新生活

 9月30日で33年5カ月勤めた会社を定年退職。翌10月1日からシニア嘱託として新しい職場で働き始めた。仕事の内容はガラリと変わったものの、これまでと同じ編集の仕事に携われているのは喜びとしたい。

 日本では記者の命は予想以上に短い。15年ぐらいでもうデスクと呼ぶ内勤職に召し上げられ、自分で取材をしなくなる。「生涯1記者」としての道を選ぶ人もいないではないが、極めて少数派に属するのが良い悪いは別として実態だ。

 もちろん、記者を職業に選んだ以上、ジャーナリズムへの関心は強いが、会社側の要請もこれあり、管理業務に精出さざるを得ないのが実情である。自分で書く機会はほぼ消滅し、デスクでは手下が送ってきた原稿に手に入れるのが精一杯だ。部長ともなれば、もちろん、書くのは社内文書ばかりだ。

 退職するとやはり人生への取り組みや見方、ライフスタイルも変わってくる。変わらなくてはいけない。多くの企業戦士と同様、いかに自分の人生を会社のために捧げてきたのかと改めて知って愕然とする。会社人生の中で、自己実現、自己確立を図ると言えばその通りだが、それにしても、会社がすべてだった気がする。これは何だったのか。

 今さら嘆いてみても、後の祭りである。過ぎ去った人生はもう取り戻せない。これまでの会社人生が全く無駄だったとは思わない。思いたくもない。生活するためには必要だったし、時代も企業戦士を必要とした。時代的、社会的要請だった。

 それにしても、責任から逃れられるということは何と心の晴れ晴れとすることか。給料が大幅ダウンする”犠牲”を伴うが、その代わりに得られる心の平穏は貴重だ。もちろん、心の平穏だけでは食べていけない。年金支給年齢が65歳に引き下げらた中ではなおさらである。

 問題はこれからである。テーマを与えてくれる会社がなくなったからだ。テーマを自分で見つけなければならないからだ。「自由から逃走」したくなるのも分からないではない。いずれにせよ、これまで経験しなかった新しい生活が始まった。

 どういうスタイルを取ったらいいのか、思案中である。これまでのスタイルを踏襲してもダメなことだけははっきりしている。新しいスタイルを確立しなければならない。自分がこれから何を目指すのか、明確なビジョンを定め、それに向かって歩いていくことだ。

 このことをじっくり考える旅に近く出るつもりだ。日常性の中で考えるのには限界がある。自分があまりよく知らない世界で、緊張を強いられながら考えてみたい。自分がどうしたいのか、自分で模索したい。

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