石灰性腱炎

 近頃、財布の中で増えるのはポイントカードと診察券ばかり。お金は少しも増えない。これは一体どうしたことか。どうしたことでもない。収入が増えない中で高齢化が進行するからだ。

 ポイントカードは特定のお店で買い物すれば、購入額に応じてポイントが貯まるし、チリも積もれば山となる。山は期待できないにしても、積もっていくチリは馬鹿にならない。少し貯まり出すと、その店への執着が強まる。お店もそれが狙いで、客を囲い込む。

 診察券が増えるのは嬉しくない。若いときは医者に掛かることなんか思いも寄らなかった。それが齢を重ねるに従って、身体にガタがきて、何かと故障が起こる上、定期的なメンテナンスも必要になってくるからだ。嬉しくないものの、医者通いから逃げられない。

 通う医者も1つにとどまらない。これが増えるのだ。若いときには信じられないが、加齢に伴ってそれが増えてくる。仕事絡みのアポよりも医者のアポのほうが多くなるのは悲しみの極みだ。しかし、これは厳然とした事実として受け止めなければならない。

 受診する診療科がまた1つ増えた。先週末土曜日から突然肩が痛くなり、日曜の夜はじっくり眠れないほど痛みが増した。五十肩を疑った。40代に掛かったことがある。病気のランクとしては大したことないが、痛みは痛み。それも厄介な痛みだ。

 週明けに整形外科を受診し、撮影したレントゲン写真には肩に石灰が貯まっているのがくっきり写っていた。医師によると、肩の痛みと運動障害をきたす点では五十肩(あるいは四十肩)だが、近年では原因が明らかな場合、五十肩とは呼ばないという。五十肩も正式名称は「肩関節周囲炎」という。

 ウィキペディアによると、五十肩の定義は①肩に疼痛(痛み)と運動障害がある②患者の年齢が40歳以降③明らかな原因がない―の3つ。私の場合、肩腱板内に沈殿したリン酸カルシウム結晶によって急性の炎症が生じることで起こる「石灰沈着性腱板炎」(石灰性腱炎)との病名が付いた。

 身体のほんの一部がちょっと調子がおかしくなっただけで、どうにもならない憂欝な気分に陥る。それに痛みが伴えば、もう世界の終わりの気分だ。大きな病気は恐ろしいが、小さな病気や痛みも辛い。そんなことを考えていくと、痛みもケガも病気もしていない状態というのは意外と至福のときに違いない。快癒すると、つい痛かったときのことを忘れる。一端痛みが出てくれば、途端にこの世の終わり気分に陥るのである。

 そう言えば、昨年秋、足の裏にいぼができ、痛くて歩行困難に陥ったことを思い出した。液体窒素で元を焼き切り、何とか原状回復したが、それでも痛みを抱えた1カ月間はこの世の終わり気分だった。病気とも言えない、ささいな苦痛だったが、もう二度と御免だ。とかくこの世に痛みの種は絶えない。

 エジプトやイエメン、リビアでは死に至る激しい痛みが続いている。こうした痛みを味わうことがないのがベストだが、痛みに襲われた以上、それと付き合っていくしかない。人が生きていくというのは大変な営みだということを改めて噛み締めている。

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