2014年3月 のアーカイブ

2013年度末風景

カテゴリー: 東京日誌Ⅱ

2014/03/31  23:49


保育園の前の桜並木

保育園の前の桜並木

 

今年も年度末がやってきた。桜の咲く季節と大体がダブる。東京の桜は7分咲き。満開も多い。不本意にも突然死的に現世を去らざるを得なかった知人からすれば、「よもや今年の桜を見られないなんて考えてもみなかった」はずだ。

しかし、60代も半ばになってくると、どうしても「残り時間」を考えてしまう。桜を見る機会もあと何回あるのだろうとつい考えてしまう。いつ見られなくなるか分からないのなら、見られるうちに見ておこうと思ってします。

そんなことを考えながら、今年度最後の日、自転車で駅に向かいながら、地元の駅周辺の桜並木を眺めた。10本近く植わっている。どこにでもある並木だが、一番身近な桜でもある。

 

出陣中のちびっこ軍団

出陣中のちびっこ軍団

 

光が丘のイチョウ通りで幼稚園児(保育園児)の集団に出会った。奥にある「桜の名所」に向かうのだろうか。彼らの集団はよく見掛ける。園外散歩も重要なカリキュラムなのだろう。

 

車いすの人たちも

車いすの人たちも

 

空はよく晴れ、ぽかぽか陽気だったが、風が強かった。しかし、それにもめげず、公園に向かう人たちの姿が目立った。月曜日がお休みの人たちにとって、平日にお花見ができるのはラッキーだ。

 

光が丘公園に続く陸橋で

光が丘公園に続く陸橋で

 

光が丘公園に続く陸橋の上は桜の花を至近距離で観察するにはもってこいのスポット。たくさんの人がカメラや携帯カメラでシャッターを切っていた。

 

公園の中でも別の隊列が

公園の中でも別の隊列が

 

光が丘公園は広い。周辺のあちこちから、公園を目指して集まってくる。朝のこの時間に目立つのはやはり幼児だちの集団だ。

 

築地川千代橋公園(中央区)

築地川千代橋公園(中央区)

 

都営大江戸線に乗って築地市場に行く。そこから通っている整形外科まで歩く。首都高(昔の築地川)の上に架かる千代橋(せんだいはし)のたもとの公園にも桜が咲いていた。

 

緋紅色の鮮やかな桜「陽光」

緋紅色の鮮やかな桜「陽光」

 

陽光(ヨウコウ)はアマギヨシノとカンヒザクラを交配して作出された品種。鼻は葉が出る前に開花する。一重咲きで緋紅色が他の桜と違う。東京築地市場ライオンズクラブ認証40周年記念樹だ(2006年3月吉日)。このミニ公園には一番早く咲くカワヅザクラや里桜の「フゲンゾウ」(普賢像)もある。

 

昭和通りの陸橋から上野方面を見ると、スカイツリーが

昭和通りの陸橋から上野方面を見ると、スカイツリーが

 

昭和通りの陸橋から上野方面を見ると、東京スカイツリーが立っていた。いまやすっかり東京の新名所になった。東京タワーのお株が奪われた格好だ。これも時代なのだろう。

 

東急ハンズ南新宿店

東急ハンズ南新宿店

 

東急ハンズ南新宿店はたまに寄る店だ。文房具好きにとってはたまらない場所だ。とにかく、目新しいものや珍しいものがたくさん置いてある。1Fのカバン売り場は鬼門だ。欲しいカバンがある。

7Fの文房具売り場でビックボールペンを青と赤をそれぞれ5本ずつ買った。黒は先に買ったばかり。ポストイットも。レジは長蛇の列だった。明日から消費税率が5%から8%に上がる。「駆け込み需要で大変なんです」とレジのお姉さん。

売り手は売り手で値札の張り替えに忙しい。消費者も生活防衛で駆け込み購入に精を出す。日本中で消費税率アップ対策で大忙し。それもあと少しで終わる。17年ぶりの税率アップ。今年の年度末はこれが余分だった。

 

甲斐銘菓「くろ玉」

カテゴリー: 旅行/移動/街歩き, 食/食堂/レストラン

2014/03/28  23:57


食べる前に、まず鑑賞

食べる前に、まず鑑賞

 

菓子通の知人から「山梨に行ったら、『くろ玉』をぜひ食べなさい」と言われた。「くろ玉」というくらいだから、黒色をしていると思ったが、韮崎市の澤田屋で買ったら、想像した通り、見た目のインパクトはかなりのものだった。

 

澤田屋の店頭

澤田屋(韮崎市)の店頭

 

中央道の釈迦堂PAで最初に見つけた。甲府を通り過ぎ、韮崎ICで高速を下りた。韮崎市を走っていたときに、澤田屋があった。すぐ食べようとバラで買った。「くろ玉」はてっきり韮崎市の菓子屋だと思っていたら、どうやら実際に作っているのは別の澤田屋(甲府市向町)のようだ。韮崎の澤田屋は検索しても出てこない。

 

くろ玉の中はこんな感じ(白玉はごるふまん)

くろ玉の中はこんな感じ(白玉はごるふまん)

 

自宅に戻って「くろ玉」を切ってみた。こんな感じだ。上質のえんどう豆を丹念に丸いあんこ玉にし、上から香り高い黒糖をかけた和菓子だ。1911年(明治44)創業の澤田屋が1929年(昭和4)に発売した。

山梨の定番土産は「信玄餅」と相場が決まっているが、この「くろ玉」もなかなか捨てがたい甲斐銘菓だ。

「ほったらかし温泉」

カテゴリー: 旅行/移動/街歩き

2014/03/27  23:10


階段を下りていくと「あっちの湯」

階段を下りていったところが「あっちの湯」の入口

 

山梨県に来た以上、「ほったらかし温泉」は外せない。15年ほど前に友人夫婦と一緒に来たことのあるここに立ち寄らないわけにはいかない。

最近の日帰り温泉や天然温泉はジャグジーなど付帯設備にさまざまな趣向を凝らしたものばかりだが、つまりは、人為的な趣向を凝らさなければ、人を引き寄せられないことを物語っている。

ほったらかし温泉」(山梨市矢坪)と名乗るのはつまり、客を「ほったらかし」にしても、それで客が来なくなる心配がないだけの自信の表れなのだろう。

ほったらかし温泉が持っているのは甲府盆地を見下ろす雄大な眺望だ。山梨県内なら、「みたまの湯」(山梨県八代郡市川三郷町内)も標高370mからの眺望を楽しめるが、こちらの標高は倍の700m。今回も小雨模様で目にできなかったが、昼間でよく晴れていれば、正面に霊峰眺富士を見ることができる。

 

「こっちの湯」は午後4時で受付終了。その後は「あっち」どうぞ。

「こっちの湯」は午後4時で受付終了。その後は「あっち」へどうぞ

 

昔、来たときは「こっちの湯」(1998年営業開始、第1源泉、強アルカリ/PH9.9)しかなかった。脱衣所と露天だけの掘っ立て小屋風の殺風景なところだったが、眺望だけはすばらしかった。よく覚えていないが、富士山は見えなかったと思う。それでも、もう一度来たいとは思っていた。

 

内湯のある建物から外に出ると、露天が3つ

内湯のある建物から外に出ると、露天が3つ(あっちの湯)

 

「あっちの湯」(第2源泉、強アルカリ/PH10.1)は「こっちの湯」の約2倍の大きさ。2002年オープンで、こちらはバラック小屋風。「やや右手に富士、左手に大菩薩嶺、眼下に甲府盆地を見下ろす。日の出を拝する朝風呂、夕景から夜景への眺望の変化なども人気の的」だという。

 

露天に浸かっているうちに小雨が落ちてきた。しばらく、そのままでいると、今度は雲の一角から光が差し込み、それが七色の虹を作った。4色くらいしか識別できなかったが、さらに外側に薄くもう1つ虹ができた。お風呂に浸かっていた湯客の間で、静かな感動が広がった。なかなかぜいたくな眺めだった。

 

休憩所の天井に掛かったたこ

休憩所の天井に掛かった凧

 

1時間ほど浸かって上がったら、外はもう暗くなってきた。木造の休憩所の中はストーブが炊かれていて、暖かかった。横になりながら、見上げると、天井に凧が掛かっていた。その文言が面白かった。

 

山梨県韮崎市に行く

カテゴリー: 旅行/移動/街歩き

  22:39


向山建生氏から説明を聞く

小林一三研究家の向山建生氏から説明を聞く(ふるさと偉人資料館)

 

宝塚歌劇団を創設した実業家・小林一三(こばやし・いちぞう、1873-1957)にまつわる話を聞くため、山梨県韮崎市に行った。韮崎市は一三が生まれた土地だ。

一三は阪急電鉄を創業し、鉄道沿線の開発に尽力したほか、政治家として商工大臣なども務めた。一三の名前は関西ではよく知られているものの、東急電鉄東横線や田園調布の開発などにも携わり、関東でも多大な貢献をしているものの、ほとんど知られていないのは不思議だ。

韮崎市に行くのは2度目。20年ほど前に行ったときは知人が手掛ける「ルッコラ」の水栽培野菜工場の見学を兼ねたもので、市への関心はさほどなかった。

ふるさと偉人資料館は韮崎市民交流センター(ニコリ)の1階にあった。資料館では小林一三、保坂嘉内の世界展を開催中で、それを見ながら、説明を受けた。ニコリは図書館や公民館、子育て支援施設が入居し、明るくて、清潔な建物だった。

 

市のどこからでも見える韮崎平和観音像

市のどこからでも見える韮崎平和観音像

 

やはり目立つのはこの「韮崎平和観音像」だ。体高16.6m(台座部を含めると18.3m)と巨大だ。群馬県の高崎観音(高さ41.8m)、神奈川県の大船観音(25.3m)とともに、関東3観音に数えられる。完成は1961年(昭和36)。

 

七里岩の突端から眺めた韮崎市街

七里岩の突端から眺めた韮崎市街

 

韮崎市は釜無川に沿った七里岩という岸壁で二分されている。七里岩は長野県・鴬木まで達する約28kmの巨大な屏風岩・七里岩の最南端部に立っており、そこから町並みを望められる。台地の形状が舌のようで、ニラに似ていることが「韮崎」の地名に結び付いたといわれる。

空也もなか

カテゴリー: 東京日誌Ⅱ, 食/食堂/レストラン

2014/03/26  22:44


小さな門構え

小さな門構え

 

取材の手土産に持っていくものを考えて、銀座の和菓子屋「空也」(中央区銀座6)の「空也もなか」にした。ほとんどが予約分で埋まってしまう商品で、今日も入口のそばに「本日分は売り切れました」の張り紙がしてあった。

空也もなかは最近、何度かいただく機会があったが、自分で電話注文し、店の中に入ったのは初めて。和菓子屋と言えば、普通、商品の陳列棚が置かれ、その中に鎮座しているものだが、この店は違う。

中に入っても陳列棚はなく、あるのは注文を受けた商品をビニール袋に入れ、それをどーんと積み上げてあるだけ。どの商品にも個数と注文主の名前を書いた短冊が貼られていた。

自家消費用もあるが、どうやらお使い物が多いようだ。現金商売で、タクシーで乗り付けてきた旦那衆が現金で、16万円も支払っていたのにはびっくりした。

明治17年、上野池之端で開業し、創業130年。店は戦災で焼失。昭和24年(1949)に銀座6丁目の現在地に移り、今は4代目山口元彦氏が店主を務めている。

「屋号は、初代が関東空也衆の1人であり、その仲間の援助で最中を主として生菓子を始めましたことから、空也念仏に因んで空也とさせていただきました」と店主は書いている。

 

これぞ「空也もなか」

これぞ「空也もなか」

 

空也念仏は鉦(かね)やひょうたんを叩きながら念仏を唱えること。最中もひょうたんの形をしている。このビルの中で餡づくりからすべてを行っている。空也(903-972)は平安中期の天台宗の僧。

まだ食べたことはないが、季節限定の「空也餅」という商品もあって、夏目漱石も「我輩は猫である」の中で紹介している。林芙美子や舟橋聖一などの文豪や、梨園のひいきもあったという。世に名物多しだ。

 

 

 

『ある精肉店のはなし』

カテゴリー: 映画/テレビ/舞台

2014/03/21  22:36


ポレポレ東中野のショーウィンドウの掲示

ポレポレ東中野のショーウィンドウの掲示

 

作品名:『ある精肉店のはなし』
監督:纐纈あや(はなぶさ・あや)
出演・北出精肉店の人たち
北出新司(59歳、長男) 店主
北出昭(58歳、次男)
浅野澄子(62歳、長女)
北出静子(66歳、新司の妻)
北出二三子(87歳、兄弟の母)
ラッキー(3歳、飼い犬)
上映館:ポレポレ東中野

 

これは大阪府貝塚市に今も存在する1軒の肉屋「北出精肉店」(貝塚市堀)を舞台にしたドキュメンタリー映画だ。貝塚市と聞けば、シニア世代は、反射的に実業団女子バレーボールチーム「ニチボー貝塚」(大日本紡績貝塚工場、現ユニチカ)を思い出す。

東京五輪(1964年10月)でニチボー貝塚を主力とした日本チームが金メダルを獲得、世界から「東洋の魔女」と呼ばれた。とにかく、日本中が熱狂したのは50年前のことだ。バレーボールチームそのものは2000年に東レ(滋賀県)に移管され、46年間の歴史の幕を閉じている。

北出精肉店は、牛の飼育から屠畜(とちく)・解体、販売までのすべてを、家族労働で手掛けている。掲げられた「肉の北出」の看板の上に「生産直販」と書かれているのが単なる肉屋と違うプライドを感じる。

映画は、牛が牛小屋から引き出され、住宅街を歩いて行くところから始まる。600kgもある大きな牛で、力強い。すぐ近くにある市営の屠場(貝塚市立と畜場)まで行くのだ。昭さんが手綱を持って踏ん張る牛の眉間を、新司さんがハンマーでコツンと叩く。牛はころんと横倒しになる。

その瞬間、眉間に空いたちいさな穴に素早くワイヤーを通す。神経が破壊されるから、牛はもう痛みを感じない。そこから屠畜解体作業が始まる。近代的な屠場では作業は機械化され、分業化されているが、北出家では家族で行っている。

屠畜解体は「包丁さばきが幅を効かす手の熟練労働だ」(ルポライター、鎌田慧氏)。風呂敷を解くように、皮をはがしながら広げていく手むき作業は芸術だ。皮むきは4人の共同作業だ。

気絶させてから枝肉にするまで約1時間。4人が自分の役割を把握し、息の合ったチームワークは見事だ。1頭の牛から、約150キロの内臓が取り出される。これを水洗いし、きれいに処理するのは、澄子さんと静子さんの仕事だ。

2012年3月31日。102年続いて、北出さんたちの仕事場になってきた屠場が閉鎖された。かつては村の人たちが自分の育てた牛をここに連れてきて、自分たちで屠畜し、解体していたが、最近はここを使うのは北出さん一家だけになっていた。

映画の冒頭シーンはこの最後の屠畜が行われる日に、牛がこの屠場に連れてこられるシーンだ。「いのちが血となり肉となり」する。私たちは日常的にステーキやすき焼きやハンバーグを食べているが、そのための作業を北出家の人たちが私たちに成り代わってやってくれていたのだ。

「生き物由来でない食物は存在しない。生きることは命を交換すること。いただきます、とは命をいただくということ」(生物学者の福岡伸一氏)である。

見終わったら、すっかり暗くなっていた

見終わったら、すっかり暗くなっていた

 

映画のパンフレットによれば、「北出家のルーツは、江戸時代末期の1847年まで遡ることができる。北出家はそのころから死牛馬の処理を生業としてきたと思われる。明治後期から昭和30年代までは、貝塚市堀町で日本最大規模の泉南家畜市場が開かれていた。4のつく日に市が立ち、子牛から成牛まで取引頭数は1回に1000頭を越えた」という。

先代の静雄さんは、ここで牛を買い付けて自宅の牛舎に係留し、屠場に連れて行って解体処理を行い、枝肉を近辺の小売店へ卸していた。新司さんと昭さんは小さいころからこの家畜市場や牧場へ共に行き、父親から牛を見極める目を養われた。

この映画のもう1つのテーマは被差別部落の問題でもある。映画の中でも「獣の皮を剥ぐもの」への差別撤廃を求める部落解放同盟の活動を取り上げている。新司さんが解放運動を行っていたからだ。

太田恭治氏(あとりえ西濱主宰)は同パンフレットの中で、「一家の住む東地区はかつて嶋村といわれ、同地区に住む人たちは江戸時代、生業は農業だったが、岸和田藩の掃除、警吏(刑場の下働き・町の警護など)などの役目も担った。死んだ牛馬の処理も受け持った。死んだ牛馬に触ると穢れるという考え方が支配的な一般社会からも差別を受けていた」と書いている。

嶋村の人たちは幕府からも公然と差別を受けていたが、太田氏によれば、「武士も庶民も『薬喰い』と称して、実は肉を食べていた」という。穢れ意識は根拠がないと指摘している。ただ、薬喰いは例外で、江戸時代に基本的に屠畜はなかった。

「日本では職人が尊敬される。時には、学問することより職能をもっている方が重要だとみなされる。能役者も歌舞伎役者ももとは被差別の人々だが、その職能への尊敬によって、差別のことは語られなくなった。重要な職能は世襲されることが多い」(田中優子法政大学教授)。

田中教授は「子どものころから仕事を見て育ち、他の者が真似できない能力を身につけるのだから、その存在は貴重だ。世襲される仕事はとりわけ、社会から必要とされている。職能がもっと語られてもよいはずである」と強調する。

自分の生まれた郷里にも、そうした仕事を営む部落があった。親からも周囲からもその話はよく聞いた。しかし、そうした指摘は根拠のないことであることがこの映画を見てはっきり分かった。

「新冷戦」時代が復活したのか

カテゴリー: 会見メモ, 政治/外交/国際/軍事

2014/03/20  23:14


会見する下斗米伸夫法政大学教授

会見する下斗米伸夫法政大学教授

 

テーマ:研究会「ウクライナ」
会見者:下斗米伸夫(しもとまい・のぶお)法政大学教授
2014年3月20日@日本記者クラブ

2日前にモスクワから帰国したばかりだというロシア・ソ連政治史の泰斗はクリミア情勢の急展開でめくるめく時間を過ごしたと述べ、気分も高揚していた。

ロシアのプーチン大統領は17日、ウクライナからの分離・独立を決めたクリミアを独立国として承認する大統領令に署名した。親ロシア派のクリミア自治共和国は16日の住民投票で、ロシアへの編入を承認。ウクライナからいったん独立し、国家の資格でロシアと統合する条約を結ぶ方針を決定していた。ロシアがクリミアを国家承認したことで、クリミアをロシアに編入する環境が整った。

この結果、旧ソ連圏の盟主・ロシアと、第2の大国でロシアにとって兄弟国でもあるウクライナとの関係は敵対的なものになった。

下斗米教授の1時間に上る熱のこもった解説を聞きながら、自分がウクライナ情勢を全く理解できないことを知って愕然とした。日本や米国、欧州に関することならば、政治、経済から安全保障、科学、芸能に至るまで大体キャッチアップする自信を持っているつもりだが、ウクライナやクリミア情勢についてはどうにも付いていけなかった。

レジュメを見ても理解できない。言葉がぎっしり書かれているものの、それになじみがないからだ。幾ら言葉を費やされても、バックグランドがなければ、頭に入ってこない。要は関心が向いていなかった。もう片付いた問題だと思っていた。ところがどっこい、そうではなかった。

ソ連邦は1991年に崩壊した。ソ連邦を構成していた東欧諸国は雪崩を打って欧州連合(EU)や北大西洋条約機構(NATO)に加入し、西側の境界線は東方に伸びるばかり。バルト3国もEU、NATOに加入し、ロシアの勢力圏は縮小の一途をたどった。これがソ連邦崩壊以降の欧州の歴史だ。

 

ウクライナ

ウクライナ地図(出典: 2001 Ukraine Census)

 

ウクライナ情勢の鍵を握っているのが同国南部で黒海に突き出たクリミア半島だ。黒海の重要性は今や薄れているはずだが、かつて「クリミアを支配するものは黒海を制する」(作家K・シーモノフ)と言われたほどだ。歴史上、繰り返し大国が勢力圏を争う舞台となった。

クリミア半島は、1783年にオスマン・トルコ帝国との戦争に勝利したロシア帝国が自国領に編入。黒海艦隊を形成した。19世紀半ばには南進するロシアと英仏トルコなどとの間でナイチンゲールも従軍したクリミア戦争が起きた。第2次大戦中にはナチスドイツが侵攻。独側への協力を恐れたスターリンが先住民のイスラム系タタール人を中央アジアに追放した結果、現在は人口200万人の約6割をロシア系住民が占める。

現在に至る対立の起点は1954年協定。ソ連のフルシチョフ第1書記がクリミア半島を当時のロシア共和国からウクライナ共和国に編入したことにある。91年にウクライナが独立したことで、少数派となったクリミア半島のロシア系住民による独立運動が激化した。ウクライナ政府は97年、ロシアがセバストポリの黒海艦隊基地を使用することを認める協定を締結している。

ロシアにとって、クリミアは自ら守り続けてきた土地であるとの意識が強い。黒海艦隊が地中海を経てグローバル展開する上での拠点で手放せないとの気持ちも強いはずだ。

ただウクライナは独立したとはいえ、ロシアとの依存関係は深く、従属関係にあった。ともにスラブ民族で、どちらもキリル文字を使うなど言葉も近い。宗教もビザンチン帝国(東ローマ帝国)の系譜を受け継ぐ東方正教会。兄弟国家と言われるゆえんだ。

しかし、東欧諸国のEU化は時代の流れ。2004年の大統領選では親欧米のヴィクトル・ユシチェンコ氏と親ロシアのヴィクトル・ヤヌコビッチ氏が戦い、やり直し決戦再選挙(12月26日)の結果、ユシチェンコ氏が勝利した。「オレンジ革命」と呼ばれる。首相の座に就いたのが盟友で美貌のウクライナ女性ユーリヤ・ティモシェンコ氏だった。

 

2010年大統領選投票結果(赤:ヤヌコビッチ氏に投票)

2010年大統領選投票結果

 

2010年の大統領選挙にヤヌコビッチ氏が再出馬し、決戦投票でティモシェンコ氏に勝ち、大統領に就任した。ティモシェンコ氏は11年、職権乱用罪で逮捕され、獄につながれた。西側諸国は有罪判決は政治的動機だと避難した。

ヤヌコビッチ氏は親ロシアながら、EU加盟を目標に掲げ、EUとの連合協定に向けた協議を続けてきた。しかし、13年11月28日、ヤヌコビッチ大統領は同連合協定署名の先送りを発表。これに対し、市民が大規模な抗議行動に立ち上がり、その後3カ月にわたって混乱が続いた。

今年2月18日には反政権側と治安部隊による大規模な衝突が発生。19日までの2日間で75人が死亡したと報じられる。デモは戦闘に発展し、ヤヌコビッチ政権は崩壊した。それぞれの背後に欧米とロシアが存在し、熾烈な場外乱闘も繰り広げられた。

危機感を抱いたロシアが遂に軍事行動に出た。それだけ追い詰められたわけだが、このことによる国際情勢に及ぼす影響は大きい。領土問題を抱える日本への影響も深刻だ。

冷戦が終結して四半世紀。25年間に世界が模索してきた国際秩序が破られ、新たな対立が噴出したことで、国際社会の秩序は昔に戻りかねない。冷戦時代なら、米ソの勢力均衡でそれなりのバランスが取れたが、「新冷戦」下では米国の力が大きく後退、中国も国際秩序形成への力になるというよりもむしろ撹乱要素の色合いが濃い。

ロシアも大国意識ばかりが強く、現実認識を欠いている。G8からロシアが排除され、G2にはほど遠く、国際社会の実態は「Gゼロ」に陥ったとの見方が強い。支配的な力を持った政府が存在しなくなれば、国際社会は漂流するしかない。

新国際秩序が形成されるまでには時間がかかる。落ち着かない、流動的な時代がやってきた。1極集中の時代も困るが、多極というより「無極」の時代はもっと大変ではないか。とにかく、生きにくい時代がまたやってきたと思う。なぜ世界はこんなことになるのか。

ロシアが「核心的利益」とするクリミアを武力で制圧し、力で国境線を変更したことは民主主義の精神に違反し、国際秩序を破ったことで、米欧日との対決は決定的になった。果たしてこれを「新冷戦」の復活と見るべきか。

下斗米教授は「新冷戦と呼ぶのは言い過ぎ」だとしながらも、「新冷戦的な異常に巨大な地域紛争」と表現した。かつての冷戦時代とは違って、相互依存関係が強まっており、そう簡単に全面対立できないのが実情だからだ。バランスを取ることが重要だと指摘する。また、難しい時代がやってきたものである。

武田薬品のグローバル戦略

カテゴリー: 会見メモ

2014/03/19  22:58


会見する長谷川武田薬品工業社長

会見する長谷川武田薬品工業社長

 

テーマ:「成長戦略には何が必要か 現場からの視点⑥」
会見者:長谷川閑史・武田薬品工業社長
2014年3月19日@日本記者クラブ

試写会『ワレサ 連帯の男』

カテゴリー: 映画/テレビ/舞台

2014/03/17  23:40


懐かしさがこみ上げてくる

懐かしさがこみ上げてくる

 

監督:アンジェイ・ワイダ
出演:ロベルト・ヴィェンツキェヴィチ
アグニェシュカ・グロホフスカ
2013年ポーランド映画
4月5日(土)よりロードショー(岩波ホール)

 

「ワレサ」「自主管理労組・連帯」と聞いて血が騒いだ。1970年代から80年代にかけて、社会主義国・ポーランドで吹き荒れた民主化運動の嵐の中で屹立した人物であるレフ・ワレサはほぼ同時代的な全共闘世代にとって同士に等しい存在だからだ。

1960年代末に日本でも吹き荒れた安保闘争において、反権威主義の熱い洗礼を受けた全共闘世代にとって、国は違っても、ポーランドで繰り広げられた社会主義帝国・ソ連邦に対する激しい抗議行動は他人事ではなかった。

ハラハラドキドキしながらも、熱い連帯の気持ちで見詰めた。自由のために闘うポーランド人民、その指導者であるワレサの姿は共感の対象以外の何者でもなかった。

そんな自由の闘士・ワレサがワイダ監督の下で帰ってきた。一介の電気工から、多くの労働者を率いて、独立自主管理労組「連帯」を創設。初代委員長として活動し、最後には大統領にまで上り詰めた。

「灰とダイヤモンド」「地下水道」「大理石の男」「鉄の男」-ワイダ監督はポーランドの政治的なテーマをとり続けてきた。「連帯」の支持で89年には国会議員にもなった。

そんなワイダ監督が「ワレサ」を描いた。英雄としてではなく、人間的な弱みも持つ家族思いの人物として。要所要所に、80年代にポーランドで流行ったロック調のプロテスト・ソングが効果的に挿入されている。「僕は自由を愛し理解する、自由は捨てられない」「流れに逆らうな、個人の存在なんて無だ、そう言われても進め、流れに逆らい、進め」「社会をひっくり返すんだ、向こう見ずな決断だけど、体制を覆せ」

『秘太刀馬の骨』

カテゴリー: Books

2014/03/16  20:47


藤沢時代小説の隠れた傑作だとか

初出(「オール読物」1990年12月号~92年10月号連載)

 

書名:『秘太刀馬の骨』(ひだちうまのほね)
著者:藤沢周平
出版社:文春文庫(1995年11月10日第1刷)

 

藤沢作品はそれこそ、馬に食わせるほど読んでいるが、『秘太刀馬の骨』は知らなかった。系統的に読んできたというよりも、その時折の気分に合わせて読んでいたら、結果的に藤沢作品が多くなったということだ。

藤沢周平(1927-1997)の作家デビューは1971年の『溟い海(くらいうみ)』(オール読物新人賞)。72年の『暗殺の年輪』で直木賞を受賞し、新進時代小説作家として世に出た。

『秘太刀馬の骨』は、「オール読物」1990年12月号から92年10月号に連載された作品。95年に肺炎をぶり返し、96年は入退院を繰り返し、97年1月26日に肝不全で69歳で死去したことから、晩年の作品だ。

題名からして変な作品だなと思った。北国の小藩に、謎の秘剣を求めて、江戸からやってきた1人の剣客・石橋銀次郎が、6人の剣客と1人ずつ、死を賭して闘っていく物語だが、秘剣の裏に、熾烈な執政をめぐる暗闘が隠れていて、筋立ては結構複雑だ。

「『馬の骨』は、手綱を離れて突進してくる病馬に立ちはだかった、矢野惣蔵の機転の剣名である。すなわち、馬は惣蔵に噛みつこうとする。惣蔵は二度三度とかわす。馬はいらだって、竿立ちになる。そして抱き込むように惣蔵の上に前脚を振りおろす。

そのとき惣蔵の身体が右から左にすばやく動いた。振りおろした馬の脚の前、首の下を掻いくぐったようにみえた。掻いくぐって馬の左側に立ったときには、惣蔵の刀は鞘におさまっていた。馬は、首の骨を両断されていた。これが秘太刀『馬の骨』である。馬の骨を切ったので、かく命名されたのである」(文庫本解説・出久根達郎氏)

 

■追記(2014/07/20)

 

石橋銀治郎(内野聖陽)と浅沼半十郎(段田安則)

石橋銀治郎(内野聖陽)と浅沼半十郎(段田安則)

 

藤沢作品は数多くドラマ化、映画化されている。今年のNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』はもっぱらBSプレミアム(日曜午後6時~45分)で観ているが、続いて地上波の「金曜時代劇」の再放送も楽しんでいる。

それが7月に入って、何と『秘太刀馬の骨』が始まったから驚いた。本は読んだものの、内容が今ひとつ理解できず、消化不良の気分が残っていた。テレビの力はやはり大きい。石橋銀治郎役の内野聖陽、浅沼半十郎役に起用した段田安則のイメージが作品の個性とよく合っている。

何でまた、この時期にこの作品かといぶかっていたら、テレビ放映されている作品は2005年8月に連続6回で放映されたもののアンコールだった。陰謀をめぐらす家老・小松帯刀役を近藤正臣が務めていることにふと違和感を覚えたときに気づくべきだった。

ざっと読み返してみて、これが藤沢時代小説の隠れた傑作であることに納得した。

■追々記(2014/08/10)

 

銀治郎と家老・小松の側女たき(最終回「暗闘」)

銀治郎と家老・小松の側女たき(最終回「暗闘」)

 

エンディングにトランペットを吹く武士

エンディングでトランペットを吹く武士が面白い