日本が危機管理能力を欠くのは性善説のためか


               (昭和村で買ったヒマワリ)

  未曾有の国難に見舞われながら、危機を管理する能力が甚だしく欠如しているのはどうも、日本民族に沁み込んでいる「性善説」のためではないかという思いにこのところずっと囚われている。

 性善説=人間の本性は善であり仁・義を先天的に具有すると考え、それに基づく道徳による政治を主張した孟子の説。荀子(じゅんし)の性悪説に対立(広辞苑第5版)

 性善説に立てば、世界は最初から皆良い人ばかりなので、社会は平和で安全で正しいのが普通だ。危機感など持つ必要もなく、無意識に相手を信用するのが自然の姿だ。危機感を抱く必要のないところに危機管理能力など養われるはずがない。緊張感も育たない。

 緊張感も危機感もなしで生きていくことのできる日本社会はすばらしい。人を疑うことが圧倒的に少ない日本社会はこの世の楽園だ。これまでの日本は性善説を精神規範に美しい生き方をしてきた。凶悪犯罪も少なく、地球のパラダイスだった。

 こういうことをある会合で話したら、ある人から「神道」の影響も大きいとの指摘を受けた。日常的に強く意識することはほとんどないが、神道も根底には性善説が横たわっているのではないか。八百万の神で、絶対的存在を認めない寛容な宗教だ。

 日本人は島国で生きる農耕民族。村社会を維持するためには和を重んじ、隣人を信頼し、お互いに助け合う関係を保つことが必要だ。そうした倫理観が風土的にも確立されてきた。日本民族が誕生して以来、倫理的にも道徳的にも宗教的にも日本人はどうやら性善説を信奉してきた。

 これは良いとか、悪いとかの問題ではない。性善説が良いとか性悪説が悪いとかの問題でもないだろう。日本はずっと性善説で生きてきたものの、日本以外のほとんどの国がいつの間にか性悪説を規範に行動している結果、日本にとって極めてまずいことが頻発するようになってしまったのだ。

 少なくても第2次世界大戦以降の世界を動かしているのは欧米先進諸国で、その行動原理は性悪説に基づくパワーポリティクスだ。性善説を掲げる日本が性悪説を武器とする国際政治・経済の場で戦うのは真剣対竹光(たけみつ)の試合だ。

 危機管理能力の欠如は尖閣列島対応などさまざまな局面で露呈したが、最も危機管理が問われる3.11東日本大震災対応でも無能ぶりをさらした。菅直人民主党政権に最悪を想定する危機管理が不在だった。その政権を誕生させた日本国民も危機意識を持たなかった。政権も国民もそのとがめを負うべきだ。

 3.11大震災は自然災害だったはずだが、地震後に起こった東京電力福島第1原子力発電所事故は「人災」との見方が定着しつつある。危機管理能力さえ、きちんと確立していれば、事故がこれほど深刻化・長期化することはなかったのではないか。

 道徳や倫理感、宗教、風土性などはすぐには変わらない。しかし、これだけ痛い目に遭った以上、しっかり考えなければならない。東日本大震災で終わりではない。まだまだ大地震・津波が控えている。いつ来てもおかしくない。

 自然災害だけではない。中国の海軍力増強による日本海安全保障、既に尻に火が付いているはずの財政破綻問題。危機に満ち溢れているのだ。それなのに、日本という国をリードする中枢には危機感が乏しい。道徳や宗教のせいにばかりしてはおられない。

 経済産業省の官僚・古賀茂明氏は著書『日本中枢の崩壊』の中で、「日本の国という列車を牽引している政治、行政のシステムがあまりにも古びていて、世界の変化に対応できてないのだ。・・・その最大の原因が霞が関の内向きの、すなわち省益にとらわれる論理である。そして、官僚がそうした内向き志向になっていく仕組みこそが問題の本質だ」と指摘した。

 この問題を放置している限り、人災化した次なる自然災害、中露による尖閣列島・北方領土の実効支配強化、財政破綻による政府閉鎖などの”国難”が相次ぐのは必至だ。泣くのは政治家でも官僚でもない、1人1人の国民だ。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.

花/木/樹

Next article

アジサイ