「当たり前の日常が当たり前に続くものではない」ことを教えた東日本大震災9年
「見に来てよかった。当たり前の日常が当たり前に続くものではないと知った。忘れてはいけない」(2020.3.8 J.S)
「見て苦しかったり、つらかったりしたけど 来てよかった。”自分ごと”として考えるようになった気がする ゆっこ」
「いのちをたいせつにしおうね」
ここは宮城県気仙沼市の気仙沼向洋高校旧校舎。ありのままに伝える震災遺構として保存され、1年ほど前から一般公開されている。この1年間で8万3000人ほどが訪れ、こうした付箋に感じたことなどを記していく。
東に日本大震災は11日で発生から9年を迎えた。大震災関連のことはこれまでも何度もこのブログで書いてきた。書いてはきたが、年々自分の心の中では風化していく。風化させてはならないことだとは分かっているが、風化するのを止められない。
被災地には風化させたいと思いながら、風化させることが出来ない人も多くいることだろう。9年前のことがまるで昨日のことのように思える人もいるはずだ。肉親を失った人たちはなおさらだろう。
被災地ではJR常磐線の富岡ー浪江間(20.8キロ)が14日に再開し、震災で被災した路線はすべて復旧した。こうした交通網などの整備が完了に近づくものの、東京電力福島第一原子力発電所事故の影響が残る福島県を中心に、現在も全国の避難者数は約4万7000人。応急仮設住宅にも約6000人が入居を続ける。長引く避難生活で震災関連死は3700人を超えた。
政府主催の追悼式は新型コロナウイルスの感染拡大を受け中止された。被災地でも追悼式行事はほぼ中止となった。福島第一原発が立地する福島県双葉町で4日、9年ぶりに町内の一部で原発事故による避難指示が解除されたが、人が住めるようになるのは2年後となる。
それも約6割はこの町に戻ってくる気はないと意思表示している。県や国はそれでも住民の多くが戻ってくることを前提に町の復活を願っている。それが”夢物語”であることを知りながら、復興作業を続けている。何とも言えない。
3度目の3.11はこう書いている。