2014年11月 のアーカイブ

降りかかる秋

カテゴリー: 東京日誌Ⅲ, 花/木/樹

2014/11/29  13:49


降りかかる秋

きれいな落ち葉だが、掃除は大変なのです

 

秋が深まってきた。門扉のない我が家の庭にずっと駐めっぱなしの神戸ナンバーのマイカー。神戸で乗っていて、そのまま東京に持ってきた。いずれ処分するつもりだったのに、需要が多くて、今月、東京で2度目の車検を受けた。

走行距離は既に13万kmを超えた。しっかり整備しているので実によく走る。エンジンの調子もいい。今年は買い換えるつもりだった。しかし、直前に入院・手術が決まり、それどころではなくなった。また、もう2年、厄介になることにした。

ここに引っ越してきて、まもなく20年になる。これまでずっと空き地だった隣地でマンション建設工事が始まったのは今年6月。これも相続税対策のためだ。地主さんもいろいろ大変だ。

我が家の敷地の入り口にハナミズキを植えた。この木も20年近く経つ。大きく育った。工事が始まって、隣家の要請もあって、隣地に延びた大きな幹は切った。今はお尻を突き出した形で駐めている車を庭の中に入れなければならない。

庭を駐車場にしなければならない。ハナミズキを切るかどうか。ちょっとした決断をしなければならない。もしかしたら、20年我が家を見守ってきてくれたハナミズキの最後の紅葉になるのかもしれない。

『天才スピヴェット』

カテゴリー: 映画/テレビ/舞台

2014/11/26  22:24


「泣き方だけが分からない」のコピーは泣かせる

「泣き方だけが、わからない」のコピーは泣かせる

 

作品名:『天才スピヴェット』
監督:ジャン=ピエール・ジュネ
キャスト:カイル・キャトレット(テカムセ・スパロー・スピヴェット)
2014年11月26日@としまえん

 

アメリカ西部の牧場に住む10歳の天才少年が、権威ある科学賞の授賞式に出席するため、家族に黙って1人で大陸を横断する物語だ。原作は作家、ライフ・ラーセンが2009年に出版した『T・S・スピヴェット君 傑作集』。

西部→大陸横断→東部。構成は極めて単純だが、ファミリーの心の裏に屈折する心理は複雑だ。彼らが住むのはモンタナ州のパイオニア山地の谷間にある牧場。

100年遅れて生まれてきた、身も心も考え方も純度100%のカウボーイの父、人生の大半を小さな生き物を顕微鏡で観察し、それを種と亜種に分類することに費やしてきた昆虫博士の母、アイドルになることを夢見る姉のグレーシー、学校の成績は悪いものの、射撃や投げ縄が得意なパパ似の二卵性双生児の弟レイトン、犬のタピオカ。これがフルメンバーだ。

しかし、ある日、弟のレイトンが銃の事故で死んでしまったことから、すべてが変わる。T.Sはパパに愛されたレイトンのようにはなれないし、先生も学友も理解してくれない学校でも孤立している。

そんなときにかかってきた1本の電話。T.Sが発明した磁気車輪がスミソニアン博物館の栄えあるベアード賞を受賞したという。スミソニアンなら科学者としての自分を必要としている。T.Sはワシントンに行くことを決意する。

監督は「アメリ」や「デリカテッセン」を撮ったフランス人のジャン=ピエール・ジュネ氏。想像力で未来を切り開く子どもや大人になっても子ども心を忘れない大人を描く。ハリウッドが嫌いで、物語の舞台はアメリカなのに、撮影は全編カナダで行われた。

米国で撮影することを嫌っている。理由はハリウッドの権利関係にあるという。日本では「作品は監督のもの」と思われているが、米国ではそうではない。著作権は脚本家、編集権は製作会社、配給権は配給会社に属する。

編集権は製作にお金を出した製作会社に所属するものであり、監督は文字通り、撮影現場を取りまとめる現場監督に過ぎないという。ジュネ氏はそれに抵抗している。

「収穫の秋」が我が家にも

カテゴリー: 東京日誌Ⅲ, 花/木/樹

2014/11/24  18:39


鈴なりです

鈴なりとはこのことか

 

柿のサラダはどうですか?

柿のサラダはどうですか?

 

田舎生まれのせいか、実家に植わっていた果物が好きだ。柿の木は何本もあったし、イチジクや小梅、枇杷などには今も郷愁を覚える。入院中にはイチジクを買ってきてもらって食べた。

今の家の狭い裏庭の隅に柿の木を植えた。大きくならないように芯を積んだら、横に延びた。全く手入れをしなかったら、今年はこんなにたくさんの実を付けた。剪定すれば、数は少なくても、もっと大きな実を付けたかもしれない。

柿はそのまま食べるが普通だが、セロリと合わせてサラダにした。これもなかなかいける。

豚のテーマパーク「サイボクハム」

カテゴリー: 食/食堂/レストラン

2014/11/23  23:45


こんなの食べて腸は大丈夫なのかしら

こんなの食べて腸は大丈夫なのかしら

 

鳥居観音からの帰途、圏央道の狭山日高ICから高速に乗ろうとしたら、道路沿いに「サイボクハム」の看板が目に入った。時間もまだ午後2時すぎだったので、立ち寄ることにした。前回、行ったのは約2年前

どうもここは、年間400万人もの人が押し寄せる「豚のテーマパーク」らしい。この日もずいぶん多くの人が来ていた。東京ドーム約3個分の広大な敷地。そこにレストランやミートショップ、カフェテリア、自社製パン工場、ハム・ソーセージ製造工場などがある。すぐそばには温浴施設まで営業している。公園もあって、家族で行けば、1日遊べる。

以前から、なぜサイボクと呼ぶのか疑問だった。会社の名前は「株式会社埼玉種畜牧場」(埼玉県日高市、笹崎静雄社長)。名前から県の施設のように思っていたが、れっきとした民間の食品加工メーカーだった。サイボクハムは通称だ。

サイボクの創業者はフィリピンの激戦地から九死に一生を得て戻った笹崎龍雄氏(故人)。荒廃した国土を目にして、「食こそ人間の根本」と考え、養豚業を始めた。

豚肉の品種改良を自社で手掛け、優秀な種豚をベースに「安全でおいしい肉豚」の生産をスタートさせた。牛肉には但馬牛などの銘柄牛が存在するが、もともと豚の世界では銘柄は存在しなかった。

笹崎氏は豚にも「銘柄豚」の概念を導入し、「近代養豚の父」と呼ばれているという。1997年にはオランダで開催された「国際食肉プロフェショナル競技会」に初めて参加し、金メダルとクリスタル杯を受賞。2010年には欧州国際食品品質競技会には通算14年、ドイツ農業協会(DLG)でも12年連続金メダルを獲得するなど国際的な評価も確立している。

現在の社長は龍雄氏の長男の笹崎静雄氏(ささざき・しずお)だ。田舎の養豚場を、”豚尽くし”で大量の客を呼び込むテーマパークに変貌させた。

サイボク東北牧場(宮城県栗原市)、鳩山牧場(埼玉県鳩山町)、南アルプス牧場(山梨県早川町)に3つの直営牧場を持っているほか、10余のグループ牧場を有している。

豚を馬鹿にしてはならない。たかが豚、されど豚である。

鳥居観音

カテゴリー: 旅行/移動/街歩き, 花/木/樹

2014/11/22  23:06


玄奘三蔵塔から救世大観音を眺める

玄奘三蔵塔から救世大観音を眺める

 

納経塔

納経塔

 

平和観音

平和観音

 

玄奘三蔵塔から救世大観音まで歩く

玄奘三蔵塔から救世大観音まで歩く

 

鮮やかな紅葉

鮮やかな紅葉

 

こちらは緑のまま

こちらは緑のまま

 

玄奘三蔵塔を眺めると・・・

玄奘三蔵塔を眺めると・・・

 

救世大観音は高さ33m

救世大観音は高さ33m

 

当初の目的地はここだった。東京から近場で、紅葉の名所をネットで探したらヒットした。何のことやら分からなかったが、「玄奘三蔵塔周辺の紅葉風景は北野武監督の映画『Dolls』(2002年)の撮影にも使われた」とあるので、それなりの名所と考えた。

それにしても不思議なところだ。観音像が建立されていること自体は関東3大観音(高崎観音、大船観音、韮崎観音)があるように珍しくないが、西遊記で有名な玄奘三蔵法師の霊骨を祀った玄奘三蔵塔、さらには平和観音まで勢揃いしているのには驚いた。

もみじまつりは1週間前に終わっており、人出もそんなでもなかった。ゆっくり見られた。土地に生まれた平沼彌太郎氏が家業の林業、名栗村長、埼玉銀行頭取、参議院議員などを務めるうちに、観音信仰の厚かった母親の遺志を引き継ぎ、1940年(昭和15)に、小さなほこら(現在の恩重堂)を建て、自分の彫った聖観音菩薩を安置したのが始まりだとか。

それがいつの間にか、白雲山と名付けた全山が観音信仰の領域になった。東京ドーム6.5個分の広さだという。入り口の本堂から歩けば玄奘三蔵塔まで約35分。秩父御嶽神社で体力を使い果たしたので、ここでは玄奘三蔵塔まで車道を10分で上がった。

結局、本堂は見ないまま帰途に着いた。救世大観音(高さ33m)は展望台まで上がることができたが、それもパスした。もみじをたっぷり見物させてもらった。

快晴。気温も春のように温暖で、最高の紅葉見物日和だった。

秩父御嶽神社もみじまつり

カテゴリー: 旅行/移動/街歩き, 花/木/樹

  20:40


最初の階段は序の口にすぎなかった

緩やかな階段を上ることから始まった

 

紅葉と黄葉、それに常緑が加わって見事なコントラストに

登り切ると、平坦な山道に変わる

 

紅葉は見事

見事な紅葉にしばし動けない

 

紅葉・黄葉・常緑の混ざった絶妙なコントラスト

紅葉・黄葉の絶妙な混じり具合

 

本殿に延々と階段が続く

本殿に延々と階段が続く

 

最後の386段を登り切ったところに本殿が・・

最後の386段を登り切ったところに本殿が・・

 

晴れた日にはここから東東京スカイツリーが見える(しかし今日は見えなかった)

晴れた日にはここから東京スカイツリーが見える(しかし今日は見えなかった)

 

帰途は階段を使わず山道を歩くと竹林が

帰途は階段を使わず山道を歩くと竹林が

 

1本のもみじが精一杯紅葉していた

1本のもみじが精一杯紅葉していた

 

なかなか風情のある1本だ

なかなか風情のある1本だ

 

お山はこんな風になっている

お山はこんな風になっている

 

東郷元帥も紅葉見物

東郷元帥も紅葉見物

 

これが神社の山門だった

これが神社の山門だった

 

今年最後の3連休。紅葉見物には少し遅いかと思ったが、天気もよく晴れていたので、近間の埼玉県に紅葉見物ドライブに出掛けた。目指したのは白雲山鳥居観音(埼玉県飯能市上名栗)。

自宅出発は午前7時20分。練馬インターから関越に乗って鶴ヶ島ジャンクションで圏央道に入り、狭山日高ICで下りた。あとは国道299号を秩父に向けてひたすら走ればいいと思っていたら違った。途中で県道70号に入るのを忘れていた。

何か変だなと気付いたら、秩父のすぐ近くまで来ていた。高麗川沿いに西部池袋線が走っている。景観も良いので引き返すのももったいなかった。引っ返そうと思ったら、ちょうど国道沿いに「もみじまつり」の幟が立っていた。

目的地は違うが、目的は紅葉見物。せっかくなので、立ち寄ることにした。車にナビが付いていたら、こんな間違いは絶対しないだろうが、ナビは付いていない。でも、これで困ったことはあまりない。むしろ、思いがけない出会いがあったりすることのほうが多い。

何が何だかよく分からないまま、誘導されて駐車場に車を止めた。500円。幟をよく見ると、「東郷公園 秩父御嶽神社(ちちぶおんたけじんじゃ)つつじまつり」とある。どうやら、山そのものが神社の境内になっていた。境内の広さは1万5000坪。

秩父御嶽神社(飯能市坂石)は9月27日に噴火した木曽御嶽山を本山と仰ぎ、その分霊を祀った神社だという。当地に生まれ育った木曽御嶽山の行者・鴨下清八氏が1894年(明治27)建てた。

境内にはもみじがたくさん植えられている。「私たちの生涯は順風満帆というわけにはいかないことが多々ある。一人で生きているわけでもないので、摩擦が生じないはずはない。そんな人生でも、最後に自分らしく精一杯色づきを見せるもみじのように、錦を飾って私たちもその一生を生きぬきたいものです」と宮司は書いている。

開祖・鴨下清八氏は、「人の一生もかくありなんとの願いから、もみじの木を人生の手本とするようにと、たくさん境内に植樹した」(宮司)という。

「裏を見せ、表を見せて 散るもみじ 」

江戸時代後期の曹洞宗の僧侶で、歌人、俳人でもあった良寛(1758-1831)。新潟県に生まれが、諸国を放浪した。彼がもみじを読んだ俳句がこれだ。宮司の言葉はこの句のごとくだ。

ちなみに鴨下清八氏はロシアのバルティック艦隊を破った東郷平八郎元帥(1847-1934)を敬慕しており、同元帥の許しを得て、1925年(大正14)、境内に銅像を建立。同神社の境内はその頃から「東郷公園」と呼ばれているという。

最後の会食

カテゴリー: 講演会/シンポ/セミナー/勉強会

2014/11/19  22:48


ポークカツレツ

こんなの食べて腸は大丈夫なのだろうか?(ポークカツレツ)

 

ニシムクサムライ(二・四・六・九・十一)に開催されている勉強会の会場は北野アームスレストラン(千代田区平河町)。近くには自民党本部など政治事務所の入っているビルがある広い東京の中でも、ちょっと匂いの異なる一画だ。

アパートメントホテル「北野アームス」の1階にあるのが北野アームスレストラン。私が参加してからは5年ほどだが、会合はここで10年以上開かれているという。

会合の終わりに、発表があった。レストランとカフェバーの営業はこれまで北野合同建物の直営だったが、12月より、運営はドンピエール・グループに委託されるという。同グループは都心を中心にフレンチ・レストランを営業展開している。

奇しくもこの日が北野アームスレストランでの最後の会合になった。

錦織「背の低さは弱点ではない」

カテゴリー: 会見メモ

2014/11/18  23:55


一斉にカメラのフラッシュを浴びて

一斉にカメラのフラッシュを浴びて

 

緊張しているのかな

緊張しているのかな

 

やっと少し笑みが・・・

やっと少し笑みが・・・

 

パートナーについて聞かれどう答えていいのか首を傾げて

パートナーについて聞かれどう答えていいのか首を傾げて

 

いつもの明るい笑顔に

いつもの明るい笑顔に

 

クラブから送られたネクタイをあてて

クラブから送られたネクタイを体にあてて

 

ゲスト:プロテニス選手、錦織圭氏(にしこり・けい)
2014年11月18日@日本記者クラブ

 

日本では間違いなく今年の顔の1人だ。男子テニスで自己最高の世界5位で今季を終了した。昨年末の17位から一気に躍進した。24歳。世界の強豪と互して戦う人材が出てきたのは頼もしい。

ATP(男子プロテニス選手協会)ツアー・ファイナルを終えて前日帰国した錦織圭選手が18日、日本記者クラブで会見した。まだ24歳と若いが、世界のトップクラスになると、しっかりしたことを言う。一問一答形式の記事を書いた。

************************************

男子テニスで、自己最高の世界5位で今季を終了した錦織圭選手(24)が18日、東京・内幸町の日本記者クラブで帰国会見し、「今年は一番飛躍できた年で、充実した1年だった」と振り返る一方、「当面はグランドスラム(4大大会)優勝を目指す。5年以内には世界1位になりたい」と抱負を語った。一問一答は次の通り。

-今年を振り返ると

錦織 世界ランキングが昨年末の17位から今季末で5位に上がった。トップテン入りが今年の目標だったので、それを大きく超えて達成できたのは嬉しい。後半はどんどん結果が出てきて、自信もついた。

-今年は何が一番変わったのか

錦織 新しく・マイケル・チャン・コーチがついて自分のテニスが良くなったことが一番。思った以上に攻撃的になった。前に出ることを強く意識させられ、自分が強くなった。

-テニスが変わるターニングポイントはどこだったか

錦織 今年1月の全豪オープンでの世界ランク1位のラファエル・ナダル(スペイン)戦。結果的にストレート負けしたものの、集中力が最後まで切れずナダルを追い込める場面もずいぶんあり、非常に充実感を感じた。自分のテニスが変わってくるのを感じた。負けながらも自信を持てた。あの試合が自分のテニスが変わるきっかけになった。

-一番思い出に残っている試合と大会は

錦織 一番は目標にしていた全米で決勝に残れたこと。ベストマッチは、全米の準決勝で、ノバク・ジョコビッチ(セルビア)に勝てたこと。

-全米オープンで8強入りを果たした際、「勝てない相手はいない」と発言したことの真意と背景は

錦織 意識して言ったわけではないが、反響が大きくてびっくりした。これまでは試合に入る前に既に負けていた。メンタル的に強くならないとトップには行けない。自分を追い込むために言った言葉だ。ジョコビッチ戦前にも「自分を信じろ、絶対に勝てる」とコーチに5回も言われ、強い気持ちで試合に臨めた。

-欧米選手との体格の差については

錦織 自分は欧米選手と並ぶと子どものように見えるが、背が低いことを悔やんだことは一度もない。スピードや技術などのプレイスタイルで、パワーを補うことができる。背の低さは日本人が戦っていく上で、ウィークポイントだと思う必要はない。

-アジアのテニスの現状について

錦織 ツアーの中心は欧州で、アジアから遠く離れている。目指せる選手が近くにいないのが最大の問題だ。日本には良い施設や指導者もいるので、日本のテニスが強くなることで、アジアの力も底が上がる。そのためにもまずは自分が頑張りたい。

***********************************

 

欧米人との体格の差は技術力などでカバーできると断言した発言が好きだ。ハンディキャップを克服する精神力の強さを賞賛したい。13歳のときからアメリカに渡り、現地選手と交流をし、もまれながら成長する中で培ったものだ。

こういう人材が生まれてきたことで、日本も大きく変わってきた。日本国内の基準で考えていても世界では通用しない。大変な時代になったものだ。

国際協力60周年記念シンポジウム

カテゴリー: 講演会/シンポ/セミナー/勉強会, 途上国/ODA

2014/11/17  22:14


岸田外相

岸田外相

 

ヘレン・クラークUNDP総裁

ヘレン・クラークUNDP総裁

 

ロサリオ・フィリピン外相

ロサリオ・フィリピン外相

 

カマウ・ケニア運輸・インフラ長官

カマウ・ケニア運輸・インフラ長官

 

田中明彦JICA理事長

田中明彦JICA理事長

 

ペイジ米ブルッキングス研究所シニアフェロー

ペイジ米ブルッキングス研究所シニアフェロー

すみだ3M運動30周年祭

カテゴリー: 講演会/シンポ/セミナー/勉強会

2014/11/16  22:42


かざりかんざし職人の三浦孝之氏

かざりかんざし職人の三浦孝之氏

 

IMGP2960

全国でも数少ない市松人形職人の藤村光環氏

 

IMGP2959

屏風の表装職人の片岡恭一氏(片岡屏風店)

 

江戸切り子の製作工程

江戸切り子の製作工程

 

墨田区は今や「東京スカイツリー」のある区として内外に知られているが、昔から大田区と並んで東京都内では中小企業が集積する下町だ。江戸時代から栄えた向島区と本所区が1947年(昭和22)に合併して誕生した。

隅田川では花火大会が行われ、相撲のメッカ・国技館のある両国も擁している。あまりに歴史がありすぎて、分かっているようで、実はよく分からない。かと言って隅田川を挟んだ浅草を擁するお隣の台東区ほどメジャーではない。

同区は墨田のものづくりを伝えようと、30年前から3M運動を展開している。製品・道具・資料などのコレクションを工場や工房などに展示する「Museum」(博物館)、付加価値の高い製品を作る優れた技術者の「 Meister」認定、自社のオリジナル商品を作る現場を見せながら、ものづくりの楽しさを伝えていく「 Manufacturinng shop」(工房ショップ)の3本立てだ。

普段は見られない、墨田の職人たちの技を一つの会場で味わえる実演イベントが「すみだ3M運動30周年祭」と銘打ってすみだ産業会館サンライズホール(マルイ錦糸町店8F)で開催されるというので、東京の西郊から総武線に乗って東郊の錦糸町に出掛けた。錦糸町は練馬とは違った雰囲気を持っていた。

 

セイコーが誇る時計職人の櫻田守氏

セイコーが誇る時計職人の櫻田守氏(写真右)

 

展示された「和時計」(二挺天符目覚付袴腰櫓時計、セイコーミュージアム収蔵)

「和時計」(二挺天符目覚付袴腰櫓時計)

 

すみだ産業会館からのベストビュー(右側は錦糸町駅)

すみだ産業会館からのベストビュー(右側は錦糸町駅)