「RSSリーダー」で時代に食らいつく


                  (RSSのアイコン)

 現代社会は情報社会だ。情報が主食であり、それが無ければ、個人でも企業では政府でも、対処方針が決まらない。決めたくても、決められないからだ。判断すべき事柄が重要であればあるほど、判断するための正確かつ迅速な情報が必要だ。先の韓国・延坪島砲撃事件でも、日本の菅直人首相の第一声は「関係各省に情報収集を指示した」だった。

 意識的、無意識的を問わず、だれもが日常的に情報を「収集」し、それを「分析」した上、何らかの価値判断に基づいた「行動」を取っている。情報と言っても、普通の情報もあれば、機密に属する情報もあり、その価値には違いがあるものの、とにかく収集することから始めなければならない。

 どうでもよいような情報は腐るほどあるものの、重要な情報はなかなかないものだ。あっても、どこにでもあるというものではない。保有している人が限られていたり、保有者が外に流出しないようしっかりと鍵を掛けているかもしれない。国家の存在を脅かすほどの重要な情報になると、なおさらだ。

 情報収集に対する基本姿勢は、「貪欲に、幅広く」だ。情報収集の目的によって、対象となるメディアは様々だが、確度、鮮度、速度によって異なる。ニュース報道の現場で仕事をしてきた関係から、最も信頼してきたのは活字メディアの新聞だった。テレビでもせいぜいNHKニュース程度だった。それは基本的に今も変わらない。

 最近はこれにインターネット情報が加わった。しかも、新聞各社は情報提供を従来型の活字だけではなく、ネットでの情報配信も強化しており、「新聞は活字で読む」との観念は完全に過去のものになりつつある。日本では日経が各紙に先駆けて今年3月23日から電子版を発行し始めた。米ニューヨーク・タイムズや英フィナンシャル・タイムズなどは既に先行している。

 むしろ、ネット情報の中に活字情報(新聞、雑誌、論文、単行本など)もテレビ・ラジオ情報も取り込まれつつあるのが現下の趨勢だ。新聞も雑誌もテレビも本さえも、今やネットで閲覧・閲読・視聴することが可能になった。活字勢力の抵抗で少し時間がかかるかもしれないが、情報のデジタル化・ネット化の流れは不可避だろう。

 正直言って、ネット情報を信頼していなかった。玉石混交だからだ。しかし、利便性には敵わない。とにかく便利だ。ちょっとした調べごとをするにも、どこかへ出掛けるにも、ネット検索をすれば、たちどころにある程度の情報を提供してくれる。これほど便利なものはない。この魅力には勝てない。

 個人としての情報収集はこれまで、所属するメディアに依存していた。独自の取材による情報収集と所属メディアの情報ツール、さらには提携情報機関の膨大なデータベースがあれば十分だった。しかし、当然のことながら、これが可能なのは所属する機関があったならばこそである。無所属になれば、こんな楽な状況とは縁が切れる。

 定年退職は組織や役職、職場、金とも縁が切れるが、情報とも縁が切れることを忘れてはならない。企業活動などを支えるのは情報だ。今やどの企業でも社内や関係機関に張り巡らせたネットワークに大量の関連情報を流し、社員はそれに基づいて動いている。その組織に属しているうちはその有難味を感じないが、組織を離れたら、恐らく骨身に痛感するはずだ。社員同士の口コミ情報もばかにならない。

 今はまだ、辛うじて組織の末端に連なっているため、そこそこの情報を受けているが、それも時間の問題だ。それに備えなくてはならない。コスト・パフォーマンスを考えれば、無所属の情報収集は、ネットに頼るしかない。

 RSS(Rich Site Summary)リーダーの存在は前から知っていたが、取り立てて必要性は感じていなかった。しかし、ずっと気になってはいた。誰が考えたか知らないが、実に便利。自分の気に入ったブログやホームページ(HP)は適時巡回していたが、RSSリーダーにそのブログやHPをRSS登録しておけば、こちらからわざわざ見に行かなくても、向こうから更新情報をRSSリーダー画面に自動表示してくれるのだ。

 もちろん、便利であるが故に、問題もある。とにかく、飛び込んでくる情報量が半端なく多いのだ。登録するサイトの数が多ければ当然だが、それにしても多い。丸で洪水だ。しっかり水門管理をしなければ、押し流されるだけだ。諸刃の刃である。

 情報を処理するだけで疲れ果て、肝心の分析→行動まで手が回らないという本末転倒の事態も招きかねない。使いこなすどころか、情報の洪水に溺れることにもなりかねない。情報の世界を自力で泳ぎ切らなければならない。

 縁側で日向ぼっこをしながら、新聞やら本などの活字を読む。時折、ウトウトする。のどかな光景だ。しかし、こんな光景が消滅するのも時間の問題かもしれない。新聞や本がパソコンや携帯用端末のディスプレイに変わりつつあるからだ。

 こんな時代でもやはり付いていかなければならないのだろうか。しかし、付いていくことをあきらめた瞬間から、もう永遠に時代を読めなくなることだけは確かだ。RSSリーダーで膨大な登録情報をエンドレスで読み続けていくのはそれなりの覚悟が要りそうだ。いつまで続くか。大変な時代である。

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