脱落する中流層

 今はとても幸せである。日曜日の昼下がり。あんなに暑かった夏だったのに、順番を間違えずに、きちんと季節を秋に譲った。太陽が北半球から遠ざかっていく恒久的な地球の営みは偉大だ。四季の巡り替わりは年々、加速度を付けているように感じるが、それでも酷暑も酷寒も一定の時間が経過すれば、過ぎ去ると考えれば、耐えられるというものだ。

 「夢工房」と名付けた3畳の狭い書斎の中で、チャン・スーの演歌を聴きながら、溜まった新聞の切り抜きに精出しているときはまさに至福です。仕事絡みのニュースチェックもやるにはやるが、なかなか普段はゆっくり目を通せない文化欄や生活面を読むのがとりわけ楽しい。久しぶりにドリップで入れたコーヒーもおいしい。

 読みたい本もたくさんあるし、いろんなところにも行きたい。会いたい人もたくさんいる。夢が膨らむ。無いのは時間とお金だけか。お金はともかく、時間だって、もうしばらくすれば、嫌というほど持つことになるのだろう。文字通り、時間の問題だ。そうすると、やはり、最大かつ最後の問題はお金か。

 「1億総中流」と言われたのはもはや過去のこと。いち早く市場経済にIT(情報技術)を取り込んだ目先の利いた先見者が富を加速的に集中させる一方で、乗り遅れた人間は中流層からも脱落し、下層に転落するしかない。 貧富の差がすさまじいまでに開いていく。

 改革は必要なのだろう。現状を少しでも良くするためには。しかし、そのために犠牲になるものも大きいことが最近、気になって仕方ない。改革は楽ではない。現状を否定しなくてはならないからだ。現状に甘んじているほうが楽だからだ。今はそれも許されない時代なのだろうか。

 (これを書いている最中に、関東地方に地震があった。震源地は茨城県南部で、我が家も震度4。乱雑に積み上げていた本や資料、新聞が机から落ち、狭い部屋に散乱した。地震は嫌いだ。とにかく、自分の存在そのものが揺れることは本能的に恐怖感を覚える)

 9月総選挙で小泉自民党が圧勝した。国民が”改革政党”としての自民党を評価したためだ。特に特徴的だったのは、若者を中心とした無党派層が自民党に投票したことだ。正確に言えば、「自民党をぶっ壊す」と吼えている小泉純一郎を支持したとみるのが正しいだろう。

 でも、小泉首相は座長役者である。座長にとって最大の関心は公演を成功させることである。一か八かの勝負を賭けた公演は見事成功したが、それで、中流層や下流層が救われるかとなると、問題は別である。強者の論理としか思えない。

 小泉首相には懇談の場で何度か会った。彼の肉声や佇まい、醸し出す雰囲気などは個人的には嫌いではない。大変な個性だ。投げ返ってくる言葉も実に印象的だ。「政策」ではなく、「政局」が好きな人だ。追い込まれれば追い込まれるほど、闘志が湧いてくるタイプである。国民はいろんな意味で、大変な人物をリーダーに戴いている。

 小泉純一郎は「壊す人」である。重要なのは彼の次に首相の座に「創る人」が座るかどうかである。旧態依然の人でないことを祈りたいが、好戦的だけではなく、弱者にも配慮できる人間的な温かみを持った政治家であることを期待したい。

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