2010年3月 のアーカイブ

桜並木@光が丘

カテゴリー: 東京日誌Ⅱ

2010/03/30  07:25


 昨日に続いて今朝もとにかく冷え込んだ。昨日と違うのはよく晴れたことだ。東京は快晴だった。晴れているのとそうでないのとでは格段の違いだ。とにかく気分が違う。コートを着た上に手袋をはめて桜並木の下を通勤する。このアンバランスには違和感を覚えるが、これも時代の必然か。

 日本列島、桜だらけである。どこへ行っても桜だ。全国各地に名高い桜も多かれど、あえてそこまで行かなくても、それなりに風情を楽しめる桜が至るところで咲いている。自分の気に入ったところの、気に入った桜がだれにもあるはずだ。

 若いころは何も感じなかったのに、若くなくなって、そうでもなくなった。あと何回、桜を見られるのかとつい考えてしまう。1年に1回しか咲かないから、開花すると、また1年が過ぎたことを思い知らされるからだ。

 自宅の敷地に桜を植え、そこにござを敷いて花見をするのを夢見てもうずいぶん経つ。夢を見るのは自由だから、今でも見ているが、アクションを起こすには至っていない。植える以上、桜守りが必要だからだ。だれも眺めてくれない桜では寂しい。

花冷え@石神井川堤

カテゴリー: 東京日誌Ⅱ

2010/03/28  16:03


 せっかく桜が開花し始めたというのに、あろうことか寒波が日本列島を直撃。とても花見気分どころではないと思いつつ、体を温めようと石神井川沿いに日曜ジョギング&ウォーキングに出た。ところが、10人ほどのおじさん・おばさんグループが車座になっているのに出くわした。

 寒くても、予定していた以上、花見をせざるを得なかったのだろうか。つい、ご苦労さまですと声をかけたくなった。寒いのに花見は辛い。結構、難行苦行である。寒さを忘れるためには、歌を歌うしかない。知っている歌を次から次へと歌いまくり、何とか寒さをしのぐのだ。

 もちろん伴奏なしのアカペラで歌うのだ。とても1人じゃできない。何人かいないと格好もつかない。昔、隅田公園で、桜こそ満開だったものの、よく冷えた日に花見をしたことがあった。ビールがとびきり冷たかったことを今でも思い出す。それほどまでして花見をしなければならないのか。それが江戸っ子のイキなのか。

紅枝垂れ梅

カテゴリー: 東京日誌Ⅱ

  00:10


 初孫誕生を記念して、わが家の庭に植樹した。2月に生まれたので梅にした。女の子なので紅にした。3月ならば、桜にするつもりだった。苗木は越生梅林で買った。ミニSLが走る梅林そばのお土産屋さん「利根川屋」の利根川さんから買った。もう35年も梅の苗木を売っているという。

 梅か桜を植えるときは、「枝垂れ」(シダレ)にしようと思っていた。枝垂れている姿が何とも風情がある。梅・桃・桜で上方に伸びないのは梅。目先きで楽しむのなら梅である。距離を置いて楽しむのなら桃かもしれない。樹高が伸びても、風に枝垂れる花を楽しむのなら、絶対に桜だろう。

 いつ目の前によその家が建つか分からない都会地の、それも小さな庭に植えるのならば、梅以外の選択肢はないのかもしれない。大きな穴を掘り、腐葉土を敷き詰め、そこに苗木を植え込む。周りに掘り起こした土を戻した。あとは水と愛情を注ぐだけである。しかし、愛情を間断なく注ぐのが一番難しいような気がする。

練馬区基本構想策定記念シンポジウム

カテゴリー: 講演会/シンポ/セミナー/勉強会

2010/03/26  23:25


 東京の西端・練馬区に転居したのは1996年5月。それまでは都立光が丘公園を挟んだ板橋区に通算12年間住んでいた。引っ越しは3男の義務教育終了のタイミングだった。練馬区に住んで早いもので15年目になる。あっという間だ。

 この15年間で、それまでまだまだ多かった畑の宅地化も急速に進み、世の中的には少子化に歯止めが掛からないというのに、近隣小学校だけは生徒数急増という異変に見舞われていると聞く。何か変な感じである。それでも、こどもが多いことは未来に対する希望につながるから嬉しい。区の人口は70万人超。

 会社勤めをしているときは地域社会にほとんど目が行かなかったのに、一応のサラリーマン生活に区切りが付いた途端、急に地元が気になってくるものである。今頃気づいても、とき既に遅しかもしれないが、それでも気づかないよりはましにちがいない。

 バス停から歩いて帰る途中の町内掲示板に「練馬区基本構想策定記念シンポジウム」開催のお知らせが貼られていた。まず地域のことをよりよく知ることを始めることこそ、地域デビューの第一歩。シンポ参加は、これまでほとんど縁のなかった地元を知る格好の手掛かりだ。

 かすかに知っていたが練馬区は東京23特別区の中でも最も新顔だ。1947年(昭和22年)に板橋区から分離独立し誕生。一番新しかったこともあって、他の特別区に比べ下水道や道路など都市基盤の整備は立ち遅れ、行政施設の水準も低く、いわゆる「練馬格差」と呼ばれる状況があったという。

 基本構想は地域における総合的、計画的な行政運営を図るためには不可欠なものだが、区独立30周年に当たる1977年(昭和52年)に初めて策定された。その後、社会経済情勢や区政の取り巻く状況が大きく変化したことを踏まえ、区政運営の指針として平成21年(2009年)12月、新基本構想が策定された。

 新基本構想が10年後の練馬区の姿として描いているのは、「ともに築き、未来へつなぐ 人とみどりが輝く わがまち練馬」。これを区民の参画と協働の下、従来の行政分野を越えて横断的に取り組むことにより、①豊かなみどりを守り、増やし、活かす②まちの魅力を引き出し、活力を高める③未来を拓く人の学びや活動を支援する―ことを目指す。

 具体的な重点事業として掲げたのが①みどりプロジェクト②農プロジェクト③アニメプロジェクト④人づくりプロジェクト―の4つの「ねりま未来プロジェクト」。シンポはこの4つのプロジェクトに取り組んでいるキーマンをパネリストに行われた。

▼農プロジェクト
 練馬区の農地面積は約260haで都内No1。約1.3haの白石農園を営むのが白石好孝・俊子夫妻。300年前から大泉で農業をやっているという。平成9年に農業体験農園「大泉 風のがっこう」を開設。平成15年には練馬在住の農家を中心として、NPO法人「畑の教室」を設立。教育、生涯学習、福祉、文化など農業のもつ多面的な機能を生かした社会貢献活動を展開している。

・魅力的な都市型農業を振興する
・都市農地保全に向けた制度の見直しを働きかける
・農のあるまちづくりを推進する

▼アニメプロジェクト
 練馬は日本が世界に誇るアニメ文化の発祥の地で、半世紀を超す歴史をもつという。また、日本最大のアニメ産業が集積しているという。その中心的存在が漫画家の松本零士氏。昭和38年に区内に転居して以来、区や地元商店会の事業にキャラクターを提供するなど、その発展に大きく貢献している。「銀河鉄道999」は不朽の名作だ。

 「アニメは唯一、確執のない大きな世界だ。アニメを通じて穏やかな交流ができる。そうしたものを練馬から発信していければすばらしい」と松本氏。

・アニメを国際競争力をもつ産業に育成する
・アニメ文化を通して練馬の魅力を高める 

▼人づくりプロジェクト
 組織の活性化、地域の活性化の決め手は何と言っても人。「組織づくりは走りながらでも考えられる。問題は人づくり。人材の発掘に尽きる」と高橋司郎練馬区町会連合会副会長兼光が丘地区住民組織連合協議会(光連協)会長。

 平成20年4月から21年5月まで区基本構想審議会会長として答申取りまとめに関わり、シンポのコーディネーターを務めた大杉覚首都大学東京教授は、「基本構想の内容は他の自治体がまとめている構想とそれほど変わったところはないが、区民の強みを発揮できる仕掛けを作った。参画と協働の精神で、ちょっとずつ関わっていくことが重要だ」とシンポを締めくくった。

 ちょっとずつ関わっていく・・・。これならば、何とかやれるかもしれない。そういう気持ちになってきた。


         (小雨に濡れながら咲き始めたソメイヨシノの大木、練馬公民館)

送別ランチ@パリの朝市

カテゴリー: 東京日誌Ⅱ

2010/03/24  12:30


 3月も終盤になった。あと1週間で2009年度も終わる。さよならだけが人生だ。38年間勤めた会社での仕事を打ち止めることになった社友と送別ランチを一緒した。パリの朝市銀座店(中央区銀座4丁目10-2)。こじゃれた雰囲気の居心地の良いレストランである。パリにはこんな店が多いよ、と昔パリ好きの知人が連れてきてくれた店だ。

Aコース           2625円(税込み)
前菜              小海老と春野菜のサラダ仕立て エストラゴン風味
メインディッシュ       子牛ロース肉のパネ フロマージュとアーモンドの香り(魚料理はサワラのポワレ)
デザート3種盛り合わせ
コーヒー

『激震マスメディア』

カテゴリー: ジャーナリズム

2010/03/22  23:55


NHK放送記念日特集『激震マスメディア~テレビ・新聞の未来~』(午後10時ー11時30分)はメディアで仕事をしてきた人間にとって見逃すことのできない番組だった。ジャーナリズムはいつの時代も問題を抱えてきたと思うが、ネット時代の到来で、その問題点がこれまで以上に、くっきり浮かび上がってきた。

インターネットの登場でマスメディアを取り巻く環境はガラリと変わった。新聞やテレビを中心とするマスコミは確かに変わり、マスコミ批判も盛り上がっている。批判は必要だが、今問われているのはメディアをどうするかだと思う。

判断し行動するためには情報が不可欠だ。それをどう確保するか。これまではマスコミが一手に情報の収集・整理・伝達の役割を担い、それが権威を生む土壌になっていた。情報を出す側の政府や権力とつながり、情報を独占することによって、情報を受ける側を支配しようとしてきたきらいは否定できない。

ネットの出現で、マスコミの情報独占に風穴が空いた。マスコミほど大掛かりではないものの、ミニコミや個人に情報伝達能力が備わったからだ。やろうと思えば、だれでも情報を発信できる。情報の信頼性や影響力はまだマスコミに軍配が上がるが、それに引けを取らぬミニコミ、個人が出現してきても不思議ではない。一部にはもう出現している。

問題は新しいメディア空間をどのように構築するかだと思う。それも受け手主体のメディア空間をどう創造するかだ。これはメディア側の問題というよりも、メディアを通じて情報を受ける側の問題だ。情報の受け手が真価を問われる時代である。

越生梅林

カテゴリー: 東京日誌Ⅱ

  13:49


 昨年、その見事な姿を楽しんだ地蔵院のシダレサクラを今年も見ようと思い、埼玉方面に車を走らせた。大泉から川越に向うつもりが、車線変更に失敗し、そのまま関越自動車道に乗ってしまった。乗ってしまった以上、どうにもならない。

 仕方ないので三芳PAで一休みしながら、行き先を考えた。気象庁は午前、東京でソメイヨシノが開花したと発表したものの、見頃には程遠いはず。そこで急きょ、桜を梅に変更。三芳PAのコンシェルジュに尋ねたら、ちょうど今日まで、越生梅林(おごぜ・ばいりん)で梅まつりをやっているという。

 越生梅林(埼玉県越生町大字堂山)は関東3梅林の1つ。歴史も古く、梅を植えたのは南北朝の頃と伝えられる。九州・大宰府から天満宮を分祀する折に、梅を植えたのが始まりという。今年の梅まつりは2月13日から3月22日まで。他の2つは水戸偕楽園(茨城県水戸市)と熱海梅園(静岡県熱海市)。

 樹齢300年を越える老木などおよそ1000本が咲き誇る。梅まつりの最終日だったが、それでもまだまだ多くの梅が花を咲かせており、十分堪能できた。桜なら、ちらほら咲き程度だったはずだ。梅で正解だったかもしれない。

『半眼訥訥』

カテゴリー: Books

  11:26


書名:半眼訥訥
著者:高村薫
出版社:文春文庫(2003年2月10日第1刷):単行本2000年1月文芸春秋刊

 強風が吹き荒れた前日がウソのように朝から明るい日差しが降り注いでいる。家の中にくすぶっているのが申し訳ないような陽気に誘われて庭に椅子を持ち出し、食後のコーヒーを飲みながら、読み止しの本を読み終えた。

 庭にはガーデンシクラメン、パンジー、ボケ、クリスマスローズ、ジュリアン、花ニラが花を咲かせている。チューリップの茎は大きく伸び、ヒメウツギとハナカイドウも蕾を膨らませ、今にも咲きそうだ。ハナミズキやヒメシャラも追っ付けそれに加わることだろう。春が駆け足でやってきた。

①クリスマスローズ


②花ニラ

③ジュリアン

横田基地第5ゲート

カテゴリー: 東京日誌Ⅱ

2010/03/20  18:42


 夢というのは見続ければ必ずや実現すると確信しているが、問題は見続けることが意外と難しいことだ。見続けるのを邪魔する雑事・雑念が雲霞の如く襲来し、足を引っ張るからだ。見続けることさえできれば実現するものを、うかつにも途中でつい投げ出してしまうからだ。しかし見続けてこそ、夢だと思う。

 52歳でマクドナルドを創業したレイ・クロックの言葉にはいつも勇気付けられる。

やり遂げろ!この世界で継続ほど価値のあるものはない。
才能は違う―才能があっても失敗している人はたくさんいる。
天才も違う―恵まれなかった天才はことわざになるほどこの世界にいる。
教育も違う―世界には教育を受けた落伍者があふれている。
信念と継続だけが全能である。

 少年時代から空への憧れを夢に見続けた知人がパイロットになる夢を実現したものの、病魔に襲われ、天国に旅立った。享年61歳。私と同年、同時代を生きた人だった。高校卒業後に自衛隊に入隊。夢を実現するため米国に渡り、マイアミのパイロット養成学校に入学して操縦士の免許を取得した。

 帰国後は大手航空会社に属さず、小規模な航空会社で遊覧飛行など業務用操縦士として活躍。病に倒れるまでは会社経営にタッチする一方、自分でも国内外の空で小型機の操縦桿を握り続けた。パイロットという職業は極度の緊張を強いられ、ストレスの多い仕事にちがいない。

 骨髄性白血病を発症したのは昨年1月ごろ。5人のドナーから献血を受けた骨髄移植手術は成功し、一時快方に向っていると聞いていた。本人も「3月職場復帰」を目指してリハビリに精出していた。しかし、今年に入って病状が急変し、3月14日夜、遂に帰らぬ人となった。

 葬儀の行われた式場祭壇の横には、渡米する際、飛行機のタラップに乗る前に父親と一緒に撮った写真やパイロット時代の飛行記録ノート、操縦士の制服、家族との写真、一緒に腕に抱えて海を渡り訓練の合間に吹いたトランペットとその譜面など思い出の品が置かれていた。

 米軍横田基地のすぐ近くにある彼の自宅を一度訪れたことがある。年に一度基地で開催される友好祭のイベントを覗いたときだ。10年以上前のことだ。真夏の暑い日だった。庭の桜はもう1-2週間もすれば、主の不在を知らないまま、見事な花を咲かせることだろう。

 「大手航空会社に所属することなく、1人のパイロットして操縦することにこだわり続けた彼のような生き方は、空を飛ぶことを目指す人間にとっては理想的な姿だと思う」-マイアミで一緒に訓練を受け、今は大手エアラインのパイロットをしている故人の友人は静かに語った。

 こどもは親の背中を見て育つという。残された3人のこどもは、それぞれの夢に挑戦している。1人は既に夢を実現し、残る2人もひたむきに夢を追い続けている。まるで、故人が夢を追い掛けたように。合掌。


                (横田基地の隣りを走る国道16号)

 横田基地(横田飛行場):東京都の多摩地域5市1町(立川市、昭島市、福生市、武蔵村山市、羽村市、瑞穂町)にまたがる米空軍基地。主に輸送基地として利用されている。滑走路1本(3350m)。日米両政府は2006年10月、米軍が管制権を持つ「横田空域」の約2割を日本側に返還する交渉で合意し、民間航空機の運航障害が大幅に緩和された。

 東京都は首都圏の空港機能整備の一環として、横田飛行場を民間航空との共同飛行場として有効活用することを米政府に提案。今年1月と3月には小型機の空中衝突防止会議に出席する形で民間機が横田飛行場に着陸した。国内米軍基地では既に三沢基地(青森県)が民間航空利用されている。
 

ハクモクレン

カテゴリー: 東京日誌Ⅱ

2010/03/16  23:51


 雨上がりの朝。雨の雫をたっぷり吸ったハクモクレン。目の高さでじっくり観察した。こぶしもこのくらいの高さで見られればよいのだけど・・・