する当番になったことも何度かあった。今年はそれもないし、なによりも原稿の締め切りに追われないのが嬉しい。

原稿の締め切りに追われるのもそれはそれで緊張感や使命感があって、生き甲斐がなくもないが、苦しいことには違いない。その苦しさを乗り越えて、原稿を書き上げたときの達成感は格別のものがあるのは確か。

そういう生活をもう何十年もやってきた。60代も半ばになった。もうそろそろ楽してもよいのではないか。そう思ったときから本当の老化が始まる、のも間違いない。それはそうだが、身体が思うように動かない、とならば、その現実を直視する勇気も必要なのかもしれない。

それでも、来年も少しは原稿を書き続けたい。原稿を書くことをやめたときは本当の人生の終わりだ。原稿を書き続けることは、自分にとっては生き続けることでもある。されど、正月休みくらいのんびりしても罰は当たるまい。

春の息吹

カテゴリー: 東京日誌Ⅱ

2013/12/29  19:46


ボケの蕾

ボケの蕾

 

大寒波の襲来で全国的に冷え込みが厳しい。北日本や日本海側で雪が降り、交通にも大きな影響が出ている。そうした中で、東京はずっと好天・晴天が続く。不思議な土地柄だ。

今年は兵庫・丹波の実家に帰らず、東京で年越しを迎えるつもりだ。前日は家の中を掃除したが、今日は家の周りを片付けた。普段はほとんど手を掛けられることなくほったらかし。荒れ果てた感じでやはりこれでは正月を迎えられない。

ボケのもう赤い小さな蕾を付けている。まだ固いのがほとんどだが、1つだけ今にも開花しそうな雰囲気だ。毎年、田舎から戻ってくると、咲いている。しかし、今年は咲いたのが2月だった。それが今年は暮れのうちから咲き始めている。新しい年に期待を抱かせる。

膨らんできた梅の蕾

膨らんできた梅の蕾

 

3年前に植えた枝垂れ梅にも蕾が一杯付いている。枝がずいぶん太くなった。小振りながらも全体の格好はもう立派な梅だ。春よ来い、である。

まだまだ小振りですが・・・

まだまだ小振りですが・・・

 

『漆黒の霧の中で』

カテゴリー: Books

2013/12/28  20:18


大江戸ハードボイルド第2弾

大江戸ハードボイルド第2弾

 

書名:『漆黒の霧の中で』(彫師伊之助捕物覚え)
著者:藤沢周平
出版社:新潮社(新潮文庫、昭和57年2月刊行)

彫師伊之助捕物覚え第2弾。「竪川に上った不審な水死人の素性を洗って、聞き込みを続ける伊之助の前に繰り広げられる江戸の町人たちの人生模様-。そして、闇に跳梁する謎の殺人鬼による、第2、第3の殺人--。伊之助の孤独な探索は、大店の主人や寺僧たちの悪と欲の世界を明るみに出すが・・・」(裏表紙)

文庫の解説を書いた磯貝勝太郎氏によれば、主人公伊之助の原型は、捕物小説の中編『囮』(昭和46年下半期、第66回直木賞候補作)の主人公、甲吉だとか。業界紙の編集長をしていた時代に小説をひそかに書いていたという。

また他に、連作小説「出会茶屋-神谷玄次郎捕物控」があるという。こう書いているうちに、本屋に走りたい気持ちになっている。そんなに先にならないうちに読むことになるのは確実だ。

「見たくないものは見えない」

カテゴリー: 体調/体力/運動/病気

2013/12/26  21:29


街を歩けばクリニックに当たる

街を歩けばクリニックに当たる

 

「見たくないものは見えない。見たいものが見える」(ローマ帝国ユリウス・カエサルの格言)。

東京電力福島原子力発電所事故調査・検証委員会(委員長・畑村洋太郎東大名誉教授)は2012年7月23日に公表した最終報告書の最後に、「委員長所感」を記している。

「今回の事故からどのような知識が得られるかについて整理した」もので、所感は全部で7点。2番目に記したのがカエサルの言葉だ。

「人間はものを見たり考えたりするとき、自分が好ましいと思うものや、自分がやろうと思う方向だけを見がちで、見たくないもの、都合の悪いことは見えないものである」との教訓を引き出している。

「東京電力の自然災害対策において、津波に対するAM (アクシデント・マネジメント)策を整備していなかったことや、複数の原子炉施設が同時に全電源喪失する事態への備えがなかったことにも、このような人間の心理的影響が垣間見える」と指摘している。

こんな大げさな話をするつもりは全くなかった。胸痛がこのところ、立て続けに起こったので掛かり付けの内科医に行ったら、心臓血管外科の専門医を紹介された。

年内最終日のきょう、恐る恐る指定されたクリニックに行った。そのクリニックは前の勤務先と目と鼻のところにあった。銀座5丁目。昭和通りを渡った東銀座だ。その辺りは10年以上もうろうろした場所だから、大体何があるかは分かっているつもりだが、クリニックについては記憶がなかった。

2006年に開業し、東銀座には2010年8月に移転してきたという。2年間ほどはその前を何度も通っているはずだ。1階の和装販売店・銀座橘苑はよく覚えている。2階だったから目が行かなかったのかもしれない。

それまであったビルなどが壊され、更地になったとき、それまでどのようなビルが建っていたのかよく覚えていないことがよくある。いつも前を通りながら、目線も向けていながら、そういうことがある。それは即ち、関心を持って見ないと、見えないということだろう。

見たくないもの、関心がないものは実際には見ていない、ということだ。それが言いたかった。それがたまたま東電事故調の報告書に書いてあったことを思い出した。

ニトロペン舌下錠

カテゴリー: 体調/体力/運動/病気

2013/12/25  23:58


ニトロペン舌下錠0.3mg(白)

ニトロペン舌下錠0.3mg(白)

今年になって、狭心症というか、心筋梗塞というか、胸が圧迫され、重苦しく感じる発作に頻繁に襲われている。6月5日に勤務先のデスクで昼食時間におにぎりを1つ食べ、2つ目を食べようと口に入れた途端、急に心臓がどきどきと早鐘を打つ状態となった。休憩室で30 分ほど横になっていたらすーっと良くなった。2週間後の21日には母の葬儀が始まる直前、朝食を摂ろうとして息苦しさと動悸の高まりに襲われた。

夏は特に発作も起きなかった。次に起きたのは10月21日。しかも、お湯に浸かってのんびりしているときだった。樫尾記念館を訪れた帰途、スポーツクラブで身体を癒やそうとお風呂に入った。いいお湯だと気持ち良く入っていたら突然胸が苦しくなった。リラックスしているときでも発作が起こったことに驚いた。

次は12 月20日。通勤で朝、地下鉄に乗車している際に急に胸が苦しくなった。座席に座って本を読んでいるときだ。痛くなったのは胃のあたり。20分ほどで収まったが、これまでに感じたことのない場所だった。

24日夜にも再発した。これも地下鉄車内だった。新宿駅で降り、ベンチで30分ほど安静にしていたが、改善しなかった。もう一度電車に乗ったが、体調に自信が持てず、次の都庁前駅でまた降りた。そこのベンチでも20分ほど静かにしていたら、何とか収まった。何かがサインを出していることは確かだ。

6月には24時間「ホルター心電計」検査を受けたが、異状は認められなかった。やはり、心臓の異常は症状が表れたときでないと異常をキャッチできない。発作は10月と12月にも再発した。これだけ頻発するのでは放っておけない。

身辺で、友人・知人がこの1年間に何人も倒れた。大阪の親友は大動脈瘤破裂で4月に死んだし、知人の主婦は大動脈瘤解離で亡くなった。心筋梗塞で倒れた人もいる。

25日に受検したのは頸動脈の超音波検査(頸動脈エコー)。その結果、頸動脈の血管の壁は厚くはなっているものの、年齢相応のもので、特に詰まっている状態ではなかった。

頸動脈エコーは頸動脈壁の厚み(肥厚)やプラーク(血管の壁内にコレステロールがたまること)を見つける検査。頸動脈で血管が脳へ行くルートと顔面に行くルートに分岐しており、頸動脈の状態を検査することで、脳周辺の血管の状態を推測できるという。喉と心臓も見てもらった。

動脈硬化の初期段階とはいえ、今すぐにどうこうという状態ではなかった。しかし、狭心症や心筋梗塞の症状が表れているのは事実だ。5年ほど前に一度、1時間以上も身体が動かなくなったことがあった。

内科医の診断は軽い狭心症か、逆流性食道炎。後者も胸痛を伴うことがあるという。こうなってくると、1つ、1つ要因を潰していくしかないようだ。

この日処方されたのは逆流性食道炎対策のネキシウムカプセル20mgと狭心症の発作を和らげるニトロペン舌下錠。後者はもらった薬袋に「頓服薬」と書かれていた。「とんぷく」という言葉は時折聞くが、何のことだろうと後ろを見たら、「症状の変化に応じて、必要なときだけ飲む薬」のことだった。

朝昼晩と指定されたときに指定されたように飲むのが薬だと思っていたら、必要なときだけ、つまり発作などが起きたときだけ飲む薬というのもあることをあらためて知った。それがとんぷくだった。固有名詞ではなく、一般名詞だった。薬を飲むのも勉強だ。

「ニトロ」と聞けば、「ニトログリセリン」を思い浮かべる。ニトログリセリンはダイナマイトの原料であり、爆薬だ。しかるに、医薬品のニトロは狭心症治療薬として古くから使われている。爆発することもない。一般名(成分)はニトログリセリン(舌下)だが、製品名としては「ニトロペン舌下錠0.3mg」というらしい。

心臓の冠動脈のほか、全身の血管を強力に広げ、心筋に血液がたくさん届くようにする。心筋に血液がたくさん届くようになれば、心臓の負担も軽くなり、心臓の発作も収まる。舌の下で解かして服用する。飲み込んでも効果はない。3分ほどしても効果がないときには1錠追加。即効性がある。ただし、2錠飲んでも効果がなければ、打つ手なし。

狭心症には有効だが、心筋梗塞には効果がないともいう。狭心症は数秒から数分持続するが、私の場合は30分から1時間ほど続いており、ニトロは無効なのではないかと恐れている。ニトロ薬のことは話では聞いたことがあったが、それを常時携帯するハメに陥るとは思わなかった。いやはや歳をとるということは結構大変なことである。

 

「日本文化」に足りないのは「対話力」

カテゴリー: 会見メモ

2013/12/24  23:59


会見する平田オリザ氏

会見する平田オリザ氏

 

会見者:平田オリザ氏(劇作家)
テーマ:「首相の演説と日本の政治」
2013年12月24日@日本記者クラブ

内閣官房参与として鳩山元首相のスピーチライターを務めた平田オリザ氏の登場だった。「オリザ」はラテン語のoryzaの「稲」の意味で、「こどもが食いっぱぐれのないように」と父親が付けた本名だという。

絶叫型ではなく、淡々とした会話とやりとりで進む「静かな演劇」のスタイルを打ち出すとともに、現代口語演劇の作劇術を確立したことでも知られている。白髪が目立っていたが、1962年生まれで、まだ50代前半と若い。

劇団青年団主宰。大阪大学コミュニケーションデザインセンター教授。フランスでもう15年間も活動していて、今も年に2カ月くらいは向こうに滞在しているという。最近はロボットを使ったアンドロイド演劇を手掛けている。演劇に縁がない者にはチンプンカンプンだが。

興味があったのは作家として、どういう言葉を紡ぐのかだ。「日本語の達人」である氏から語られる言葉に関心があった。彼がこの日注目したのは「文明と文化」、「ネーションとステイツ」、「対話と会話」の差異。その違いを明確にすることで、「日本文化」に足りないのは「対話力」であることを指摘した。

■文明と文化

文明とは「たれもが参加できる普遍的なもの・合理的なもの・機能的なもの」をさすのに対し,文化はむしろ不条理なものであり,特定の集団(たとえば民族)においてのみ通用する特殊なもので。他には及ぼしがたい。つまりは普遍的でない(司馬遼太郎『アメリカ素描』)

 

 

2日も早いX’masケーキ

カテゴリー: 東京日誌Ⅱ

2013/12/23  21:02


自家製Xmasケーキ

自家製Xmasケーキ

 

クリスマスケーキはいつ食べればいいのか。イブの24日なのか、Xmasデーの当日なのか。考えているうちに分からなくなってしまった。

検索したら、24日のイブに七面鳥やケーキを食べながら盛大に祝い、25日の当日は静かにお祈りをするのが正しい過ごし方のようだ。昔、英国に住んでいたとき、イギリス人の友人宅に呼ばれたのは25日だったように記憶している。

昼頃に伺って、庭で子どもたちがトレジャーハント(コインが入っていた)をしたあと、リビングで色んなものを詰め込んだターキーをメインに食事をした。豪勢なケーキを食べたことはなかった。

今年の24日は火曜だった。21-22-23日が3連休。我が家でXmasをしたいという孫娘の要望で、1日繰り上げてイブイブの23日(天皇誕生日)にXmasをした。と言っても我が家のXmasはケーキを食べることだけ。

今年のケーキは手作りだった。ただ、スポンジケーキから作るのではなく、スポンジは買ってきて、クリームだけ自宅で作り、デコレーションして、これも買ってきたイチゴを飾り付けるだけ。それでも大型ケーキができた。

Xmasと結び付いているのはお祈りをする宗教ではなく、ケーキを食べるイベント。日本の場合、何でもイベント化するのが実にうまい。難しいことは抜きにして取りあえず楽しもうという貪欲な姿勢だ。

商魂に簡単に乗せられる国民性には危ういものがある。Xmasケーキぐらいなら可愛いものだが、それが政治的意図などに根差したものである場合、結構深刻だ。こんなことを考えていたら、ケーキがまずくなるにちがいない。無粋だ。

今年の「冬至かぼちゃ」

カテゴリー: 東京日誌Ⅱ, 食/食堂/レストラン

2013/12/22  18:17


冬至かぼちゃ

膨らみ具合をみると、小豆というよりもどうも「ささげ」のようだ

 

今年も冬至がやってきた。こちらから呼ばなくても、向こうからやってくる。毎年必ずやってくる。1年間で一番昼間の時間が短い日だ。明日から昼がちょっとずつ長くなっていく。一番長いのが夏至だ。

去年は食べ損なったが、今年は口に入った。由来については2年前に書いた。小豆とかぼちゃを煮たものだが、忘れていたがさつまいもも入っていた。だから余計に甘い。

昼間が一番短くて、薄暗い。寒くて、もうひとつ冷え冷えとしている。そんな季節にこれをいただくとホットする。長く生きてくると、こんなことにささやかな幸せを感じる。

西京みそ漬+砂丘ながいも

カテゴリー: 東京日誌Ⅱ

2013/12/21  23:32


 

主食は焼き魚

メインの蔵みそ漬のさわら

 

寒くて買い物に出るのが億劫。なので今夜はあり合わせで済ませることになった。関西方面や北海道から送られてきたお歳暮をいただくことにした。あり合わせとは言いながら、土地の逸品だった。

メインは西京みそ漬のさわらと銀だら。西京(さいきょう)は東京(とうきょう)に対応した言葉で、京都のことを表す。どうも京都は何につけ気取っている。

西京みそ(京都で作られる甘い白みそ)にみりん、酒などを加えた漬け床に魚の切り身を漬け込んだものを西京みそ漬という。いただいたのは京都の「一の傳」(中京区柳馬場通り)の蔵みそ漬。3年連続で、食の最高峰と言われる「モンドセレクション」の最高金賞を受賞したという。

東京にも京粕漬の名店「魚久」(中央区日本橋蛎殻町)がある。東京でなぜ西京漬なのかというと、初代が奈良県の生まれで京都で料理の修行を続け、大正3年に高級鮮魚小売店「魚久商店」を開いた場所が蛎殻町だったとか(魚久HP)。とにかく、おいしくいただきました。

 

砂丘ながいも

砂丘ながいも

一緒に食べたのがながいも。砂丘地で栽培されているためか、地中の生育自由度が高いのかしれない。とにかく、肌がきれいで、長くて真っ直ぐなのが自慢らしい。

おがくずの中に横たわる長いも

おがくずの中に横たわるながいも

 

かぼちゃの素焼き

蒸しカボチャ

 

こちらは蒸したカボチャ。カボチャは小樽の友人が毎年、秋に送ってくれる野菜定期便の中に入っていた。これを電子レンジ専用の圧力鍋で蒸す。

圧力鍋は食材に圧をかけることで、柔らかくしたり、味を染みこませたりする時間が大幅に短縮できるのが利点。ボルシチなどのシチュー料理に力を発揮するが、これまで大型のステンレス鍋を使っていた。

今年夏に母が亡くなったとき、四十九日の忌明法要の引き出物にしたのがこのレンジでチンする圧力鍋。素材はプラスチック(合成樹脂)の一種のポリプロピレン。とにかく軽い。さらにレンジに入るコンパクトさが好評だ。

製造しているのはマイヤージャパンの米親会社マイヤーインターナショナルホールディングス(カリフォルニア州バレーホ)。