2012年1月 のアーカイブ

「connecting the dots」(点と点はつながる)

カテゴリー: 東京日誌Ⅱ

2012/01/31  23:58


You can’t connect the dots looking forward; 将来の点はつなげない
You can only connect them looking backwards.過去の点はつながる
So you have to trust that the dots will somehow connect in your future.点は将来つながる
(Steve  Jobs,CEO of Apple Computer,on June 12 2005)

1月も今日でおしまい。つい少し前に新年を迎えたはずなのに、あっという間に1年の12分の1が過ぎた。誰でも同じように時間が過ぎるわけではなさそうで、歳をとると、とりわけ飛ぶように過ぎていく。どうあがいても、過ぎ去った時間を取り戻すことはできない。悔しいが、どうにもならない。

そんな感慨にふけりながら、朝、いつものようにBBC Radio4 extra を聴こうとしたら、システム故障。仕方がないので、ブックマークを探していたら、目に留まったのがアップル創業者スティーブ・ジョブズ氏の動画だった。彼が2005年6月12日、米スタンフォード大学の卒業式で、卒業生を前に行ったスピーチだ。

ジョブズ氏のこの言葉は知らなかった。知らなかったが、こういうことが自分の人生で起こることについては、自分のささやかな人生のある時点で実際に感じて、いたく感動したことを鮮烈に覚えている。それがいつ、どこで、どういう状況だったかまでは忘れたが、それについて自分のノートに書いたことも記憶している。

自分が実現した小さな奇跡のように感じたことまで思い出す。自分の魂を揺さぶるような感動は人生の中でそんなにあるものではない。しかし、そのときは、自分で大変なことを発見したような気分になってひどく高揚した。暗中模索の手探りの中で、偶然にも触れることのできた奇跡のようにも思えた。天に向かって、大声で叫びたい気持ちでもあった。

実はこのささやかな自分の奇跡実現を思い出させてくれたのは作家・中島京子氏が2011年10月21日付日経新聞夕刊に書いたコラムだった。ちらっと読んで切り抜きを机の上に置きっぱなしだったことに気付いて、読み直した。読み直したのはジョブズ氏が亡くなって、彼のことが大きなニュースになったこともある。

中島氏はスティーブ・ジョブズ氏のこのスピーチを引用してこう書いていた。

早稲田大学戸山図書館+メルシー

カテゴリー: 東京日誌Ⅱ

2012/01/28  23:55


この奥が図書館

 

実に久しぶりに母校の、しかも出身学部に行った。ある雑誌のバックナンバーをどうしても読みたくて、「国立国会図書館サーチ」や「東京都立図書館リサーチ」で調べたら、東京都立中央図書館でも広尾の本館にはなく、なぜか常備してあるのは多摩図書館(立川)。流石、国会図書館にはあったが、もっと近くを探したら、早稲田大学戸山図書館が唯一ヒットした。大学の中央図書館にもなかった。

戸山図書館は第一文学部のある戸山キャンパスにあった。キャンパスの中にまで足を踏み入れたのは卒業以来かもしれない。敷地面積は卒業した39年前と同じのように思えたが、新しい建物が幾つも建っていて、丸で迷路みたい。当時はこんなきちんとした図書館はなかった(図書館で勉強したことがなかった!)。

学生時代に戻った気分で、4時間も勉強した。自宅とは違って、図書館で若い学生諸君と一緒に机に座っていると、本当に学生時代に戻った感じがして、不思議な充実感を味わった。もう一度学生時代に戻りたい。

 

メルシーの「ラーメン」

 

何十年ぶりかで”学生”した気分に酔いながら、地下鉄東西線早稲田駅の改札に向けて何歩か降りながら、あまりにもお腹が空いていることに気付いた。空腹を忘れてまで勉強に打ち込んでいた自分を少し見直したが、何せ、今日も凍るような寒さ。空腹で途中行き倒れたら困ると思い直して引き返し、駅から2分の軽食&ラーメンのメルシーに向かった。

スープは煮干しベースの醤油ラーメン。煮干しの味の出方によって、鶏ガラスープを加えているらしい。中太ストレート麺。麺がしっかりしていて、スープに絡みつき、昔ながらの懐かしい味の熱狂的なファンは今なお多い。400円也。早稲田界隈の隠れた名店というべきか。

「たい焼き鉄次」

カテゴリー: 東京日誌Ⅱ

2012/01/27  23:58


たい焼き鉄次+まめたい焼き鉄子

 

最近は「たい焼き」と言っても、鯛の形をしていないたい焼きまで現れて、何が何だか分からなくなってきた。色だって、伝統的なこげ茶色だけでなく、白っぽい鯛まで出現している。東京駅の八重洲口にある大丸東京店B1で今日、見つけたのが「たい焼き鉄次」と「まめたい焼き鉄子」。鯛の形ではないまあるい形。ルール違反だとは言うまい。

 

全自動たい焼き機「初代鉄次第壱号機」

 

たい焼きの神髄は手焼きだと思っていたら、店の前にどんと置かれているのが「全自動たい焼き機 初代鉄次 第壱号機」(H210419)。機械焼きを全面的に前面に打ち出したところが奇抜というか、逆張り。人形町の柳屋は「手焼き」が売りで、「あれだけの行列をさばくにはとても手で焼いていたら対応できない。店の後ろで機械で焼いたのを紛れ込ませているのではないか」という噂が流れるほどだった。

それに比べ、何ともあっけらかんとしたたい焼き屋さんだ。むしろ、機械を売りにしようという魂胆なのだろう。おいしくなければ見向きもされないところだが、「うす皮はカリカリッ あんはほっくほくに」のうたい文句通りなのが客を呼び込んでいるのかもしれない。鉄次は、世界で初の大回転焼き「全自動たい焼き機」だという。

「まめたい焼き鉄子」は「たい焼き鉄次」のミニチュア版。一口サイズ。たい焼きの人形焼きみたいなものだ。

「たい焼き鉄次」を製造・販売しているのは株式会社・銀座中条(東京都中央区銀座5)。豆乳おかきを販売する新しい会社だが、会社概要をみると、株式会社グレープストーンの100%出資会社。こちらは1978年(昭和53年)設立で、今や東京土産の代名詞にのし上がった「東京ばな奈」を売り出したり、バームクーヘンの「ねんりん家」を出店したりとヒットブランドを連発している。そして「たい焼き鉄次」・・・。なかなかの会社だ。たかがたい焼き、されどたい焼きである。

こうして見ると、私は「鯛」です

 

過去の「たい焼き」関係記事

■「たい焼き業界にも新興勢力登場」(神田・達磨、2011年7月28日)
■「羽根付きたい焼き」(神田・達磨、2010年4月22日)
■「たい焼き」(神戸キツネ家、2007年7月9日)
■「されど鯛焼き」(池袋・福義、2005年2月10日)

新宿・職安通りのスペイン料理

カテゴリー: 酒/酒場/居酒屋, 食/食堂/レストラン

2012/01/26  23:50


クルスカンポ(ビール)

 

今宵は、ロンドンで知り合って25年になる英国人の友人と、25年前は6歳だった息子の3人で東京・新宿の職安通り(地番的には歌舞伎町2丁目)にあるスペイン料理「カサ・ベリヤ」(CASA BELLA)に行く。1972年開業の老舗だ。

新宿には日本初のフラメンコショーレストラン「エルフラメンコ」(1967年開店)というお化けみたいな店があるが、その5年後にオープンしたこちらの店はあくまで食事と飲み物を楽しむ店だ。エキゾチシズムに満ちた店内はこじんまりとしているものの、落ち着いた大人の雰囲気が溢れていた。

 

トーレス白(ワイン)

 

いか墨パエリャ

 

この店を知ったのは最近、お店選びで時々利用させてもらっている「いざ酔い日記」さんのブログ。人気店で、当夜も8時までならと言われたので、じっくりメニューを検討している時間がないと思って、席に着くやいなや、先にメモしておいた同ブログ氏がいつも注文するメニューを速攻で頼んだ。

・クルスカンポ(ビール)
・トーレス白、そして赤(ワイン)
・ムール貝のカサベリヤ風
・マッシュルームのオリーブ油焼き
・パン
・サーモンのカナッペ
・アスパラサラダ
・いか墨パエリャ

 

歓談は10時近くまで延々続いた。店側がテーブルをうまく確保してくれ、別の店に移動することなく、じっくり落ち着くことができた。昔からの友人と過ごす時間が楽しいのは、過ぎ去った時間に色んな思い出が詰まっているためだ。いろんなシーンが甦ってくる。

彼は25年前、私が当時住んでいたロンドン北郊ハローオンザヒルの自宅に私の学生時代からの小樽の友人に伴われてやってきた。どういう事情だったか忘れたが、結局、私の家に泊まることになった。そのとき持っていたのが日本の浴衣だった。子どもたち3人ともすぐ親しくなり、私の帰国後、日本を拠点にビジネスを始めたこともあって付き合いが深まった。

2年前に拠点を母国に移したものの、出張ベースで何度も日本に来ており、今回は家族と一緒に来日した。小樽の友人とも電話で話した。何年も会わなくても、一瞬のうちに昔に戻ることができる。記憶は時空を飛ぶ。

Manzanilla La Gitana (マンサニージャ・ラ・ヒターナ)

 

シェリーは食前に飲むものだと思っていたが、食中・食後もあり。甘いポートワインを食後に飲むのと同じ考えだ。シェリーはスペイン南部アンダルシア地方の特定地域だけで作られる白ワイン。普通のワインと製法が少し違い、辛口から極甘口まで味わいの幅がとても広い。色も淡黄から琥珀色まで多彩だ。アルコール度数は16-18度。3種類を3人でそれぞれ味わった。かくして、スペイン、ではなかった、新宿の夜は更けていく。

 

8時すぎに“開店”する屋台でついラーメンを(4月6日追加)

米大統領の施政方針演説

カテゴリー: 政治/外交/国際/軍事

2012/01/25  12:53


演説するオバマ米大統領

オバマ米大統領は24日夜(日本時間25日午前)、上下両院合同会議で今年の施政方針を示す一般教書演説を行った。NHKも中継したが、ニコニコ生放送の英語版でイヤホンで聴いた。NHKの画面から日本語通訳の声が流れ、不思議な感じだった。しかし、どういうわけか、NHKの画像は5秒ほど遅れた。なぜだろう。

 

『アメリカ後の世界』

カテゴリー: Books

2012/01/24  13:19


『THE POST-AMERICAN WORLD』

 

書名:『アメリカ後の世界』(原題:『THE POST-AMERICAN WORLD』)
著者:ファリード・ザカリア(Fareed Zakaria) 訳者:楡井浩一
出版社:徳間書店(2008年12月31日第1刷)

今でも書店で新刊書を買うが、ときには古本屋をのぞいたり、自宅近くのBookoffで古本を買ったりもする。ちょっと古くなると、よほど大型書店に足を運ばないと、欲しい本が買えないからだ。それでも都会はまだ恵まれている。地方にいくと、大型書店が近くにないことも多い。ネットで注文するのもいいが、それは目当ての本がある場合。本屋に行くのは自分の問題意識を浮遊させながら、その時々の波長の合った、ピーンと感応した本との出会いを期待しているからでもある。

そして図書館から借りてきて読む場合ももちろんある。図書館に行くのは手間だし、借りた本はなかなか読まない(タダだから)のと、所有欲が強いので、借りることはそんなにないものの、最近の新刊書は値段が高いし、読みたい本はたくさんあるので、買うだけではなく、借りることも併用しないと、大変なことになる。とりわけ所得が減ると、生活防衛意識も働きます。

本書は千代田区立日比谷文化図書館で借りた。昨年11月に旧都立日比谷図書館から所属が変わって初めて借りた本だ。実に読み応えのある本だった。これだけ情報の詰まっている本も少ないし、ジャーナリストが書いているので読みやすい。訳文もこなれていて、ほとんど翻訳調を意識することなく読めた。

著者は1964年インド生まれ。18歳のときアメリカに留学。政治学を専攻し、イエール大学で学士号、ハーバード大学で博士号を取得。27歳で『フォーリン・アフェアーズ』(非営利の外交シンクタンク外交問題評議会の機関誌)編集長に抜擢された気鋭の国際ジャーナリストだ。本書出版時にはCNNで外交インタビュー番組『ファリード・ガカリアGPS』のホストを務めていた。インド生まれなので、インドへの言及も多く、視点が複眼的なのも面白い。2010年10月から米タイム紙の総合監修者(editor-at-large)。

ザカリア氏は本書のテーマについて、「アメリカの凋落ではなく、アメリカ以外のすべての国の台頭だ」と指摘している。今を「近代における権力シフトのただなかにある」との認識を示した。地球上では過去500年の間に、権力構造の断層的なシフトが3度観測された。権力の分布状況が根底から変化し、国際社会の営み-政治、経済、文化-が構築し直された。

■第1のシフト=西洋の台頭。このプロセスは15世紀に始まり、18世紀後半に劇的な加速をみせた。このシフトは科学、技術、通商、資本主義、農業革命、産業革命など、いわゆる近代化の諸要素を生みだしただけでなく、西洋諸国による長期の政治支配をもたらした。

■第2のシフト=19世紀末のアメリカ合衆国の台頭。アメリカは工業化を達成した直後、ローマ帝国以来最強の国家となった。20世紀のほとんどの間、アメリカは世界の経済と政治と科学と文化を支配してきており、過去20年間、その支配体制のライバルとなる存在はなかった。近代史上初めての現象と言っていい。

■第3のシフト=わたしたちが今まっただ中にある大変化。”その他の国の台頭”だ。政治的、軍事的レベルで言うと、今も単一超大国の世界にいる。しかし、ほかのすべての次元-産業、金融、教育、社会、文化-で見れば、権力の分布は脱・1国支配の方向へとシフトしている。これは”反アメリカの世界”が出現しつつあると言う意味ではない。”アメリカ後の世界”に移行しつつあるという意味だ。

米国が唯一の超大国として、世界を1極支配したのは1990年代以降のほぼ10年間だっただろうか。旧ソ連邦が崩壊し、ロシアは完全に米国からの援助と融資に依存。東南アジア諸国も通貨危機に襲われ、韓国やタイは国際通貨基金(IMF)に泣きついた。中国の高度経済成長も米国市場頼みだった。米国はブッシュ父政権、クリントン政権時代にスーパーパワーを誇示した。

それが2000年代に入ると、様変わりの状況だ。何がどうなったのか。

深々と雪が降る

カテゴリー: 東京日誌Ⅱ

2012/01/23  22:19


庭先に深々と雪が降る(21:39)

バスで帰宅したのは午後8時25分頃。自宅近くのバス停でバスを降りたときに降っていたのは雨だった。それが自宅に入って食事をしていたら、窓の外に雪らしきものが降り始めた。帰宅して1時間後にはもう雪景色の世界に変わっていた。それも深々と降り積もる。あっという間だった。明日の朝が恐ろしい。

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一夜明けた24日朝の風景。寒いのでつい、網戸を開けないで写真を撮ってしまったことにあとで気付いた。網目がしっかり写ってしまった。昨晩の写真はLED照明なしだったし、ひどい写真ばかりで申し訳ありません。

 

一夜明けて・・・

 

東京西部・練馬区のわが家の庭も起きて見ると、この通り、銀世界が広がっていた。3~5センチくらいの積雪か。天気予報によれば、夜半には雪は降りやんだらしい。思いのほか、積もらなかったとは言うまい。幹線道路や高速道ではスリップ事故や追突事故、一般生活道路でも凍結した路面に足をとられた転倒事故などが多発している。

大寒の引っ越し

カテゴリー: 東京日誌Ⅱ

2012/01/22  14:54


201201221431.jpg

寒波が日本を襲っている。昨日は東京都心でも初雪が降ったし、とっくの前から大雪に見舞われている北国では雪など珍しくも何ともない。大相撲初場所で初優勝した大関把瑠璃都の故国エストニアはニュース映像で見る限り、雪が降っていたし、ハンブルグ勤務を経験した社僚からは「ドイツの寒さはこんなものじゃないよ」と変な自慢をされた。

大寒の21日に3男夫婦がわが家との位置関係から言って、「車で15分くらい」から「車で5分くらい」のところに引っ越してきた。歩いても10分くらいの距離だ。スープが冷めない距離と言うやつだ。親夫婦はそのサポート部隊として出動した。いずれにせよ、力仕事は無理で、できることは限られる。せいぜい孫の世話ぐらいだが、これも意外と力仕事である。幼児とはいえ、パワーがあるのだ。しかも、それが日一日と強まっていく。末恐ろしい。

『聯合艦隊司令長官 山本五十六』

カテゴリー: 映画/テレビ/舞台

2012/01/20  23:58


作品パンフ

 

作品:『聯合艦隊司令長官 山本五十六―太平洋戦争70年目の真実―』
監督:成島出
キャスト:役所広司(山本五十六)
観賞シアター:新宿バルト9

新宿バルト9のシアター4。週末金曜夜7時開映だったとはいえ、テーマが重いから入りはそんなでもないだろうと思っていたら、さにはからんや、超満員とは言えないまでも、座席は8割型埋まっていた。しかも、結構若い人が多い。

五十六を演じた役所広司がインタビューで、「僕も戦争を知らないんですけど」と断りながら、「どうして戦争が起きてしまったのかを、この映画を通して、若い人たちも戦争を体験した方々も、皆でもう一度、考えていただけたら本望です」と語った通りになっていた。「軍部の暴走」という浅い理解を深めなければならない。

山本五十六の名前は多くの日本人にとって非常に身近な存在だ。1941年12月8日にハワイ真珠湾停泊中の米太平洋艦隊を急襲攻撃した日本海軍聯合艦隊を指揮した人物として記憶されているからだ。

しかし、日米開戦を仕掛けた人物が「誰よりも強く開戦に反対していた」ことは知らなかった。知ろうとしなかった。戦後何十年も経って、ようやく日本政府内部や軍部の一部にも「対米開戦反対派」がいたことが明らかになってきたものの、五十六が自ら開戦の火蓋を切る奇襲攻撃を仕掛けた真意は「戦争を早期に終わらせ、米国との講和に持ち込むためだった」とは知らなかった。

原作は半藤一利氏の『聯合艦隊司令長官 山本五十六』(文芸春秋社)。同氏は映画の監修も務めている。本を読んでいないので、原作と映画がどう違うか分からないが、映画としてのフィクションも入っている。人間五十六が描かれていなければ、映画作品としては恐らく面白くないだろう。小説と同じだ。

五十六が新潟県長岡市出身で、半藤氏は県立長岡中学(現長岡高校)の後輩であることを知って、氷解するものを感じた。長岡市は五十六よりも先に、戊辰戦争を戦った越後長岡藩軍事総督・河井継之助を生んだ。彼の片腕だった大隊長・山本帯刀は、長岡藩の儒官の家柄だった高野家の六男として生まれた五十六が両親を亡くした後、養子として入った山本家の亡くなった当主だった。生き方の壮烈さは河井継之助・山本帯刀の流れを引き継いでいるとつい考えたくなるのは行き過ぎか。

五十六が生きた時代は日本がまっしぐらに戦争に向かっていく時代だった。1929年10月24日の世界恐慌がその引き金にあった。満州事変勃発(31年9月18日)、5.51事件(32年5月15日)、国際連盟脱退(33年3月27日)、2.26事件(36年2月26日)、支那事変勃発(37年7月7日)、独ソ不可侵条約締結(39年8月23日)、ドイツ軍によるポーランド侵攻開始(39年9月1日)、日独伊三国軍事同盟締結(40年9月27日)、日本軍による南部仏印進駐(41年7月28日)、そして真珠湾攻撃(41年12月8日)。

36年12月1日に海軍次官に就任した五十六は、日独伊三国軍事同盟締結を求める圧倒的な世論に対して、米内光政海軍大臣、井上成美軍務局長とともに強硬に異を唱えた。一時的に奏功したかのように思えたが、最終的に押し切られた。

世論の抗して持論を主張するというのは大変な勇気と力と必要とする。その世論を作り上げるのが当時は新聞だった。東京日報主幹・宗像景清が節目節目で五十六に面談し、軍事同盟締結の必要性、対米主戦論を主張するものの、それに対して、にこやかな笑みを絶やさないで宗像を諌めるのが五十六だった。

五十六は、宗像が憤然と席を立った後に取り残された若い真藤利一東京日報記者に対し、優しく語りかけるセリフが実に印象的だった。これを聴いただけで、この映画を観た価値があったと思った。「真藤君、自分の目で、耳で、大きな心で、世界を見なさい」。

 

 

東京都心でも初雪

カテゴリー: 東京日誌Ⅱ

  07:11


車の上にうっすらと

東京都心に初雪が降った。気象庁的には東京都心はビジネス街の大手町を指す。午前3時50分ごろにみぞれが降り、それが初雪になったという。私の住む東京最西部・練馬の自宅の庭に停めている車の上は真っ白。1-2センチほどの積雪だが、路面は積もっていなかった。確か昨冬は暮から降ったのだから、ずいぶん遅い。

東京東部の勤め先に行くと、降っていたのは雨だった。千葉から通勤してきた同僚によると、柏方面で降ったのも雨だったという。気象庁によれば、低気圧が紀伊半島の南海上を東に進んでいる影響だという。夕刻にかけても一部では雪になる見込らしい。とにかく、自分にとっては初雪。何でも「初物」には敬意を払いたい。