「韓国は敵じゃない」と和田春樹氏

 

会見する和田春樹東大名誉教授

ゲスト:和田春樹東大名誉教授
テーマ:「朝鮮半島の今を知る」㉞
2019年10月2日@日本記者クラブ

 

お互いに相互批判を繰り返し、国交樹立以来最悪の状態と言われるまでに陥った日韓関係。つい最近までお互いを認め合った同盟国だったのに、いつの間にか敵国同士のような間柄になってしまった。

国民性の違いは理解できるとしても、これほどまでに対立してしまったのはなぜなのか。離れたくても、地政学的に離れられない両国はこのまま対立し、最終的には戦火を交えるのか。

日本記者クラブの「朝鮮半島の今を知る」はこの日で34回目。様々な識者から様々な視点で話を聞いているものの、正直聞けば聞くほど分からなくなっているのが実情だ。

今回は和田春樹氏が登壇した。1938年1月生まれの81歳。日本の歴史学者であり、社会運動家でもある。最近ではHPに韓国は敵じゃない」(2019年7月26日)という声明を発表した。和田氏はこの声明発表の呼びかけ人世話人の1人。

声明は「7月初め、日本政府が表明した、韓国に対する輸出規制に反対し、即時撤回を求めるもの」とし、「同措置が韓国経済に致命的な打撃をあたえかねない、敵対的な行為であることは明らか」と日本政府の措置を批判した。

「今回の(日本側の)措置で両国関係はこじれるだけで、日本にとって得るものはまったくないという結果に終わる」とし、「6月末の大阪G20の会議の際には文在寅韓国大統領だけは完全に無視し、立ち話さえもしなかった」と非礼な態度を指摘。その上で、「これでは、まるで韓国を『敵』のように扱う措置になっているが、とんでもない誤りだ。韓国は、自由と民主主義を基調とし、東アジアの平和と繁栄をともに築いていく大切な隣人」と強調した。

声明はこれまでの両国関係を紹介し、「日韓は未来志向のパートナー」とした上で、1965年に締結された「日韓基本条約」とそれに基づいた「日韓請求権協定」は両国関係の基礎として尊重されるべきとしながらも、「安倍晋三首相が常套句のように繰り返す『解決済み』ではない」と指摘。双方が納得する妥協点を見出すことは可能であると主張した。

今や日韓の文化交流や市民交流は大きな規模で展開し、韓国から日本を訪問する観光客は700万人、日本から韓国へは300万人が渡航。「日本と韓国は大切な隣国同士であり、韓国と日本を切り離すことはできない」と結び、「対韓国輸出規制をただちに撤回する」よう求めている。

同HPは2019年7月26日に公表し、8月31日までにおよそ9500名の賛同を得ることができたとし、アクセス数は27万を超えていると指摘。韓国のメディアにも報じられ、一定の影響力をもったと主張している。

韓国の主要メディア・東亜日報は単独インタビューで、「韓国を敵と見る措置だ。直ちに撤回しなければならない」と和田春樹氏の主張を伝えた。また、中央日報日本語版も「対韓規制撤回せよ」日本の知識人77人の叫びと題した記事を掲載した。

「韓国は敵じゃない」声明に名前を連ねている朝日新聞の市川速水編集委員は同社の出版物「論座」で、同様の趣旨の記事を載せ、「韓国を敵視する日本の外交態度」を批判し、今回の措置について戦後の日韓史上例がない、「日本が悪意をもって韓国を標的として能動的に決断した行為」と批判した。

訪日外国人者数の推移(日本政府観光局資料)

 

それにしても日韓関係はまるでつるべ落としのようだ。それが一番よく表れているのが訪日観光客の急減だ。日本政府観光局の統計によると、18年の訪日外国人観光客数は3100万人で前年比8.7%増加した。最多は中国人で838万人で13.9%増加した。2番目は韓国で753万人で5.6%の伸びだった。

しかし最近は韓国経済の不振を背景に旅行者数は低調に推移、7月初め、半導体材料の対韓輸出管理を強化したことに反発が広がり、訪日を控える動きに火が付いた格好。7月は56万人と前年同月比7.6%減、8月は30万人と48%減とほぼ半減した。

また韓国の世論調査(リアルメーター調べ)では「東京オリンピックの出場をボイコットすべき」との意見も強く、影響は旅行にとどまらず東京五輪にまで拡大している。

安倍首相は8月6日、韓国が日韓請求権協定に違反し、国際条約を破っているとした上で、「まずは約束をきちんと守ってほしい」と韓国側の適切な対応を求めた。

 

 

和田教授は、現在の危機状態は韓国大統領の元徴用工問題判決から始まったとする見方が広く共有されているが、「私はこのような捉え方をしていない」と述べた。注目するのは安倍首相の韓国、北朝鮮との関わりであると語った。

安倍首相は朝鮮戦争が終わったあとの1954年に生まれたことが大事だ。戦争も植民地支配も知らない世代の最初の日本国首相。祖父は岸信介、父は安倍晋太郎。詳しくは以下のYoutube会見動画を視聴してほしい。

 

 

・晋三氏は父の秘書を務めていたが、逝去するとともに衆院議員選挙に立候補し国会議員になった。自民党は当時野党であり、野党議員としての生活が始まった。

・安倍氏の政治活動の原点は1997年2月に亡くなった故中川昭一氏と組んで作った「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の事務局長に就任したことにある。

・この会は慰安婦関係調査結果発表に関する「河野洋平官房長官談話」(1993年8月4日)に反対し慰安婦問題を否定し、この問題を教科書に載せることに反対する若手議員の会だ。安倍氏はこの会の活動の中で櫻井よしこ、西岡力氏らと出会った。慰安婦問題によって日本にかけられた汚辱を拭いたいというのが青年政治家・安倍晋三氏の初心であったと考える。

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