コンピューターの中に入っていないものをたくさん持っている人間は”ノイズ”の時代か=養老孟司氏

 

 

講演する養老孟司氏

 

■「コロナとは共存するしかない」

 

公益財団法人新聞通信調査会は11月7日、「新型コロナウイルスと人生100年時代-メディアに求められる新たな提案力・分析力」と題してシンポジウムを行った。土曜日だったのでオンラインで参加した。

第1部では解剖学者の養老孟司氏が基調講演を行い、第2部では同氏を交え楠木新・神戸松蔭女子学院大学教授、エッセイストの岸本葉子氏、小林伸年・時事通信社解説委員長のパネリストが「人生100年時代」にコロナとともに生きる時代になった今、メディアは何をどう報じていけばいいのか、提案力・分析力について話し合った。コーディネーターは東京大学教養学部客員准教授の松本真由美氏。

まず東大名誉教授で解剖学者の養老孟司氏が「コロナと人生100年は共存できるか」と題して講演。結論から言えば、「共存するしか仕方がないだろうということですね」。要はワクチンを含めて薬ができるかということだけが問題だ。

・人生100年。昨年面白い本が出た。『ライフスパン』(シンクレア米ハーバード大学教授)。遺伝学者。著者は「老化は病気だ」という。病気だから治せる。サプリメントを飲んでいる。実際に若返りは可能だということを丁寧に1冊の本にしている。

・歳を取るのは人生の自然でそういうものを人為的に動かすのはいかがなものかという意見は当然ある。彼はオーストラリア人で米国で仕事をしている。

・米国も豪州も古い国ではない。そこで出たものを日本のような古い国に持ち込むと非常にもめる。乱暴なんです。初めて原爆を実用に使ったのは米国だが、米国以外ならそういうことをしただろうか。

・人生100年も必ずしも夢ではないということが分かってもらえるだろう。

・高齢者の死亡の大きな原因はがんと血管の障害だ。脳卒中、心筋梗塞。私自身も6月下旬に心筋梗塞で入院した。これでコロナにかかると多分一発だなあ。もともと糖尿があるもんだから、かかると具合の悪いタイプの人間だ。

・普通医療というのは苦しんでいる患者を助けるから感謝される。お腹がひどく痛くて何にもできない人に治療すると大変感謝されるが、そもそもお腹が痛くならないようにして上げたらどうかというと、全然感謝されない。

・現在の医療を私がどう思っているかというと、モグラたたき。寿命を延ばすのではなくて、健康を延ばす。これは夢物語ではない。ある程度出来上がった細胞を若い状況に戻すことができるということを遺伝子を使って具体的に証明した。しかし、残念なことには社会のインフラ整備に使えていない。

・医療は医学の進歩で人が助かったのではない。基本的には社会のインフラ整備だ。人生100年も社会のインフラがいろいろ整備されてきたためだ。結核のことを昔は待機安静栄養と言った。昔は栄養が不足していた。今は栄養過多だ。

・しかし結核は治る病気になっていった。多くの人は科学療法で結核は治ると思っているが、薬のお陰ではないという結論が出ている。

・人生100年と言っても、それはいかがなものかという反論が出てくる。しかしそれは古い社会だ。シンクレア氏が乱暴なことを考えるのは理にかなっている。新しい社会から出てくるという気がする。

 

講義する養老孟司氏

 

■情報は「時間とともに動かない」

 

・私は長い間、解剖学をやっていた。意外と「情報」とは何かという議論がない。分かっていることかもしれない。情報は時間とともに動かない。動画は動くではないかという指摘があるが、そうではない。何度見ても同じ動画だ。寸分違わぬ画像が出てくる。

・生き物はどうか。ひたすら変化する。諸行無常だ。万物はいつも流転し、変化・消滅が絶えない。学者は文献は徹底的に調べるが、文献は動かない。動かないものを使ってモノを考えると、生きて動いている物を考えるのはどうしたらいいのか分からなくなる。

・解剖学の先輩からよく言われた。「するめ(亡くなった人)を見てイカ(生きている人)が分かるか」。どんな世界でも同じだが、自分が常に扱っている物に似てくる。

・情報を扱っている人は時間ととともにひとりでに変化していくものをあまり考えない。つまり毎日扱っている情報そのものが現実だって考えるようになる。情報の特徴は動かない。

・亡くなったら段々壊れていく。細胞が自分を溶かしてします自己融解。必ずしも細菌が入って壊れるのではない。自分で壊れていく。それを止めるために固定という作業をやる。ホルマリンはそのために使う。まさに情報化していく。人体の情報化したものを私は見ていたわけで、生きていた物と固定した物との違いには敏感だ。

・生き物は時々刻々変化している。社会もそうだ。時々刻々変化するものを止まった形で表現するのが情報だ。現代は情報が中心だ。情報は常に過去だからいつも手遅れですよ。どんなに新しいニュースも全部ニュースになった段階で過去になっている。だから新しいニュースを追いかける人は実は過去を追いかけている。

・何かを夢中でやっているときは時間がひとりでに経っていく。時間のことはあまり気にしない。それが本当に生きていることで、職業的に情報だけを扱っていると、世界が動かないということを暗黙のうちに思ってしまうのではないか。

・経済学者が経済を扱うと、どうもうまく行かないのは動く物を動かないもので左右しようとするからではないか。

・日本では平安時代までは情報化の時代だった。それを象徴的に示しているのが和歌の詠み人知らず。言葉だけが残っていて誰が読んだ歌か分からない。本人がいない。鎌倉時代になると、平家物語や方丈記の「行く川の流れは絶えずして・・」に表れている。加茂川はいつもそこにあるが、見ているだけで水は常に入れ替わっている。

・江戸時代になると、社会そのものが固定してくる。固定した社会では諸行無常の世界を「乱世」と読んでいる。

・スマホのボタンを押し間違うと、全然違うことが始まる。どのボタンを押すかは理屈なく決まっている。そのルール通り動かさないとスマホはちゃんと言うことを聞かない。理屈が分かっているなら良いけど、「分からなくても、ともかくこういう順序でボタンを押さないとダメだよ」。そういうものに一生浸かっていると、非常に硬くなってくるという気がする。これは日常ですからどうしようもないですね。

・「なぜそのボタンを押したの。こうするにはここを押すしかないんだよ」。そこのボタンが他のボタンと違うという理屈があるわけではない。そういう時代にわれわれは生きているんだな。

・情報というものはわれわれ(=生き物としての人間)が思っているものと違うことを申し上げたかった。現代社会で人生とかが問題になるのは考えている皆さんがたの前提が変わってきたからではないか。

 

シンポジウムで質問に答える養老氏

 

■人間は「ノイズ」の時代に

 

・昔東大病院にいた頃、「医者に診ていただいたが、私の顔を見ていない」という。カルテしか見ていない。パソコンしか見ていない。データしか見ていない。本人は要らない。

・仕事をするのだから報告はメールでいいだろう。その時の課長本人は何か。今の言葉で言えば、ノイズだ。本人は雑音。なぜ本人がノイズになるのかというと、コンピューターの中に入っていない物をいっぱい持っているからだ。機嫌が悪いかもしれないし、二日酔いで臭いかもしれない。そばに言ったら分かるから、それはノイズだ。

・そんなものを取り扱うために給料もらって働いているわけではない。人間疎外という言葉があったが、今の社会は非常に早くから全体として人間そのものがいなくなってきている。だから国は番号1個でいいよ。それにつながった情報だけがみなさんになるわけで、現物である皆さんはノイズでしかない。五月蝿い、邪魔・・・。

・いつの時代でも、どういう状況でも現物の人間は邪魔なもんですね。私は生きた人が苦手でそれで解剖やった。解剖に来る人間はこちらに一切迷惑かけない。実に静かで大人しい。文句言わない。理想的な人たちだ。こういう時代になっている。私はそう思っている。

 

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