2015年11月 のアーカイブ

「ゴム付けない人にセックスする資格なし」

カテゴリー: 体調/体力/運動/病気, 講演会/シンポ/セミナー/勉強会

2015/11/29  15:21


 

 

リーダー格の吉村卓氏

リーダー格の吉村卓氏が熱く語る

 

理路整然と語る森村原人氏

理路整然と話す森林原人氏

 

森林氏は、「AVはファンタジー。ハリウッド映画と同じ。真偽より、プロとして見せることを求められている。カメラなど第三者の前でセックスを見せなければならない」と述べた。

男優は個人事業主であり、信用ベースで仕事をしている。

 

女性用AVへの出演が多いというムータン氏

女性用AVへの出演が多いというムータン氏

 

「愛しているから『生』でするというのは間違っている。愛しているのなら、終わったあとに、安心・安全を感じられるのが愛のあるセックスだ。まともな男なら『ゴム付けて』と言うはずだ。自分が大切なのは男も女も同じだ。女性も自分で自分の体を守らなければならない」

「ゴムを付けるのは『生の気持ちよさを脳に覚え込ませないため』でもある。脳に快楽を覚えさせないことが重要だ」

 

「ゴム付けない人にセックスする資格なし」と力説する野島誠氏

「ゴム付けない人にセックスする資格なし」と力説する野島誠氏

 

野島氏は性感染症予防について、「ネットでは3クリックくらいでAVを見ることができる時代だ。それだけに『セックスリテラシー』(セックスに関する基本的な知識と対処法)を身に付けることが重要だ」と強調した。

彼は、「コンドームをしないでセックスすることは安全ベルトをしないでジェットコース―ターに乗るようなものだ。シートベルトしないで高速を飛ばすようなものです。快楽一瞬、後悔一生。ゴム付けない人にセックスする資格なし」と警告した。

 

 

3人で実践的性教育を行う男優

プロの教える楽しい性教育講座

 

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医療関係者を中心に会場には若い女性の姿も多かった

 

Tokyo AIDS Weeks 2015プレイベントの一環で行われたトークショー「AV男優、セックスワーカーらによる、プロが教える楽しい性教育講座」(国立国際医療研究センター)は為になる実践的性教育講座だった。若い人に聞いてもらいたかった。

野島氏がこの日のトークのまとめを最後に配布した。

 

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Tokyo AIDS Weeks 2015

カテゴリー: 講演会/シンポ/セミナー/勉強会

  13:30


 

東京エイズ週間が始まる!

東京エイズ週間が始まる!

 

国連合同エイズ計画(UNAIDS)がこのほど発表した2015年版の報告書によると、2014年のエイズによる死亡者数は120万人で、ピークだった2004年に比べ42%減少した。1995年ごろに感染のピークに達して以来、最低レベルを更新した。

世界のエイズ感染者(HIV=エイズウィルス陽性者数)の総数は2014年末時点で推定3690万人。14年1年間に新たな感染者になったのは200万人で、00年の310万人に比べ約35%減少した。

エイズ治療を必要とする患者のうち、抗ウイルス薬による治療を受けている人は今年6月現在で約1580万人に達し、05年の220万人に比べ7倍以上に増えた。国連は今年9月、30年までにエイズの流行を終わらせる目標を設定。それを受け、世界保健機関(WHO)は全てのHIV感染者に抗ウイルス薬による治療を行うよう勧告した。

Tokyo AIDS Weeks 2015は第29階日本エイズ学会学術集会・総会(11/30~12/1)と、世界エイズデー(12/1)に連動して始まったイベント期間だ。市民のエイズへの関心を高めて感染拡大の抑止を図るとともに、HIV陽性者およびHIV/エイズに対する偏見/差別を解消し、感染した人々も安心して暮らせる社会の実現を目指している。

エイズに対する偏見は根強い現実があるが、指摘しておかなければならないのは、偏見を持って感染者を差別しているだけでは問題が解決しないことだ。一刻も早く、この感染症を退治しないと、大げさでなく、人類が滅亡する事態も考えられる。厄介である。

11月28、29日にはエイズ学会のプレイベントとして会場の国立国際医療研究センターでは講演会やコンサート、シンポジウム、市民公開講座、トークショーなどが開催された。

出席したのは29日(日)午後に市民公開講座「HIV陽性者とメンタルヘルス~薬物~使用は生き辛さの表れか?」(エイズ予防財団主催)。プログラムは「HIV/エイズをめぐる現実はものすごいスピードで変化している」。この機会に「あなたのイメージをアップデートしてください」とあった。

 

NPO法人ぷれいす東京代表の生島嗣氏

座長でNPO法人ぷれいす東京代表の生島嗣氏

エースファミリーセール

カテゴリー: カバン/バック

2015/11/27  20:55


 

会場風景

会場風景

 

カバンの総合メーカー、エース(本社・東京都渋谷区、本店・大阪市中央区)のファミリーセールに行った。カバンは割合好きである。ただし、自分の好みに合ったカバンを見つけるのは難しい。

サラリーマンにカバンは付き物だ。大きいカバンにたくさん詰め込むのも問題だが、かと言ってあまり小さいと実用性に欠ける。兼ね合いが難しい。とにかく、これまでずいぶん多くのカバンにお世話になった。

定年退職し、仕事関係の資料やpcを入れることはなくなったが、フリーランスで活動しているからカバンと縁を切るわけにはいかない。システム手帳と本を1冊か2冊、それにカメラと運動用具を入れなければならない。

テープレコーダーやデジカメ、モバイルツールに携帯電話。入れる物が結構ある。減らない。少しでも少なくすることに苦労している。

エースファミリーセールの会場は東京都立産業貿易センター台東館。都が主に産業振興を目的に開設して施設で、浜松町館と2つある。それにしては今一得体の知れない施設だった。

 

「ProtecA」ブランドのカメラバッグをゲットした

「ProtecA」ブランドのカメラバッグをゲットした

 

前から欲しいと思っていたのがカメラバッグ。これまでは適当にカメラの入る小さなバッグを使っていたが、きちんと収納できるバッグが欲しかった。1000円という安さにも惹かれ、買ったものの、どうも少し大きい。今使っているカバンに中に入れようとしたら、大きすぎるのだ。どうしたらいいのだろう?

『永続敗戦論』

カテゴリー: Books

  16:10


 

どういうわけか、アディロンダックカフェでランチ(タイ風チャーハン)を食べながら読み終えた

どういうわけか、アディロンダックカフェでランチ(タイ風チャーハン)を食べながら読み終えた

 

書名:『永続敗戦論』(戦後日本の核心)
著者:白井聡(文化学園大学助教)
出版社:太田出版(2013年3月27日初版発行)

 

予約したのは6月。予約の順番は54番だった。「予約資料確保」の連絡が来たのは3カ月後だった。すぐ読んだ。

・「私らは侮辱のなかに生きている」(2012年7月16日、東京・代々木公園)で行われた「さようなら原発10万人集会」において、大江健三郎は中野重治の言葉を引いてそう言った。この言葉は、3.11以来われわれが置かれている状況を見事なまでに的確に言い当てている。

・あの事故をきっかけとして、日本という国の社会は、その「本当の」構造を露呈させたと言ってもよい。明らかになったのは、その住民がどのような性質の権力によって統治され、生活しているのか、ということだ。その構造は、「侮辱」と呼ぶにふさわしいものなのである。

・だからわれわれは憤ってよいし、憤っているし、また憤るべきである。

・「侮辱の経験」

・まず、事故の発生に際し、政府は、原発周辺住民の避難に全力を尽くさなかった。それを端的に物語る経緯は、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)のデータが国民に公表されなかった、という事実である。しかもそのデータは、国民には隠される一方で、米軍にはしっかりと提供されており、菅首相(当時)はSPEEDIの存在そのものを「知らなかった」とシラを切り続けている。この件について、民間事故調査委員会も、SPEEDIは「原発立地を維持し、住民の安心を買うための『見せ玉』にすぎなかった」と厳しく批判している。開発に30年以上の歳月と、100億円以上の費用が投じられ、維持運営に年7億円の税金が費やされてきたこの装備は、実にこうした使われ方をしたのである。そして依然として、この件について責任を取らされた人間は誰もいない。

・有名になった「想定外」という言葉の内実についてもあらためて思い出しておく必要があるだろう。2006年の国会において吉井英勝衆議院議員(共産党)が「巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問主意書」を提出し、地震・津波による原発の全電源喪失の可能性を指摘していた。東電の側も福島第一原発における津波対策の強化の必要性を繰り返し検討していた。にもかかわらず、東電は事故発生当時から繰り返してきた「想定外」という説明を、自社による事故調査報告書においても基本的に守り続けている。

・忘れてはならないのは、事故そのものが収束したというには程遠い状態にあり、今もなおその現場で被爆をこうむりつつある作業に従事している多くの人々がいるという事実である。2011年12月の段階で政府から出された事故の「収束宣言」自体が全くのまやかしにほかならなかった。

・現場の問題が集約された形で見て取れるのは、事故前から原発労働における被爆隠しや労災隠し、給与のピンハネの温床となっていた複雑怪奇な多重下請けの構造である。3機の原子炉が溶け落ち建屋の屋根が吹っ飛んだこの未曾有の事故現場において、この構造だけはしっかりと生き残っている。

・ここには2つの問題が露呈している。第一にはこの作業に従事する人々の危険や健康被害を可能な限り最小限化し、しかるべき仕方で報いる体制がつくられていないという人道的な問題。第二に、この事故を本当の意味で収束させる意思を政府は実際持っているのか、という問題。

・カリに1人ひとりの政治家や関係する高級および下級官吏に、その意思の有無を尋ねたならば、全員が「持っている」と答えるであろう。しかしながら、

関係者全員が持っている意思が、現実に組織総体の意思となる必然性はない。現に約70年前、この国は、「やれば必ず負ける(したがって、やるわけにいかない)」と各界の権力者・識者のほぼ全員が理性の上では承知していながら、太平洋戦争を開戦した。つまり問題は、この事故が処理されうるに適切な体制を構築する意思を現在の政府という組織が実際に体現できているのか、ということであって、関係者が主観的意識の次元でどう考えていようが、それは意義を持たない。

浅草寺境内は人・人・人

カテゴリー: 東京日誌Ⅲ

  14:03


 

スカイツリーをバックに記念撮影する外国人観光客

スカイツリーをバックに記念撮影する外国人観光客

 

大ちょうちんの辺りは押し合いへし合い

大ちょうちんの辺りは押し合いへし合い

 

目立ったのは外人と修学旅行生ご一行様

目立ったのは外人と修学旅行生ご一行様、着物姿の女性も

 

線香の匂いが立ちこめる

線香の匂いが立ちこめる

 

台東館はちょうど浅草・浅草寺の裏手。せっかく近くまで来たので、少しお参りすることにした。金曜日の昼間。突き抜けるような晴天ということもあってか、境内は人があふれていた。

とにかく、外国人観光客の姿が目立った。その人種も実に多彩。新宿も多いと感じていたが、浅草には負ける。最近のインバウンドブームを一番反映した場所かもしれない。中高校の修学旅行の季節なのだろう。班編制で行動する姿が目に付いた。

金券ショップ「買取」デビュー

カテゴリー: 東京日誌Ⅱ

  10:52


 

新宿西口の金券ショップ街

新宿西口の金券ショップ街

 

久しぶりに金券ショップのお世話になった。これまではもっぱら年賀葉書を買ったり、新幹線の切符を買ったり、「買う」方だったが、今回初めて「売る」方に回った。

過去10年間ほどの間に書き損じたり、出しそびれたりした年賀状がかなりあった。郵便局に持っていくのが面倒ということもあって、捨てた葉書もあったはずだ。ところが、部屋を掃除・整理したことで、そんな葉書がたくさん出てきた。

それを持って郵便局に行った。計算してもらったら交換可能な葉書は365枚(全部50円葉書)あった。交換手数料は1枚につき5円。それを52円の通常葉書ヤマユリ318枚に交換してもらった。

年賀葉書との交換は認められなかった。理由は分からない。くじが付いているせいかもしれない。通常葉書は取りあえず使用する予定がなかったので、金券ショップに持って行った。

そこで葉書には「完封」とバラがあることを知った。「完封」とは200枚単位で完全に密封された葉書のこと。店によって買取価格はまちまちだが、持ち込んだ店では完封90%(定価の9掛け)、バラ70%(定価の7掛け)だった。

いずれにしても、書き損じを交換したのは郵便局。ここでの交換に20分ほども時間を要している間に「放置車両確認標章」を貼られた。金券ショップでの買取価格と反則金とがほぼ同じだったのは皮肉な話だ。

「放置車両確認標章」

カテゴリー: 東京日誌Ⅲ

2015/11/26  21:59


 

嫌みたらしいイエローカードだ

嫌みたらしいイエローカードだ

 

不覚にも駐車違反を犯してしまった。郵便局のすぐそばのタクシーなどが駐車している待避道路に車を駐めて、郵便局に寄った。すぐ用を済ますつもりが向こうの処理が手間取り20分ほどかかった。急いで車に戻ったら、案の定、こんなものがぺたりと貼られていた。「放置車両確認標章」という。前回、駐禁したのはいつのころか覚えていない。20年ほど前か、それ以上前か。だから、どうしたらいいのか自分でも分からなかった。

2006年に改正道路交通法が施行され、放置違反制度がスタート。警察による放置車両確認事務が民間(法人)の「放置車両確認機関」に委託された。同機関に属する駐車監視員が巡回活動し、放置車両の確認・標章の取り付けを行っているという。

これまで駐禁には気を付けていた。巡回中の監視員の姿を目にすることも頻繁にあったが、まさか自分が彼らのお世話になるとは思っていなかった。民間委託制度も知らなかった。何かあった場合、法律は絶対的な力を持つ。

とにかく、警察署に出頭した。交通課に行った。ところが後で分かったことだが、改正道交法は「ステッカーを貼られたので慌てて出頭した人」や「違反行為を反省して素直に出頭してしまった人」が損をする制度になっていることを知ってびっくりした。

担当官によると、対処方法は2つ。①警察で「反則金」を支払い、違反点数も加点される②放置駐車対策センターから違反日の1~3週間後に届く「放置違反金の仮納付書」で「放置違反金」を納付する。この場合、違反点数は付かない。当然、②を選択し、警察署を後にした。

家に戻って、ネットで調べたら、改正道交法の「抜け穴」「逃げ得」の仕組みが分かった。車を運転する者には常識かもしれない。最近は知らないと損することがとても多い。まさか法律でもそんなことがあるとは思わなかった。真面目な人間が損をする社会は好ましくない。すぐに出頭者として法的処理を行わなかった警察の担当官には感謝したい。

幾つものサイトを参照したが、「駐車違反の処分の流れ、点数が加点されずに済む放置駐車違反について」(「一発試験ロードマップ」)と題するサイトの記事が大変参考になった。

 

七五三参り

カテゴリー: 東京日誌Ⅲ

2015/11/22  16:42


 

七五三には写真を撮って・・・

七五三には写真を撮って・・・

 

店の外から中をのぞくと・・・

店の外から中をのぞくと・・・

 

孫娘が3歳の七五三。ジジの役割は運転手。写真店に行った。株式会社スタジオアリス谷原店。七五三のピーク(11月15日を中心に)とあって、とにかく店内はごった返していた。子どもの健康な成長を願わない親はいない。成長の記録を永遠に目に焼き付けておくためにはやはり写真が一番だ。

それも素人写真よりも、プロの写真がほうがいい。幼児はじっとしていないし、表情もくるくる変わる。瞬間のベストショットを撮るのは至難の業だ。その業を売るのがプロの写真館だ。

株式会社スタジオアリス」(本店・大阪市北区梅田)は子ども専門の写真スタジオ。1974(昭和49)年に1号店を開いた。2号店は20年後の1993年。しかし、3年後の96年には50号店、98年100号店、2001年200号店、05年300号店、08年400号店、14年500号店とものすごい勢いで出店した。

2001年の時点で全都道府県での店舗展開を達成した。子ども相手にしても、驚くべき急成長だ。もちろん、需要があるからこそだが、親心を巧みに取り組んだ商法は見事というほかない。

 

撮影メニューの”発掘”も・・・

撮影メニューの”発掘”も・・・

 

ターゲットを子どもに絞った点が成功の秘訣だろう。大人だけではよほどのことがない限り、スナップはともかく、フォーマルな写真を撮るのは結婚式くらいだ。しかし、子どもの成長の節目には撮っておこうか、ということにもなる。

 

地元の高松八幡神社で

地元の高松八幡神社で

 

2人そろって神妙に・・・

2人そろって神妙に・・・

 

写真撮影が終わったあとに向かったのは地元の高松八幡神社(練馬区高松1)。神社にとっても、最近は「七五三祈祷」は1年のうちでも重要な行事になっているらしい。普段は無人の神社もこの時期だけは宮司が常駐し、対応するようだ。

祈祷は厳粛に15分ほど行われたが、その後宮司自ら写真を撮ってくれた。「祈祷そのものは礼儀に則ってしっかりやるが、その後は”サービス業”」だという。神社も時代に対応するのに懸命だ。

『侍野球海を渡る』

カテゴリー: Books

2015/11/21  23:04


 

『侍野球海を渡る』-これを読まずして野球を語ることなかれ

『侍野球海を渡る』-これを読まずして野球を語ることなかれ

 

書名:『侍(サムライ)野球海を渡る 安部磯雄と明治38年早大野球部米国初遠征』
著者:川上弘文(元西日本新聞記者)
出版社:書肆草茫々(しょし・くさぼうぼう、佐賀県佐賀市)(2015年11月3日初版)

早稲田に入って最初に住んだのが新宿区戸塚町(現在、西早稲田)だったので、近くにあった「安部球場」の名前だけは知っていた。しかし、球場に名前まで付いた本人のことは正直何も知らなかった。関心もなかった。政治意識が低かった。

コトバンクや国立国会図書館の「近代日本人の肖像」、本書所載の安部磯雄年譜によると、安部磯雄(1865-1949)は社会主義運動の先駆者。早大教授を務めつつ、社会主義運動に携わり、1901年(明治34)には片山潜らとともに社会民主党結成(即日解散)。1926年(大正15)には社会民衆党を結成し、委員長となった。戦後は日本社会党の顧問を務めた。

一方で、安部磯雄は1899年、東京専門学校(現早大)の講師となった2年後の1901年に野球部を創部。初代野球部長で、学生野球の父とも呼ばれた。戸塚町には氏の功績をたたえた「安部球場」(現早大総合学術情報センター)があったが、東伏見キャンパスに移転してからは「早大東伏見グランド」の呼称が使われてきた。

今回、安部磯雄生誕150周年を機に同グランドを「安部磯雄記念野球場」と命名することを決め、21日には記念式典が行われた。本書はそれにタイミングを合わせて出版された。「安部磯雄のスポーツにおける一番の功績は1905(明治38)年の日露戦争さなかに敢行した日本初の米国野球遠征ではなかったか」と著者は言う。

早大野球部チームは、カリフォルニア、オレゴン、ワシントンの西岸3州の大学・高校・倶楽部チームと対戦、26戦7勝19敗。「持ち帰った野球道具と技術が日本近代野球に貢献、米大リーグで大活躍の野茂英雄や鈴木一朗(イチロー)のルーツになったと言っても過言ではない」と川上氏は言う。

遠征を敢行した1905年は日露戦争のさなか。その当時の記録が不明で、「日本野球史の中でも、ブラックボックスになっていた」。川上氏がこの本のテーマを思い付いたのは20年前。きっかけは1995年秋。ロサンゼルス・ドジャーズの野茂英雄が一時帰国した時の記者会見に出た氏(当時西日本新聞東京支社運動部長)が日米交流史に関心を持ったことだった。

安部磯雄は氏と同じ福岡市の出身で、黒田武士の末裔だったことも関心に輪を掛けた。早大がなぜ、いの一番に米国へ遠征できたのか?創部は一高(東大)や慶應がはるかに早い。さらに日露戦争中になぜ行ったのか?なぜ行けたのか?

 

キャッチフレーズは「今まで」誰も書かなかった日本近代野球事始め」

キャッチフレーズは「今まで誰も書かなかった日本近代野球事始め」

 

構想20年。川上氏はこうした謎を3度にわたる現地取材で探り当てる。それが本書に出版につながった。労作である。

私は東伏見の早大キャンパスで開催された安部磯雄生誕150周年イベントには出席しなかったが、午後新安部球場で行われたオール早慶戦を少しのぞいた。

たまたま川上氏は早大文学部の先輩。付き合いはそろそろ半世紀近くになる。大学時代から氏を知る仲間3人が集まり、新宿で歓談した。氏と会うのは10年ぶりくらいか。楽しい一晩だった。

 

 

オール早慶戦@東伏見

カテゴリー: 東京日誌Ⅲ

  15:36


 

一塁側ダッグアウト(早大)裏からグラウンドを眺める(安部球場)

一塁側ダッグアウト(早大)裏からグラウンドを眺める(安部球場)

 

慶應のピッチャーが投げる

慶應のピッチャーが投げる

 

遙か彼方からグラウンドを眺める

遙か彼方からグランドを眺める

 

稲門倶楽部(早稲田大学野球部OB会)のHPによると、安部磯雄先生生誕150年記念式典が11月21日(土)、早稲田大学東伏見キャンパス9号館205教室で行われた。

孫の安部幾雄氏による記念講演が行われたのち、これまで呼ばれてきた「東伏見グランド」を「安部球場」と命名する式典が行われた。西武線に乗って球場に着いたのは午後2時頃。式典はとっくに終わり、グランドではオール早慶戦(現役選手と社会人現役選手)が行われていた。

安部磯雄は早大初代野球部長で、1905年、早大野球部の米国初遠征を実現した。「日本学生野球の父」と目される人物で、今年が生誕150周年に当たる。

東伏見キャンパスに来たのは初めてだった。こんなところに、こんなに広くて立派なグランドがあるなんて、卒業して40年以上も経って初めて知った。文学部はお金を掛けなくても学問できるが、スポーツは環境と時間が必要らしい。文学にも時間が必要だが、むしろお金がないほうが文学作品は生まれるとの“定説”があるが、果たしてどうだろう。

高額の学費を納入しても、文学部に還元されるのはごくわずかで、理工学部や運動部に多くが使われてきたのではないか。ずっとそういうふうに思っていた。この立派な施設をみると、想像が確信に変わった。

今になって、そんなけちくさいことを言っても仕方がないが、ひがみ根性はいつになっても直らない。