2017年8月 のアーカイブ

『蝉しぐれ』再読

カテゴリー: Books

2017/08/25  13:20


 

「文春文庫」版

 

最近、何度も読み返す本が増えている。新刊書を買う回数が激減したのがそのためだが、そればかりとは言えない。一度読んでも、忘れてしまっていることが多いのだ。感動を再びである。

『蝉しぐれ』もその中の一冊。2011年4月21日に読了している。今は毎日が日曜日。東京ビックサイトへの行き帰りに読み続けた。内容はすっかり忘れていたが、読み始めたら少しずつ思い出した。冒頭のシーンは実に印象的だった。

海坂藩普請組の組屋敷の裏手には小川が流れていて、組の者がこの幅六尺に足りない流れを至極重宝にして使っていた。文四朗は玄関を出ると、手ぬぐいをつかんで家の裏手に回った。晴れている日はつい気を引かれて小川のそばに出た。

普請組の組屋敷は、30石以下の軽輩が固まっているので建物自体は小さいが、場所が城下のはずれにあるせいか屋敷だけはそれぞれに250坪から300坪ほどもあり、菜園をつくってもあまるほどに広い。そして隣家との境、家々の裏手には欅や楢、かえで、朴の木、杉、すももなどの立木が雑然と立ち、欅や楢が葉を落とす冬の間は何ほどの木でもないと思うのに、夏は鬱蒼とした木立に変わって、生け垣の先の隣家の様子も見えなくなる。

文四郎が川べりに出ると、隣家の娘ふくが物を洗っていた。「おはよう」と文四郎は言った。その声でふくはちらと文四郎を振り向き、膝をのばして頭を下げたが声は出さなかった。今度は文四郎から顔をかくすように身体の向きを変えてうずくまった。ふくの白い顔が見えなくなり、かわりにぷくりと膨らんだ臀がこちらにむいている。

–ふむ。

文四郎はにが笑いした。

–ふくは、まだ12だ。

—-

悲鳴を上げたのはふくである。とっさに文四郎は間の垣根を跳び越えた。そして小柳の屋敷に入ったときには、立ちすくんだふくの足もとから身をくねらせて逃げる蛇を見つけていた。体長2尺4、5寸ほどのやまかがしのようである。

青い顔をして、ふくが指を押さえている。

「どうした?噛まれたか」

「はい」

「どれ」

手をとってみると、ふくの右手の中指の先がぽつりと赤くなっている。ほんの少しだが血が出ているようだった。

文四郎はためらわずにその指を口にふくむと、傷口を強く吸った。口の中にかすかに血の匂いが広がった。ぼうぜんと手を文四郎にゆだねていたふくが、このとき小さな泣き声をたてた。蛇の毒を思って、恐怖がこみ上げて来たのだろう。

「泣くな」

唾を吐き捨てて、文四郎は叱った。唾は赤くなっていた。

「やまかがしはまむしのようにこわい蛇ではない。心配するな。それに武家の子はこのぐらいのことで泣いてはならん」

ふくの指が白っぽくなるほど傷口の血を吸い尽くしてから、文四郎はふくを放した。これで大丈夫と思うが、家にもどったら蛇に噛まれたと話すようにと言うと、ふくは無言で頭をさげ、小走りに家の方に戻っていった。まだ気が動転しているように見えた。

しかし翌朝、文四郎が頭上で蝉が鳴いている小川べりに出ると、ふくが物を洗っていた。ふくは文四郎を見ると、一人前の女のように襷をはずして立ち、昨日の礼を言った。ふくはいつもと変わりない色白の頬をしていた。

「大丈夫だったか」

文四郎はそう言ったが、ふくの頬が突然に赤くなり、全身にはじらいのいろが浮かぶのを見て、自分もあわててふくから眼をそらした。

隣の小柳の女房は、醤油を貸せ、味噌を貸せ、時には米や金を貸せとしじゅう物を借りに来るのに、自分から返しに来たためしがない。金はほってもおかれずこちらから催促して返してもらうが、あんなだらしのない人はいないと登世(文四郎の母)はこぼしていた。

それでも登世は小柳の女房が物を貸せ、反物の裁ち方を教えろと来ると、断りもできずにそのつど世話を焼いているのだった。いまも文四郎が見ると、母はむっつりと不機嫌な顔のままで、小さくうなずいた。

「いいです」

と文四郎は言った。

文四郎が承諾したのは、ふくを熊野神社の夜祭りに連れて行くということである。ここ4、5年、ずっとふくを夜祭りに連れて行っており、今年もそれを頼んできたからだ。登世は12になったふくを、もはや子どもとは認めていないのである。そのふくを夜祭りに同道しろという、小柳の女房の無神経さにも腹を立てているはずだった。

藩の内紛に巻き込まれた父・助左衛門は切腹を命じられた。対面が許された文四郎に「わしは恥ずべきことをしたわけではない。私の欲ではなく、義のためにやったことだ。おそらくあとには反逆の汚名が残り、そなたたちが苦労することは目に見えているが、文四郎はわしを恥じてはならん。そのことは胸にしまっておけ」

普請組に車が3台あって、うち1台は2人曳きの小さいもので、甚兵衛がそれをかり出しに行ってくれていた。2人曳きの車を1人で曳いた。車の輪は頑丈で重く、棍棒は太かった。遺体をのせてひき出すと、たちまち車の重みが身体にこたえて来た。時間が9ツ(正午)を廻って、腹がすいて来たせいもあるだろう。

—これでは・・・・・。

いちばん近い道を帰るほかはなさそうだ、と文四郎は思った。早くも流れる汗を袖でぬぐって車の上を振り向くと、羽織でもあらごもでも隠しきれなかった助左衛門の青白い足先が見えた。

車を雑木林の横から矢場町の通りまで引き上げたときには、文四郎も道蔵(途中から助っ人に来てくれた道場の後輩)も精根尽き果てて、しばらくは物も言えずに喘いだ。車はそれほどに重かった。

喘いでいる文四郎の眼に、組屋敷の方から小走りに駆けてくる少女の姿が映った。たしかめるまでもなく、ふくだとわかった。

ふくはそばまで来ると、車の上の遺体に手を合わせ、それから歩き出した文四郎によりそって棍棒をつかんだ。無言のままの眼から涙がこぼれるのをそのままに、ふくは一心な力をこめて棍棒をひいていた。

文四郎は家を移った。引っ越しにふくは顔を見せなかった。そして文四郎は親友の小和田逸平と江戸遊学に出た島崎予之介と情報を交換しながら、育っていく。文四郎を訪ねたものの、会えなかったふくは13で江戸に行き、お福さまとなって殿の新しい側女めになっていた。

里村家老に対する怒りには「よくも罠にはめてくれたな」とものずごいものがあった。眼がくらむような怒りのなかで、文四郎は里村家老にひと言申すべきときかと思った。

里村が向かっている机から3間ほどの場所に座った。

「軽輩とみて、侮られましたな」

肩肘を立てると八双からの剣をふるった。脚を2本切られた机が傾き、机の上の書類や書籍が音たてて畳になだれ落ちた。刀をさやにもどしながら、文四郎は言った。

「その気持ちは、かようなものです」

「侮りを受けてはそれがしも武士、黙過しがたくかような振る舞いにおよびましたが、お腹立ちならどうぞいつでも討手をおむけください。尋常にお相手をいたします」

捨てセリフを言えたのが気持ち良かった。

「蝉しぐれ」は最終章。あれから20年余の歳月が過ぎた。若い頃の通称を文四郎と言った若者は牧助左衛門と名乗り、郡奉行になっていた。大浦郡矢尻村にある代官屋敷にいた。

白連院は藩主家ゆかりの尼寺。そのの尼になることを決めたお福が会いたいと言ってきた。さきの藩主が病死して1年近い月日がたっていた。おそらくお福さまは、その1周忌を前に髪を下ろすつもりなのだろう。

助左衛門はおよそ2里ほど道を馬で駆けた。蓑裏の湯宿に行った。お福は身を隠していた。

「江戸に行く前の夜に、私が文四郎さんのお家をたずねたのをおぼえておられますか」

「よくおぼえています」

「私は江戸に行くのがいやで、あのときはおかあさまに、私を文四郎さんのお嫁にしてくださいと頼みに行ったのです」

「・・・・・」

「でも、とてもそんなことは言い出せませんでした。暗い道を、泣きながら家に戻ったのを忘れることが出来ません」

お福さまは深々と吐息をついた。食い違ってしまった運命を嘆く声に聞こえた。

「この指を、おぼえていますか」

お福さまは右手の中指を示しながら、助左衛門ににじり寄った。かぐわしい肌の香が、文四郎の鼻にふれた。

「蛇に噛まれた指です」

「さよう。それがしが血を吸って差し上げた」

お福さまはうつむくと、盃の酒を吸った。そして身体をすべらせると、助左衛門の腕に身を投げかけてきた。2人は抱き合った。助左衛門が唇を求めると、お福さまはそれにもはげしく応えて来た。愛隣の心が助左衛門の胸にあふれた。

 

哀惜は名状しがたい。

エルネスト

カテゴリー: 映画/テレビ/舞台

2017/08/23  23:25


 

チェ・ゲバラの”意志”を継いだ男

 

監督・脚本:阪本順治
主演:オダギリジョー
配給:キノフィルムズ/木下グループ
2017年日本・キューバ合作映画
10月6日ロードショー開始@2017年8月23日日本記者クラブ試写会

 

「若く見られるが、来年還暦なんです」と語る阪本順治監督

 

「若そうに見えますが、私来年還暦なんです」と自身を語った。自分の学生時代(横浜国立大教育学部中退)は内ゲバの時代で、大学には新聞会に行くためだけに通ったと述べた。授業料未納につき中退になったのが真相だとも語った。そういう時代があった。

早稲田で学生時代を送ったと思ったが、横国大だった。上映前に監督が映画制作にまつわるエピソードを少し話した。チェ・ゲバラはキューバ革命後、訪日。その記録メモが残されていた。そのあたりも最初に出てきた。

日本からキューバに連れて行ったのはオダギリジョーだけで、あとはキューバ人俳優を使ったという。よくできていた。キューバは格差は少なく、「等しく貧しい」と語った。

 

キューバ革命の英雄チェ・ゲバラ。自らの信念を突き通した行き方、その比類なきカリスマ性によって今なお世界の人々を魅了し続けているこの男は、1967年、ボリビア戦線で命を落とした。

同じ頃、ボリビアでゲバラと共に行動し、ゲバラからファーストネームである「エルネスト」を戦士名として授けられた日系人がいた。その名はフレディ前村。日系二世として生まれたフレディは、医師を志し、キューバの国立ハバナ大学へと留学する。

そしてキューバ危機の最中にチェ・ゲバラと出会い、彼の”意志”に共感し、ゲバラの部隊に参加。ボリビア軍事政権へと立ち向かっていく。

没後50年の時を経て明かされる真実の物語。

ブリを「国魚」に

カテゴリー: 農業/農地/農政

  17:18


 

ブリを国魚に制定するよう熱弁を振るうアプロジャパンの白石俊訓社長(23日、第19回ジャパン・インターナショナル・シーフードショーのセミナー会場)

 

世界の食用魚の50%以上は養殖魚。世界の魚介消費量は右肩上がりなのに対し、日本は落ち込んでいる。日本の水産業はEU、米国に次いで今や輸入大国第3位だ。築地には輸入魚が並び、日本の高級養殖魚は置かれていない。

日本の水産業が衰退したのは①魚の需要期の変化についていけなかった②世界の食品文化の季節感が変わった③サーモンやマグロに比べ、日本の養殖業者は「長期契約」ができない-などが理由だ。

わが国養殖業界が大規模化していく世界の養殖業界と戦うには、養殖魚のブランド化を進めるしかない。給餌について世界は生餌から環境負荷の小さい配合飼料への転換の流れにある。

今はモイストペレット(MP)が主流だが、ドライペレット(DP)やEP(Extruded pellet)に転換しつつある。中規模養殖業界の活路として、①品質による差別化②ロット数のまとめ③技術交流の勉強会④製品規格の統一⑤周年出荷できる養殖法の確立-などが必要だ。

東京五輪2020は世界200カ国が参加する一大イベント。日本の養殖魚を世界にアピールする絶好のチャンスでもある。海洋国家であるにもかかわらず、日本の国魚は制定されていない。ブリを国魚とすることで、水産業界の復活を祈りたい。

国花は桜と菊。国技は相撲だが、海洋立国ながら国魚は制定されていない。ブリは桜が満開になる頃、南太平洋で産卵したぶりっ子たちが流れ藻に守られながら黒潮に乗って日本列島を北上して北海道まで来る。

そして秋になると産卵のため日本列島を南下する。ブリは、「日本列島で住み続ける世界で日本しかいない魚」と言われている。「世界で日本近海にしかいない魚」(小学館WEB図鑑Z「日本の魚とはどのようなものか」(編・監修/中坊徹次京都大学名誉教授)だ。

マグロやサーモンは海外でも飲食できる。国を代表する魚と言えば、ブリ以外にはない。

 

秋ぶりを強調する

 

極上ぶり

 

極上アカバナ

 

☆夏場でも、良質の脂質が20%以上で魚臭がしない「極上秋ブリ」
☆夏場でも血合いの変色が少なく、マグロ赤身の20倍以上のDHA、EPAを蓄えた「極上秋ブリ」
☆天然カンパチの2倍以上の脂質を蓄えた「伝説のアカバナ」

アプロジャパンの白石俊訓社長は扶桑化学工業でリンゴ酸の国内市場を開拓し、35カ国を訪問して世界40カ国に販路を切り開いた。世界市場で50%のシェアを獲得するのに貢献し、社長・会長を務めた。2006年に退任し、2006年にアプロジャパンを設立。養殖魚用の高機能性栄養剤バイオサプリシリーズの製造販売に乗り出した。

同社の主力商品が養殖魚を太らすため、必要不可欠だった魚油を60%カットし、生餌MP(生魚+水分を含んだ固形飼料)に、大豆やトウモロコシなどの穀物や酵素分解物を主成分にした高機能サプリメント「ビタプレシリーズ」。

ビタプレシリーズを添加した飼料で育てた栽培養殖ブリは、魚臭がなく、寒ブリと同等の身質で、9月から選別して初出荷できる。

 

「オリーブの木」光が丘店

カテゴリー: 食/食堂/レストラン

2017/08/20  22:58


 

まずグリーンサラダ

 

ペスカトーレ

 

マルゲリータピザ

 

午後2時ごろまで起きられなかった。妻が料理をできないと言うので外食にした。おいしいパスタが食べたかった。うまいピザを食いたかった。遠くに行くのは避けたかった。というわけでオリーブの木光が丘店にした。

最近は店の名前だけでは経営主体を判断できない。今回もドトール・日レスホールディングス(東京都渋谷区猿楽町、星野正則社長)のグループ企業であることが判明した。同社はカフェ事業を展開するドトールと多業態型直営レストランを展開する日本レストランシステムなどが2007年10月1日に合併した。

今やパスタがうまいといいながら、カフェ系で食べていることになる。大変な時代になった。もっとも消費者にとってどこで食べようが無関係だ。うまいか、うまくないかだけである。

高速追突事故渋滞

カテゴリー: 旅行/移動/街歩き

  20:44


 

土山SA

 

土山SA上り線

 

8月19日(土)午後零時半柏原を出発。JA丹波ひかみをのぞき、宝製麺所の讃岐うどん(兵庫県丹波市本郷)でお腹を満たしたのち、午後2時ごろ東京に向かった。

篠山市を通過し、京都府千代川から京都縦貫道に乗った。大山崎ジャンクションから新名神に乗り土山SA(滋賀県甲賀市土山町)で下車、しばし休憩を取った。

いつもの地雷也紅白茶寮のいなり寿司は売り切れでアウト。結局、安曇野のむヨーグルトと柿の葉すしでお腹を満たした。滋賀県で長野県ののむヨーグルトとはどういうことかと思ったが、結構おいしかった。

土山町は緑が深く、周りは人工物が少ない。灼熱だったが、吹き渡る風も心地よい。そんな中でヨーグルトを飲み、寿司の葉を食べた。

次の休憩は夜8時ごろ。高速道路は事故渋滞で断続的に混んだ。大きな事故ではないものの、追突は怖い。私もトンネル内で思わず追突しそうになった。距離感がつかめないのが怖かった。

練馬の東京に着いたのは20日(日)の午前1時45分。荷物を運び入れ、風呂に入って就寝したのは3時45分だった。

記録的短時間大雨情報

カテゴリー: 丹波日誌

2017/08/18  21:35


 

集中豪雨(18日午後4時44分ごろ、兵庫県丹波市JR柏原駅近く)

 

18日(金)は眠れなかった。午後11時前に布団に入ったものの、19日午前3時頃にはピカピカドンドンが始まった。記憶している限り、こんなものすごい雷雨は生まれて初めてだ。

とても眠れなくてテレビを付けた。その間も窓の外ではものすごい雨と豪雨、それに落雷の3つが同時並行的に襲った。それが1時間ほど続いた。びっくりした。東京も雨が長く続いているようだ。季節が狂っている。

テレビでは丹波市をはじめ県内全域に大雨洪水警報や「記録的短時間大雨情報」が流れていた。1時間に80ミリ以上の猛烈な雨を観測または解析し、さらにその地方にとって数年に一度程度しか発生しないような大雨である場合に発表される情報だ。周辺地域では、土砂災害や河川の増水など、災害の危険性がTが構っているため警戒が必要だ。

それでも午前5時頃には何とか雷雨も収まり、昼間は日が射し良い天気になった。陽に干した。ゴミを燃やした。それが夕方になると、また天気が崩れ、またゴロゴロと鳴り出した。これが上の写真だ。ものずごい雨が降り、雷も襲った。引き返そうかと思ったくらいだった。

あまりにも天候が急変する。いくら本州の上空には強い寒気が南下してきていて、北日本から西日本にかけて大気の状態が不安定だという。災害につながる猛烈な雨はいつどこで降るか分からない。九州豪雨もそうだった。この日は岐阜県可児市周辺や愛知県犬山市周辺でも記録的短時間大雨情報が出ていた。丹波市ではそれがいつの間にか止んだ。

7月25日(火)午前零時40分に兵庫県中部の丹波市に来て25日。いよいよ明日、撤収する。風呂も掃除のため休止、洗濯機も離れに移動した。風呂は隣町の薬草薬師温泉に行った。

 

おふくろがとても好きだったすし官太

 

中トロ一皿500円

 

 

肉厚なシマアジ一皿400円

 

食事は亡くなったおふくろの好きだった「すし官太」にした。閉店間際だったので客はほとんどいなかったが、おいしかった。最後の食事はすし官太にしたことでおふくろも喜んでくれていることと思う。

 

丹波旬菜「田舎家」

カテゴリー: 丹波日誌

2017/08/17  23:17


 

昔懐かし田舎家へ

 

柏原町の田舎家(兵庫県丹波市柏原町)へ行った。今日からは夕食は外食。生ゴミを出さないためだ。田舎家は2013年5月3日以来。その時は店をリフォームした直後だった。

田舎家は亡くなったおふくろが好きだった。好きだったのはこの家の死んだおばあちゃんだった。リフォームする前に一度行ったことがある。当時の趣はすっかり消えていた。

丹波篠山名酒「鳳鳴」

カテゴリー: 丹波日誌

  22:59


 

代表的ブランド「鳳鳴」(ほうめい)

 

デカンショ祭の翌日も2男ファミリーを送ってJR篠山口まで行った。その後、家人の贔屓にしている古着屋に行き、要件を足した。また良い商品を仕入れたらしい。

物産館を冷やかしたのち、篠山の名酒「鳳鳴酒造」をのぞいた。今年度新酒品評会で金賞を受賞した。飲むのは丹波市市島町の「西山酒造」の小鼓専門だが、デカンショの名の付いたお酒を買った。

 

奥が広く、古い酒蔵を公開していた

デカンショ祭

カテゴリー: 丹波日誌

2017/08/16  22:19


 

デカンショ祭

 

デカンショ祭

 

兵庫県篠山市の篠山城趾で第65回デカンショ祭が8月15、16日の両日開かれた。

作業も大詰め

カテゴリー: 丹波日誌

  15:29


 

食器棚のお掃除

 

今回の引っ越しではアンマチ姉妹にお世話になった。実によく働いてくれた。15日に来て、同日と16日泊まり、17日に大阪に帰った。2泊3日だったが、気持ち良く働いてくれた。

感謝感激だ。