「系統運用と自然エネルギーの大量導入」シンポ

カテゴリー: 再生可能エネルギー, 講演会/シンポ/セミナー/勉強会

2018/10/16  22:18


パネルディスカッションで議論する登壇者たち

 

「系統運用と自然エネルギーの大量導入」~100%自然エネルギーを目指すデンマークの知見を学ぶ~と題した国際シンポジウムが16日、東京ミッドタウン日比谷6階のBASE Qで開催された。

デンマークは自然エネルギーの大量導入を目指し、1970年代から風力発電の開発やバイオエネルギー、自然エネルギーの熱利用を進めてきた。同時に系統や熱を利用し、世界トップレベルの柔軟な送電網運営を行っている。

また、洋上風力発電プロジェクトに取り組み、現在の洋上風力開発ブームの先駆者となっただけでなく、画期的なコストダウンも実現している。

シンポではデンマークの系統運用会社エナギネット、電力会社オーステッド、資源エネルギー庁新エネルギー課長、MHIヴェスタスなど洋上風力発電の関係企業を招き、多面的な視点から日本の進むべき方向性を考えた。

 

日比谷テラス

 

日比谷テラス

 

目の前は日比谷公園

 

お堀端

 

下から眺めると・・・(日比谷交差点)

 

 

京都伏見・寺田屋

カテゴリー: 旅行/移動/街歩き, 歴史的建造物/産業遺産

2018/10/10  23:23


 

寺田屋外観

 

2階はこんな感じ

 

旅籠

 

坂本龍馬使用の六連拳銃

 

雨の中をこぎ出す十石舟

 

京へ来たら一度はお寄
伏見寺田屋 坂本龍馬
昔白刃のうらばしご

寺田屋(京都市伏見区南浜町)は、大阪と京都間の通船「三十石船」の京都側に船着き場を持つ大きな船宿だった。薩摩藩の定宿でもあった。

船宿の営業時間は1日20時間で、朝から夜まで2時間ごとに客の食事、休憩、入浴などの世話をするので大変忙しかった。

梅の間はその当時、龍馬が愛用していた部屋で、慶応2年(1866)1月23日幕吏の襲撃を受けたときもこの部屋に泊まっていた。寺田屋は今も泊まれる。

龍馬はこのとき、負傷しながらも脱出に成功し、薩摩藩に保護されたという。

2男の自宅は大阪府寝屋川市。車で国道1号を走ると30分で池田屋に着いた。大阪にも京都に行くにも足場が良さそうで、この日は伏見を訪ねた。

稲畑式三番叟

カテゴリー: 丹波日誌, 旅行/移動/街歩き, 神社/仏閣

2018/10/07  23:22


 

翁が舞う稲畑式三番叟

 

三番叟と千歳(せんざい)

 

御神燈

 

五穀豊穣や家内安全を祈願し、氷上町稲畑の奴々伎(ぬぬぎ)神社の舞堂で7日、「稲畑式三番叟」が奉納された。稲畑地区の秋祭りの一環として行われ、農産物の品評会や素人演芸会もあった。

稲畑式三番叟は、丹波市指定文化財(無形文化財)。氏子である稲畑地区全戸で「稲畑式三番叟保存会」が組織され、継承している。翁役を奥井巧太さん、二番叟役を中島颯仁君(南小3年)、三番叟役を山本陽友君(同6年)が務めた。

実家の柏原町で、家屋管理者として風害被害を実況見分し、屋根屋さんに損害額の見積もりを出してもらった。それが終わって、隣町の氷上町稲畑の次姉宅に向かった。大阪府吹田市に住む長姉夫婦も来ていた。

家族水入らずで再会できた。ちょうどその日は「稲畑式三番叟」を奉納する日。次姉によると、「稲畑式三番叟は今から150年程前から伝わっている伝統芸能で残っているのは珍しい」という。せっかくなので見学させてもらった。

和風レストラン「ザ・めしや」

カテゴリー: 旅行/移動/街歩き, 食/食堂/レストラン

2018/10/06  20:03


 

名古屋飯「めしや」(刈谷ハイウェイオアシス)

 

客は自分の好きなものを選ぶ

 

選んだのは和食だった

 

 

名古屋めし

 

夕食は伊勢湾自動車道の刈谷ハイウェイオアシス。最近はここで安定している。今はどのSAもPAも同じような食事だ。食べたいとも思わない。

そんな中でほっとするのが刈谷の名古屋めし。名古屋には面白い飯やお菓子が多い。きしめん、牛すじどて丼、八丁味噌煮込みうどん、特製味噌カツ、ざるきしめんなど。

どれも味付けが濃いのが難点で、今の私には縁遠いが、この日は結局、松茸ご飯、赤だし、厚焼き卵、サラダなどにした。

ザめしやを展開するのは何と大阪府吹田市に本拠を置くライフフーズ。和風レストラン「ザめしや」の業態で東海、近畿、中国(岡山県)で展開。またファーストフード店「ザめしや24」や街かど屋、めしや食堂、讃岐製麺などを繰り広げている。

この日は刈谷ハイウェーオアシスが14周年祭を開催中。手羽先1本をサービスしていた。私は鶏は食べないので恩恵に預かれなかった。

オーバーサングラス

カテゴリー: 旅行/移動/街歩き

  15:51


 

運転専用サングラスの店「アイゾーンニューヨーク」掛川店

 

高性能偏向サングラス

 

掛川PA

 

東京を13時20分に出発した。孫のうんどうかいをみてからだ。夜10時ごろをめどに大阪府寝屋川市の2男の自宅に着きたかった。

環8を通って30分後には東名に入っていた。途中、足柄SAと掛川に休んだ。

ずっとサングラスが欲しいと思っていた。それも度付きレンズのサングラスだ。新規で買うしかないのかなと思っていたら、「めがねの上にかけられるサングラスがある」という。

オーバーサングラスがそれだ。専用設計のフレームを採用することにより、コンパクトでフィット感にも大変優れている。

めがねの上に乗せてみた。ぴったりだった。最近、10年ぶりに眼鏡市場で眼鏡をローンで新調したばかり。そのローンが落ちていないのにサングラスも買うのはやはり気が引ける。

結局、ローンが落ちてからにした。ミラーレス一眼レフやオーバーサングラスなど欲しいものが目白押しだ。一番欲しいのはパソコンだったが、それを買った後も次から次へと出てくる。まだまだ働かなくてはいけないようである。

アイゾーンジャパンの東京オフィスは中央区銀座。関東エリアではアウトレット店のほか、海老名SA下り線店がある。

うんどうかい

カテゴリー: 東京日誌Ⅲ

  12:18


 

うんどうかい

 

綱引き

 

お遊戯

 

近くに住む孫の運動会が10月6日午前開催された。前日まで雨だったが、当日は陽が差し、晴れた。天気情報が重要だ。妻にせかされ、大忙しだった。

孫は6歳。今年が最後の運動会。園児数も少なく、親もしっかり子どもを見守ることができるメリットは大きい。「光が丘地区の小学校はどこも建て売り住宅がたくさんできて生徒が急増中。小学校は目立たないから幼稚園では目立ってほしい」と願う親が多い。

練馬区は幼稚園が少ない。区立は3園で、むらさきはその1つ。保育園が多いのは仕方がない。むらさき幼稚園は「こどもたち主体の遊びを大切にしている幼稚園で、好きな遊びを自分でみつけ、友だちと楽しく遊んでいる」ようだ。

江戸東京たてもの園

カテゴリー: 地震/豪雨/熱波/自然災害, 東京日誌Ⅲ, 歴史的建造物/産業遺産, 花/木/樹

2018/10/01  21:25


 

江戸東京たてもの園

 

10月1日は都民の日。東京都が1952年に制定した記念日の1つ。企業は休まないし、近くに住む2男のママもパート勤め。よって孫3人の接待がこちらに回ってきた。

台風24号が日本列島を縦断したのは10月1日(月)。9月30日午後はそれほどでもなかったが、夜になって風雨が強まり、我が家も慌てて玄関前の植木鉢やゴミ箱を家の中にしまい入れた。

夜も風雨は収まらず、2階はガタガタギシギシし外の風がピューピュー強く吹いた。怖くてとてもそのまま寝られなかった。やっとベッドに入ったのは1日午前3時すぎ。

日本近海の海面水温が例年に比べて高く、日本列島に上陸する台風も年2回。気象庁によると、1991年の統計開始以降初めてだという。

都民の日は小中高の学校が休みのほか、庭園や動物園・植物園、美術館・博物館など東京都の運営する21施設も入園・入館料が無料でもある。

それにしても猛烈な風雨だった。家の中にいて今回のような恐怖感を覚えたのは初めてだった。しかし、それからまもなくして外は台風一過の秋晴れとなった。気温もフェーン現象で日中は30℃を超す暑さだ。3人の孫にはどこかへ行こうと約束していた。

結局、出掛けた先は都立小金井公園内にある江戸東京たてもの園(小金井市関野町1)。しかし、そこで見たのは台風24号の荒々しい爪痕の痕跡だった。

 

ポッキリ引き裂かれた桜の老木

 

落ちていた大枝

 

ポキッと折れた赤松

 

バキンと真ん中から二つに引き裂かれた木

 

館内の展示室では特別展「東京150年-都市とたてもの、ひと」が開催されていた。それをざっと見た後、主に東ゾーンとセンターゾーンの屋外展示物を観覧した。

 

明治初期に創業した武居三省堂(文具店)

 

港区白金台に1928年(昭和3)に建てられた木造3階建ての大和屋本店(乾物屋)

 

東京の銭湯を代表する子宝湯(足立区千住元町)

 

台東区下谷の言問通りにあった居酒屋「鍵屋」

 

明治から昭和にかけて国政を担った高橋是清邸の2階は2.26事件(1936)の現場になった

 

2時間ほど歩いたのち、ビジターセンター(旧光華殿)を出たら、良い匂いが漂ってきた。金木犀だった。

 

立派なキンモクセイ

 

正面に向かって右側のキンモクセイ(金木犀)。左側にも「対植」されているようだが、見落とした。高さ10m、枝幅8m。これまで見た中では一番大きい。写真の上が切れてしまった。

中をのぞくとこんな感じ・・・

 

地面には台風で落ちた花粉が散乱していた

 

 

 

「魚屋シュン」と「さかなや旬」

カテゴリー: 食べ物

2018/09/29  21:41


 

都内最大級の店舗を誇る魚屋シュン

 

東京練馬区谷原(やはら)近くに都内最大級の売場面積と魚の種類を誇る鮮魚販売店がある。「株式会社シュン」(本社埼玉県さいたま市北区、大川戸健代表)がそれだ。母体は昭和41年(1966年)に浦和卸売市場内に開業した丸大商店。現在も浦和と大宮に店を持っている海産物問屋だ。

平成7年(1995年)4月に株式会社シュンを設立し、東京都練馬区で鮮魚販売を開始した。対面販売がメーンで、それを生かした「魚屋」にこだわり、魚屋の「らしさ」にこだわっている。新鮮な「旬」の品揃えに力を入れている。

子どもの家に近いのと新鮮なので、結構利用している。運動会の岐路、カニ鍋を我が家でやることになって立ち寄った。魚の勉強もしている。

 

初めて食べた「ホウボウ」はうまかった

 

ホウボウには足があり、歩き方も面白い。また羽のような胸びれも持っている。魚としては珍しい部類に属する。

高級魚。めでたい魚として知られている。暖海性の底生魚で、主に海底で生活しており、水深25~600mの砂泥地を歩くように泳いでいる珍しい魚だ。

日本では北海道南部以南の浅瀬から深場まで様々な場所にいる。 海外でも黄海、渤海から南シナ海にいるので中国やフィリピンなどのアジアを中心に世界でも多く水揚げされる魚だ。

漢字では「魴鮄」と書く。上品な白身で鯛やフグに似て旨味や甘味が強い。 クセがないのも特徴で、とろっとした食感とほど良い柔らかさも楽しめる。店で刺身にしてもらった。子どもたちも箸を伸ばした。こんなうまい魚だとは思わなかった。

 

これは結構ポピュラーなスズキです

 

こちらはキシタイ

 

これもタイ

 

太刀魚

 

ご存じサンマ

 

真イワシ

 

「アニサキス」にご注意を!

 

「アニサキス」にご注意を!のチラシが至る所に張ってあった。芸能人がこれにかかって七転八倒の苦しみを覚えたことで最近急に注目が集まっている病気だ。

アニサキスは寄生虫の一種。サバ、イワシ、カツオ、サケ、イカ、サンマ、アジなどの魚介類の内臓に寄生したアニサキスの幼虫によって引き起こされる。幼虫は白い糸のような形状で、大きいものは長さ3センチ、太さ1ミリと肉眼で確認できるサイズだ。宿主である魚が死ぬと、内臓から筋肉に移動する習性を持っている。

食中毒で最も多いのは急性胃アニサキス症。食後数時間から10数時間後に、みぞおちを何かで刺されたような激しい痛みを感じ、悪心、嘔吐も伴う。胃より先の腸に侵入した急性腸アニサキスの場合、激しい下腹部の痛みや腹膜炎の症状が出る。

アニサキス幼虫は人間の体内では数日しか生きられないが、それまでの間に暴れ回る。死に至る病ではないまでも死ぬほどの苦痛を味わうことになる。

予防方法としては①加熱(60℃で1分)②冷凍処理(マイナス20℃で24時間)の2つ。要は生食はしないことが重要だ。しかし、これはできないとなると、目視で確認しアニサキス幼虫を除去するしかない。

 

魚屋シュンの猛烈な抗議!

 

面白い魚屋が出てきたものだなと思いながら回っていたら上のようなお知らせ見つけた。「光が丘IMA店内に今月オープン予定の『さかなや旬』は当店とは一切関係ございません」といった内容だ。

素直に読めば、「谷原のシュンが遂に光が丘に進出した」と思うだろう。事実、そう思った。ところがそうではないのだという。一体これはどうなっているのか。

IMAには2件の魚屋が入っていた。1つは魚耕(本社・荻窪)。もう一つは海星ムサシ(本社・福岡市)光が丘店だ。どちらも大型店だが、うち海星ムサシが8月理由もなく閉店した。それとなく関心を持っていたら、後釜は神奈川県を中心に首都圏で鮮魚・寿司小売り業を展開するSHUN-GROUPだった。株式会社旬(本社・神奈川県厚木市)と平成12年月設立の株式会社「旬フーズシステム」(同)を傘下に持つ。

谷原と光が丘は歩いて15分くらい。商圏も重なる。谷原店が光が丘に引っ越したと考える顧客が普通だ。でもそうではなかった。顧客層がちょっと違う気がするが、どうなんだろう。登録商標も含めて当然議論されたはずと思うが、顧客にとってはややこしいこと変わりない。

しかも、この件について何ら説明もなかった。何か少し説明があっても良さそうなものだと思うが、どうだろうか。

運動会:「島人ぬ宝」

カテゴリー: 体調/体力/運動/病気

  19:58


 

エイサー!!島人ぬ宝を演技する3年生

 

9月29日(土)は練馬区立北原小学校の運動会だった。練馬区内の小学校は全部この日が運動会だった。台風24号が接近中で、前日は快晴だったが、この日は朝から雨が降りそうな気配だった。

何とか学校に着いたら、既に開会式は終了。6年生によるグレイテスト・組み体操が始まっていた。いつ降るかと思いながらも、3年生の出番。今年はエイサー!!「島人ぬ宝」。どうも孫の姿しか目に入らないらしい。

「島人ぬ宝」(しまんちゅぬたから)はBEGIN(ビギン)の23枚目のシングル。2002年5月22日発売。ビギンは沖縄県石垣市出身の3人からなる日本のアコースティックバンド。エイサー曲として利用されている。また「涙そうそう」のヒット曲もある。

 

 

結局、今年最後の6年生から1年~5年までやったところで本日の体育会は中断となった。次は10月2日(火)に残りの部が行われる予定だ。1日は都民の日で休み。

 

4年生によるUkiuki Smile America

 

敬老席に座れるのは72歳以上で70歳になった私は”無資格者”だった

 

子どもの成長は早い。こんなことも、あんなこともできるようになった。親は大変だが、先生はもっと大変だ。

母が小学校の先生だった。先生にはなるものではないなと思って育ったが、孫を持つにようになって「先生も悪くないな」と思っている。

 

 

日本、ロシアになる恐れも

カテゴリー: 会見メモ, 経済/デリバティブ

2018/09/27  21:43


 

「10年後にはソ連が崩壊したときのような経済・社会状況に陥る可能性もある」と懸念する野口悠紀雄氏

 

ゲスト:野口悠紀雄氏(経済学者)
テーマ:平成の経済史
2018年9月27日@日本記者クラブ

 

早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問、野口悠紀雄氏が「平成とは何だったのか」と題する研究テーマで講演し、「平成とは日本人が世界経済の大きな変化に気づかず、取り残された時代」と定義した。

企画委員の竹田忠氏によると、野口氏は平成を3つに分け、第1期は主に1990年代。戦後経済を支えた1940年体制(戦時経済体制)がバブル崩壊によって大きく変質。金融機関を通して政府が経済を間接コントロールする仕組みが弱まった。同時に中国の工業化とIT技術の進展で世界経済の構造が変わったことの日本は気づかす、遅れを取った。

第2期の2000年代は、”偽りの回復”。政府による空前絶後の為替介入で危機的な円高が抑えられ、日本の輸出産業は息を吹き返した。しかし所詮は円安頼みの回復であったことが2008年に明らかに。リーマンショックでアメリカから資金が逆流して急激な円高となり、車などの輸出産業は壊滅的な打撃を受けた。

この過程で製造業の政府への依存が強まったと氏は強調する。メーカーなどが政府にあからさまに直接的な補助を要請するようになった。結果、自動車産業を救うためのエコカー減税などの施策が次々と取られた。これに対する強い批判も起きなかった。日本の言論界の批判的な能力も衰えたのではないかとも指摘する。政府がどうするかを問うだけで、自分たちで改革しようという考えがなくなった。

第3期はリーマンショックの後から今まで。問題の本質は日本が置き去りにされていることに気づき、国際的な水平分業体制や規制緩和に正面から取り組むことだと指摘した。

・1ドル=100年を超えて円高になると、政府が介入する。そうならないことを政府が”約束”をした。この結果、円を売ってドルを買う動きが顕著に増加した。