2014年6月 のアーカイブ

第25回設計・製造ソリュ―ション展

カテゴリー: 科学/技術/イノベーション, 講演会/シンポ/セミナー/勉強会

2014/06/25  22:02


東京ビッグサイト

東京ビッグサイト

 

ハイブリッド3D金属プリンタ(松浦機械製作所)

ハイブリッド3D金属プリンタ(松浦機械製作所)

 

粉末

ハイエンド3Dプリンター

 

何だろう

シーメット社製

 

ローランド社製

ローランド社製

 

印刷機

ストラタシス社製

 

製造業向けに問題解決の情報システム(ITソリューション)を提供する専門展「第25回設計・製造ソリューション展(DMS)」が東京ビッグサイトで開催された。物作りに欠かせない技術・システムを展示する日本最大級のイベントらしい。

CAD(Computer Aided Design、コンピューター支援設計)、CAE(Computer Aided Engineering、コンピューター支援エンジニアリング)、ERP(Enterprise Resource Planning、企業資源計画)などがそうだ。

物作りの世界では3Dプリンターが注目を集めており、今年もそうだった。情報収集にとっては格好の現場なので出掛けた。見ても分からないとは思ったが、メカや電子に弱い根っからの文系の人間にとって専門家を対象とした展示会でも理解の手掛かりになるモノがあるのとないのとは全く違うからだ。

お目当てはやはり3Dプリンター。広い会場を回ってみて物作りにはもはや3Dプリンターは欠かせない存在であることがはっきり分かった。

『貂の皮』

カテゴリー: 丹波日誌, Books

2014/06/24  07:28


司馬遼太郎短編全集所載(初出「小説新潮」1969年6月号)

司馬遼太郎短編全集所載(初出「小説新潮」1969年6月号)

 

書名:『貂の皮』(司馬遼太郎短編全集12所収)
著者:司馬遼太郎
出版社:文藝春秋社

司馬遼太郎は長編作家だと思っていたら、短編もたくさん書いていた。文藝春秋から短編全集全12巻が刊行され、156篇もの短編が収められている。日比谷図書文化館から借りてきて、その中から『貂の皮』を読んだ。

たまたま自分の郷里である兵庫・丹波で発行されている「丹波新聞」を国会図書館で読んでいて、荻野直正(赤井直正、通称”悪右衛門”)という織豊時代の武将に絡んだ本作品のことを知って読んでみたくなった。

赤井直正(1529-1578)は享禄2年生まれ。丹波はさほど高くはない低山に囲まれた山国。山間の小盆地にはかならず1豪族が住み、山にはかならず砦がある地域だったが、その丹波豪族の中での最大の存在が船井郡(京都府)、氷上郡(兵庫県)などに幾つかの城塞を持つ赤井直正だった。

外舅(がいきゅう、妻の父=岳父)の荻野秋清を殺し、天文23年、丹波・黒井城(兵庫県丹波市)の城主となり、自らを悪右衛門(あくえもん)と称した。織田信長(明智光秀)の丹波制圧に抵抗し、軍学書『甲陽軍鑑』には名高い武士として徳川家康、長宗我部元親などとともに名前が上げられている。

黒井城には小学校の遠足で行ったことがある。何もない小高い丘までかなり歩いたことを覚えている。城壁は残っておらず、頂上は広い野っ原だった。何人かと先に行って、付き添いの教師に「団体行動を乱した」としてこっぴどく叱られ、1時間ほど立たされた。みんなが弁当を食べているのを横目で見ているのが辛かった。こんな体験があるので、黒井城と聞けば反射的に当時の光景が浮かび上がってくる。

「貂の皮」は赤井家の家宝。足利尊氏の時代に、同家当主が丹波・大江山で狩りをした際、洞窟から飛び出してきた奇獣「貂」(てん、イタチ科)の雌雄を殺したのち、霊獣かもしれないとして首塚を作って祀り、その皮を袋にして太刀を納めたところ、奇瑞(きずい=吉兆)が起こった。そこで赤井家では武運の守り神として、貂の皮を戦場に出る際の指物にした。

明智光秀が黒井城攻めに手こずっていたときに、単身城に乗り込んで悪右衛門に投降を迫ったのが近江生まれの脇坂安治(甚内)。光秀の下に身を寄せ、合戦のときだけ戦場に現れて手柄を立てる野伏(のぶせり)から身を起こしたのち、家来ではないものの、より待遇の良い秀吉の親衛隊を構成する「床几まわり」の少年となった。加藤清正、福島正則、石田三成らもそうだ。

光秀の丹波攻めが長引いていることに業を煮やした信長は丹波の隣の播州作戦を展開していた秀吉に使いをやり、播州の側から丹波の側面を突く作戦を命じてきた。播州平定に忙殺され、ゆとりのなかった秀吉は甚内に300人ほどの人数を付けて丹波に送った。甚内の初陣だった。

甚内は大胆にも単身黒井城に乗り込み、悪右衛門と談判。「丹波の赤鬼」と恐れられながら、死期を悟っていた悪右衛門の懐に飛び込み、降伏開城を説いた。悪右衛門は降伏しなかったものの、赤井家の血を残すため、悪右衛門の殺した兄・家清の子・忠家の命を助けることを甚内に保証され、事実上軍門に降った。

そのとき、悪右衛門が礼として差し出したのが家宝の貂の皮の指物だった。「この貂の皮が落城の火で灰になるのはなんとしても惜しい、惜しいがゆえにゆずる、甚内もこの貂によって武運が憑くにちがいない、と悪右衛門はいう」(『貂の皮』)。これがきっかけで貂の皮は甚内の手元に渡った。

そのせいか、甚内はその後、「賤ケ岳の7本槍」の1人に入るなどとんとん拍子に出世した。淡路・洲本城主(3万石)になったほか、関ヶ原の戦いでは東軍に寝返り、江戸時代には伊予・大洲初代城主(5万3500石)にまで登り詰めた。貂の皮の御利益は確かにあったようだ。

 

歌舞伎座タワー医療コンソーシアム

カテゴリー: 体調/体力/運動/病気

2014/06/23  20:06


歌舞伎座タワー16階から汐留方面を眺めると、東京タワー見えた

歌舞伎座タワー16階から汐留方面を望むと東京タワーが見えた

 

腰痛(椎間板ヘルニア+脊柱管狭窄症)で昨年からお世話になっている銀座医院(内科/整形外科)が銀座7丁目の単独ビルから銀座4丁目に6月、移転した。腰痛は去年の9月からだから間もなく1年。そろそろ勘弁してもらいたいが、なかなか放してくれない。薬が切れたので、初めて新居を訪れた。

 

歌舞伎座の背後に聳えるのが歌舞伎座タワー

背後に聳えるのが歌舞伎座タワー(2013.3.19撮影)

 

移転先が「歌舞伎座タワー」(隈研吾氏設計)だった。歌舞伎座は建て替えられ、2013年4月に新たに開業したが、劇場部分とは別に賃貸オフィスビル(地上29階、地下4階)も併設された。

劇場5階の庭園公園はのぞいたことがあるが、タワーには入ったことがない。銀座医院はタワーの16階。どんなところか興味もあった。7階が広いスカイラウンジになっており、そこでオフィス行きのエレベーターに乗り換える。銀座医院は16階の大半を使っていた。丸でホテルみたいな感じ。椅子や設備は真新しく、逆に落ち着かなかった。かなり古びた前の病院が懐かしい。

16階は銀座医院のほか、東銀座クリニック(心療内科、精神科)、銀座キッズデンタルパーク(歯科)、日本調剤歌舞伎座タワー薬局、ビジョナリーサプリメントなどが入っている。これら診療機関を総称して「歌舞伎座タワー医療コンソーシアム」と呼ぶそうだ。

16階は乗り換えフロアにもなっており、その上にもオフィスがある。22-29階はSMBCコンシューマーファイナンスが入居。11-14階はニコニコ動画を運営するドワンゴグループが本社を構えている。7階に「7-ELEVEN」が入っているのはシャレになる。

 

ざるかきではなく、「もりかき」

かき揚げが何とも絶妙な味

 

歌舞伎座まで来た以上、歌舞伎そばを食べないで帰るわけにはいかない。久しぶりに歌舞伎座の真裏にある「歌舞伎そば」で「もりかき揚げそば」(もりかき)を食べた。「ざるかき揚げそば」(ざるかき)を食べるつもりで、自動販売機のボタンを押し間違えた。

海苔が乗っているかどうかで20円の違い(ざるかき490円、もりかき470円)だ。そばの味に変わりはない。 歌舞伎材の建て替え前はかき揚げの数が8個だった。値段は据え置きだが、実質値上げだ。

「3Dプリンターから始まる次の社会」

カテゴリー: 科学/技術/イノベーション, 講演会/シンポ/セミナー/勉強会

2014/06/20  23:38


講演会ポスター

講演会ポスター

 

『未来のモノづくり-3Dプリンターから始まる次の社会-』と題する日比谷カレッジの講座が千代田区立日比谷図書文化館で開催された。講師は今や3Dプリンターの伝道師といわれるFabLab Japan Networkの田中浩也氏と芥川賞作家の平野啓一郎氏。京都大学の軽音楽サークルで一緒だった同級生。田中氏は慶応大学環境情報学部准教授。

講座は田中氏が3Dプリンターについてプレゼンテーションを行い、それをもとに2人が対談する形式で行われた。対談は平野氏が田中氏に質問し、それについて主に田中氏が答える形。平野氏も3Dプリンターを登場させた小説『ドーン』を発表しており、3Dプリンターに関する関心も知識も深い。

3Dプリンターとは何か。田中氏によると、バースデーのために買ってきたケーキの上にチョコレートを絞り出しながら名前を書く原理と同じだという。原料がチョコではなくて樹脂。その樹脂を積み上げて物体を作る。

ふれあいクラブ

カテゴリー: 東京日誌Ⅱ

2014/06/18  22:39


砂場遊びに興じる園児たち

砂場遊びに興じる園児たち

 

孫の1人が東京・練馬区内の幼稚園に入園して3カ月弱。幼稚園から「ふれあいクラブ」に招待されたので小一時間だけのぞいた。「お孫さんのクラスで子どもたちとふれあい、園での生活をお楽しみください」とあった。

そんなに大きな園庭ではないものの、ありとあらゆる遊具があるのに驚いた。滑り台やジャングルジム、運手などは定番だが、特にびっくりしたのは砂場。とにかく、かなり本格的なものだった。メダカやオタマジャクシのいる小川まで作られ、水遊びもできる。

遊びに徹すると、身体や服を汚すのでまずいのではないかと思ったが、替え着を持ってきているという。子どもは遊ぶのが仕事。同じ遊ぶのなら、しっかり遊ぶことが重要だ。中途半端な遊びの中からは真剣な取り組みが生まれない。

子どもが遊びに徹することのできる環境を提供するのは大変だ。学校側も親の側も手が掛かるからだ。園児だけでなく、親も教育する幼稚園はよい幼稚園と考えていい。親も大変である。

「KOMEBUTA」

カテゴリー: 講演会/シンポ/セミナー/勉強会, 食/食堂/レストラン

2014/06/17  22:46


米豚のグリル 香草パン粉焼(RESTRANT KITANO)

米豚のグリル 香草パン粉焼(RESTAURANT KITANO)

 

ニシムクサムライに開催される勉強会の会場は永田町のRESTAURANT KITANO。「赤いかのマリネ初夏野菜添」の次に出て来たのがこの「米豚のグリル 香草パン粉焼」だった。一口食べてから写真を撮ったので、見苦しくなってしまった。

英語でGrilled Pork ”KOMEBUTA”with Herb and Bread Crumbsと書き添えられていた。「KOMEBUTA」に反応してしまった。とにかく聞いたことのないこと、初めて見るものには関心が向く。

日本の豚のえさは高い割合で輸入に依存し、食料自給率が40%を割り込む低水準にとどまっている。一方、国内のコメ産地では減反政策や消費減少のため、休耕田や耕作放棄地が急増している。

国内で栽培した飼料米を豚肉の産地で飼料に配合し、畜産飼料の国産化とコメ産地の活性化の一石二鳥を狙った。この取り組みを開始したのは生協(コープ)の宅配を行っているパルシステムらしい。付けた名前が「コメ豚」。コメの配合比率は現在10%だが、この比率を引き上げる努力が続けられているという。

生協組合員への提供が始まったのは2008年2月。確かに柔らかくて、さっぱりしたうま味があった。パン粉で焼いたところも工夫が感じられる。

「イベリコ豚」以外に、国内でも「鹿児島黒豚」、「平牧三元豚」、「やまと豚」、「みちのくもち豚」など銘柄豚が多いが、公的な認定制度がない。地鶏も同じだ。各地域が独自に制定し、消費者にとっては何が何だか分からない。

この「コメ豚」も生協以外に、いろんなところで使われ始めている。消費者は目先の変わったものを望んでおり、それで売れるのだから面白い。消費者が試されている。

『ポンペイ』

カテゴリー: 映画/テレビ/舞台

2014/06/16  22:13


映画館前の立て看板から

映画館前の立て看板から

 

作品名:『ポンペイ』(POMPEII)
製作年度・国・地域:2014年 アメリカ/カナダ/ドイツ 105分
上映館:ユナイテッド・シネマ・としまえん

深い動機があって見たわけではなかった。たまたま時間があったのと、ベスビオ火山の大噴火を3Dで体感したかった。怖いもの見たさだ。

西暦79年の古代都市ポンペイ。ナポリ近郊の保養地・避寒地として有名だった。紀元前27年に成立したローマ帝国は英国をも侵略し、世界最大の大国を築き上げたが、暴君ネロの圧政もあって紀元後には国が傾きつつあった。

ポンペイの街(人口2万人)を見下ろすようにそびえ立つベスビオ火山が大噴火したのはそのような時代だった。巨大な炎と黒煙が噴き上がり、すべてを飲み込む火砕流、太陽の光は遮られ、地面は崩壊し、港には津波が押し寄せる。空からは灼熱の溶岩が降り注ぐ。

奴隷戦士マイロはケルト騎馬民族最後の生き残り。奴隷として育てられ、誰よりも強い剣闘士となってポンペイに連れられてきた。そこで富裕層の商人の令嬢カッシアと恋仲になる。2人のロマンスがストーリーを作っているものの、作品の中心は何と言ってもベスビオ火山の大噴火。つい、富士山が噴火したら、こんな感じかなと想像してしまう。

YAHOO映画リポートを読んでいたら、「ポンペイ未曾有の大災害をロマンスで彩るポンペイ版タイタニック」と書かれていた。うまい表現をするものだと思った。

SANYO有名ブランドセール

カテゴリー: 東京日誌Ⅱ

2014/06/14  21:28


ずらっと行列が続いていた

科学技術館までずらっと行列が続く

 

三陽商会が取り扱うブランドの紳士服、婦人服、子供服などをセール価格で販売するバーゲンに出掛けた。お目当ては三陽商会がライセンス生産しているバーバリー・ブランド。

バーバリーのセールに行くのは2005年2月26日以来9年ぶりだ。会場は同じ科学技術館(千代田区北の丸公園)。10時開場の10分前に着いたら、長い列が続いていた。

開場してからはそんなに待たずに中に入れたが、科学技術館の前に集まっていた少年・青年の数を圧倒的に上回るセールに群がる中高年層の行列を不思議そうに見る若者たちの視線が気になった。

大きな袋を抱えてめぼしい商品をゲットする姿は丸で鷹

大きな袋を抱えてめぼしい商品をゲットする姿は丸で鷹

 

日本では三陽商会と言えばバーバリー、バーバリーと言えば、三陽商会だった。両者の関係は1965年に三陽が輸入販売を開始して以来約半世紀。それが三陽商会の企画・販売する「バーバリーロンドン」は2015年春夏シーズンを最後に事業を終了。

派生ブランドの「バーバリー・ブルーレーベル」、「バーバリー・ブラックレーベル」も2015年秋冬シーズン以降、バーバリーのブランド名を外した「ブラックレーベル」「ブルーレーベル」として、英国のバーバリー本社と3年の契約でライセンス契約を結ぶ。

「バーバリー」を冠するブランドは2015年7月以降、英バーバリー本社の直営店のみとなる。高級化路線を志向するバーバリー本社が日本での大衆化路線を嫌ったための三陽との契約解消だとみられている。

バーバリーが日本でこれほどまでに存在感を高めた背景には三陽の努力が大きいはずだが、バーバリー本社にとってはそれ以上にブランドイメージの下落のほうが重要だったということかもしれない。

ブランド好きの日本人にとって、商品に「ホースマーク」が付いているからこそ買うんであって、それがなくなったらショックは大きい。バーバリー本社は2016年度から、日本における直営店を14店から37店程度に増やす計画らしいが、当然価格は相当引き上げられる見通し。少なくても、高校生でもちょっと背伸びをしたら買える価格ではなくなりそうだ。

この日のセールに大勢押し掛けたのは、来年以降はそんなに気軽に買えなくなることを見越して、「買い出動」したせいかもしれない。ブランドをそんなに絶対視するつもりはないが、ブランド品のモノが良いことは紛れもない事実。バーバリーは好きだ。

今回、春夏物や秋物のジャケット、冬物のコートを買った。これが最後の買い物だという気持ちがそうさせたのかもしれない。

大田区加工技術展示商談会で3Dプリンターと対面

カテゴリー: 科学/技術/イノベーション, 講演会/シンポ/セミナー/勉強会

2014/06/13  22:50


大田区産業プラザ(展示場、会議室、経営・技術機能を備えた産業支援施設)

大田区産業プラザ(展示場、会議室、経営・技術機能を備えた産業支援施設)

 

3Dプリンターを調べている。調べると調べるほどよく分からない。全くの無知識だったところから始めたのはいいものの、奥が深い。3Dプリンターは高度な業務用工作機械だと思っていたら、最近、話題に取り上げられているものはほとんどがパーソナルプリンターであるからだ。

とにかく、まだきちんとその整理がされていない。全体像を理解できるテキストがない。技術自体は20年ほど前から存在したものの、「3Dプリンター」と呼ばれ出したのは最近。2013年が「3Dプリンター元年」と呼ばれるくらいだ。

調べれば調べるほど、訳が分からなくなるのだ。これにはまいった。ハイエンドの高級機と個人が使うパーソナル機とがごっちゃになっている。全体像がつかめないから余計イライラする。

何か手掛かりがないかとあがいていると、ちょうどこの日、「第7回大田区加工技術展示商談会」が東京都大田区産業プラザで開催されており、一般でも入れることが分かったので出掛けた。加工技術展なので、「空振り」覚悟だった。

東京大田区は約4000の町工場が集まる中小企業のまち。従業員数が3人以下の工場が約50%、9人以下なら約82%を占める。日本のモノづくり技術を考える場合、大阪府東大阪市と並んで外せない地域だ。

とりわけ機械金属工業が区内の80%以上を占め、切削、プレス、成型、研磨、金型製造などの基盤技術に特化した企業群が集積している。製品というより、これらプロフェッショナル企業集団を「大田ブランド」と称しているくらいだ。

その拠点施設が大田産業プラザ(愛称PiO=Plaza industry Ota)だ。商談会はその大展示ホールで開かれている。区内の「加工技術」企業が集まっていた。

左手のホールを入れば会場

左手のホールを入れば会場

 

技術分野は技術分野プレス、機械組み立て、鋳造、金型、電機組み立て、核種試作開発、ゴム成形、機械要素部品加工、難削財加工、樹脂成形、溶接、微細加工、塗装・表面処理、製缶、その他加工、熱処理、鍛造。

会場を回ったが、やはり何が何だか分からなかった。専門的すぎて、自分の中に引っ掛からないのだ。何か引っ掛かるものがあれば、それをきっかけにまだしも想像力をかき立てられるものだが、手掛かりすらないのではお手上げだ。

日本製3Dプリンター「DS.1000」

日本製3Dプリンター「DS.1000」

ほとんどあきらめかけていたところに、目に飛び込んできたのがこれだ。「日本製3Dプリンター」と銘打たれている。開発したのは金属加工による雑貨の企画販売を行っているスマイルリンク(大田区下丸子)とソフトウエア開発のディビジョン・エンジニアリング(横浜市)。

日本製ではあるものの、ベースになっているのは英バース大学のエイドリアン・ボイヤー氏が創設したオープンソース(公開仕様)の3Dプリンター開発プロジェクト「RepRapプロジェクト」。安価な3Dプリンターはすべてこれの派生だという。

「DS.1000」もそうで、RepRapの仕組みを元に作られ、2013年10月に発売された。RepRapはReplicating Rapid Prototyperの略。日本製としてはホットプロシード社の「Blade-1」が最初。

 

『3Dプリンターで世界はどう変わるのか』

カテゴリー: 科学/技術/イノベーション, Books

2014/06/10  23:56


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書名:『3Dプリンターで世界はどう変わるのか』
著者:水野操
出版社:宝島社新書(2013年10月24日第1刷発行)

▽序章「3Dプリンターとは何か」

■3Dプリンターは実用化されてから既に四半世紀ほどの時間が経過しており、最近登場してきた新しい製造テクノロジーではない。1990年代から3Dプリンターを活用してきた企業にとっては珍しいものではない。筆者が初めて初めて3Dプリンターを見たのは1990年か91年頃、アメリカに留学していたとき。その頃はStereolithography(ステレオリソグラフィー、日本語で「光造形」)という言葉で呼ばれていた。

■世界で初めて光造形についての理論を発表したのは、1981年の小玉秀男氏(名古屋市工業研究所)。82年にはアメリカのA・J・Herbert氏が光造形に関する論文を発表している。今の3Dプリンターの起源はその頃。

■1984年頃に今の3Dシステムズ社の前身の会社が実用化に関する発表。87年に現在でも業界最大手の同社が世界で最初の光造形の実用機「SLAー1」を発表。現在使用されている3Dプリンターの出発点はここ。

■初期の光造形機は、数千万円から億単位と高価だったが、自動車分野の企業や試作企業を中心に、高速な造形能力が評価されて導入が進んだ。使用するのに必要不可欠な3Dデータが自動車業界では設計業務で早くから普及してきたことが後押しした。

■3Dプリンターの代名詞である光造形に加えて、樹脂を溶かして造形する熱溶解積層法(FDM)や、粉末にレーザー光線をあて硬化させることで造形する粉末焼結などの方法も加わり、現在の3Dプリンターの隆盛につながっている。

■製造業で使われてきた3Dプリンターの価格は当初、億単位から数千万円、安くても1000万円台。今でも大型のハイエンド機は高額だが、最近は数百万円から数年前には200万円台まで登場し、現在は100万円台前半の機械まで出てきている。これが主に製造業で使用されている機械の流れ。

■現在の3Dプリンターブームを支えているのは30万円以下、機種によっては数万円レベルのパーソナル向け。業務用とは異なり、樹脂をヘッドの熱で溶かしながら細い糸状に射出して造形するFDMを採用している。

■これらは2007年頃に始まったRepRapプロジェクト(高速試作機の複製)に端を発している。オープンソースのハードウエアで作られた3Dプリンター。パーツも自己複製することで安価な3Dプリンターを作る試み。この領域の3Dプリンターが急速に発展してきたことで、製造業とは関係のない、一般の人でも手に取ることが容易になり、日本でも2013年に家電量販店で販売されるようにもなった。

■3Dプリンターはパーツを造形するための工作機械だが、ほかの種類の工作機械とは全く違う位置づけのものに成長したきた。バラエティーが広い。切削加工や射出成形の機械にはカジュアルなユーザーやアマチュア用はごく一部を除いて存在しない。すべてがもの作りをしているプロ用。

■しかし、現在、高額のプロ用、業務用とは別に安価な個人用が同じ市場に存在している。アイデアの創出やコミュニケーション用といった、あまり品質を重要視しない用途では、むしろ安価な道具として意味を持つ。

■プロ用の3Dプリンターに対しても、昨今では出力サービスという事業が本格的に展開を始めたので、機械を所有できなくても業者へ簡単に出力を依頼でき、プロ仕様の機械のメリットを普通の個人でも享受できるようになった。そういう意味で3Dプリンターはここ数年で、プロとアマチュア、あるいは作り手と使い手という対極の人たちを結ぶことに成功したユニークな製品に成長した。

■今でこそ、製造業の中では安定した品質でポピュラーに使用されているStratasys社の3Dプリンターも、出荷を開始した頃は、想像もつかないような貧相な出来だった。初期のRepRapの3Dプリンターと同じだった。業務用でも出発点はこんなだった。本気で3Dプリンターをもっと汎用的な機械にしていこう、というモチベーションが開発者にあるのなら、現在では想像もつかないような変化が起きるかもしれない。

▽第6章「3Dプリンターで世界はどう変わるか」

■様々な分野の、現在ではまだ夢のようなものが将来、3Dプリンターで出力されていく可能性がある。

■生きた構造を持つ移植可能な臓器を、自分の細胞で出力できる可能性がある。

■材料を地球から持って行けない月や火星では、3Dプリンターは有効な建築ツールになりえる。

■薬や香りといった分子構造までも、3Dプリンターで出力できる可能性がある。