【ドライブ】桃狩り⇒土偶⇒プクプク温泉をめぐる夏休み山梨1日社会見学

 

夢にまで見た桃

 

桃にはもぎかたもある

 

■桃はやはりお店で選別された品を買って食べるのが一番

 

孫2人を乗せて桃狩りに山梨県にドライブした。4月初旬に生け花用の花桃を見に行ったのも山梨だったが、夏は食用の桃狩りを楽しんだ。甘くてジューシーな桃が頭にあって、木からもげばすぐにその桃に当たると信じて疑いなかった。

ところが、実際はそうではなかった。木にはたくさん成っているが、美味しい桃を見分けるのが非常に難しいのだ。桃にもいろんな種類があり、6月から8月にかけて次から次へと成っていく。実際に美味しい桃に当たるかどうか。目利きが極めて大切だ。

 

美味しい桃の見分け方

 

■「日当たりの良い場所に実る桃」

 

全く知識がなくて現場に行って、美味しい桃に当たるかは保証の限りではない。むしろ当たるほうが珍しいのではないか。桃の種類も知らずに行くのはむしろ危険極まりない。

種類によって味も違うし、硬さも異なる。「木になる桃は歯ごたえがあり、るカリッとしている」と書かれている。しかし、このカリッとしているのは硬さにつながり、とてもおいしいとは思えないのだ。地元の人にはこのカリカリ感が美味しいと指摘する人もいるが、よく知らない普通の人にはそう感じられないのだ。

「日当たりの良い場所に実る桃」が美味しいらしい。つまり日当たりの良いところから甘く熟していく。木の高い位置になっている桃が狙い目だ。脚立を用意されていて脚立の上に上がって高い枝についた果実に手を伸ばして取るのが一番だ。

 

もいだ桃をその場で食べる

 

■木からもいですぐ食べる桃はうまくない!

 

桃狩りは6月から始まっている。8月も初旬に行けばあらかたもぎ終わっていて、美味しい桃には遭遇できない。悲しいが、甘くてジューシーな桃には会えなかった。

収穫した桃は、その場で皮をみて食べるのもよいが、まずはがぶりつきたいものだ。上品にナイフで切って食べたが、桃を食べた気にはならなかった。ところどころ柔らかくジューシーな部分もあって、そこは美味しかったが、全般的に硬くて美味しくなかった。

訪問した時期や桃狩りした桃の種類など問題はいろいろあるに違いない。研究が足らなかった。もっと研究をやっておけば良かったとあとにあって悔やんでいる。悔しい!

どうやら美味しい桃は専門家が選んだ高価な桃を買って自宅で食べるのが一番なような気がする。現地の桃の木から直接もぐのは体験するためのもので、その場で食べてもまだ完熟まで時間があり、それほど美味しくはないことを知っておくべきだ。

安価な規格外品に過度な美味しさを期待するのは間違いであることも知っておくべきかもしれない。

 

ちょっと睨んだ怖そうな土偶

 

■土偶が出土した縄文時代

 

コトバンクによると、縄文時代は「日本の先史時代のうち、縄文土器の使用された時代で、約1万2000年前に始まり、約2400年前まで続いた。(縄文時代は約1万年間続いた。)全期を通じて、打製・磨製石器を主要利器とし、狩猟や漁労を行い、高度な採集経済の段階にあった」。縄文時代の後は「弥生時代」が続く。

遺跡は貝塚、洞窟、低湿地遺跡などがあり、その分布は、中部・関東・東北に多く、全体の8割を占める。住居は主に竪穴住居で、草創期には洞窟を利用したものも多い。精巧な土偶が出現した

 

ぽかーんと口を大きく開けたような土偶

 

子豚みたいなユーモラスな顔をした土偶

 

土偶の群れ

 

渦や曲線の装飾が見事な「水煙文土器」

 

■釈迦堂遺跡博物館で1116点の土偶を見る

 

山梨ドライブの主要目的は桃狩りだったが、1時間足らずで終わってしまった。まだ時間は午前11時。次に何をするか。 この日は山梨県甲州市の勝沼で39.7℃と今年全国一番の暑さを記録。熱中症警戒アラートが発令された。あまりに暑いと人間の活動はどうしても抑制的にならざるを得ない。

小学校3年の孫2人も一緒だったので、教育的効果をこらした社会見学をすることにした。向かったのは屋内で冷房の効いた笛吹市・甲州市組合立釈迦堂遺跡博物館(笛吹市一宮町千米寺)。中央道釈迦堂pA(下り線)からだと階段を登ると5分もかからない手近なところに位置している。

高速を降りずに行ける便利な博物館だ。毎年4月初頭に花桃が咲く頃には博物館周辺一帯は見事に桃源郷化するほどだ。

同博物館は国内有数の「土偶」(縄文時代のひとがたの土製品)の出土数を誇る釈迦堂遺跡の遺物を所蔵している。遺跡は1980~81年、中央自動車道の建設工事に先立ち、約2ヘクタールが発掘され、縄文期の土偶や土器などが多数見つかり、計5599点が国の重要文化財に指定された。

このうち土偶は1116点あり、青森市の三内丸山遺跡にその後抜かれたが、1988年の開館当時は国内最多で全国的な注目を集めた。これまでは展示ケースが少なく、壁面に固定されていた。そのため、土偶は約300~400点しか並べられなかった。

2020年6月21日にリニューアルオープンし、可動ケースを新調し、出土した全1116点を展示できるようにし、「土偶の聖地」を目指している。

リニューアルオープンを報じた朝日新聞によると、「出土数の多さが遺跡の特徴で、遺跡の広さに対する密度なら全国一です。量を示すことで、その価値を再認識してもらいたかった」(一瀬浩学芸員)と説明している。

 

■土偶に秘められた願い

 

土偶は何のために作られたのか。「100年を越える土偶研究の中でもまだ答えは見つかっていない」と同博物館は認めている。

・女神像(生殖・豊穣・繁栄を祈る女神)
・病気・傷害・災害の形代(身代わり)
・装飾品
・埋葬具
・子どものおもちゃ
・護符(まもりふだ)
・宗教的儀式の祭具

諸説がある。なかでも、その姿が主に妊婦の姿をしていることから、女神像として、生まれてくる命の健やかな成長や豊穣を願ったという説が有力だという。

「釈迦堂遺跡の1000点を越える土偶の出土状況、多様な形態、割れ方は今、私たちにその意味を伝えようとしているのではないか」と博物館は主張している。

朝日新聞によると、「土偶は頭、胴体、手、足など体の部位がばらばらに出土しており、接合できたのは15点ほど。お守りとして各地に運ばれた可能性も指摘されている」という。

 

 

一個所だけ豪雨なものの他は快晴というゲリラ豪雨が発生中(16時50分)

 

ゲリラ豪雨は消えて富士山が顔を出す(18時10分)

 

目を左手に転じれば、虹が出ていた(17時44分)

 

■ぷくぷく温泉はゲリラ豪雨の観測場所でも

 

社会見学を終えて次に向かったのは笛吹川フルーツ公園内にあるやまなしフルーツ温泉「ぷくぷく」。フルーツ公園の一番てっぺんにある「ほったらかし温泉」もいいが、あそこは文字通り誰も手を貸さないほったらかしが極意。風情はあるが、安全面で多少問題ありで、孫を連れての入浴には好ましくないと判断。逆に「ほったらかされていない」ぷくぷくを選んだ。

炭酸風呂やサウナもないけど、ぷくぷくも結構自然な風合いに染まっている。露天風呂には夏限定のパイナップル風呂。りんご、かりん、晩白柚、ゆず、レモン、河内晩柑など色々あるフルーツ風呂の中でも、一番フルーティーな香りがするパイナップル風呂はパイナップルの匂いが中から染み出ている。

露天には1人が入れるぬるめの壺風呂も3つあって、全身をすっぽり入れてしばし休憩。客は誰もおらず、孫2人と私の3人だけが通りゆく風に心地よかった。

問題は灼熱の太陽に炒られた地面の暑いこと。宝石風呂から壺風呂に飛び込むまで40度の灼熱に温められ、まるで焼けるようだった。普通に歩くのが辛かった。

風呂から上がっておやすみ処でまったりし、食事もできる。夕方になって外のテレスに出て風に吹かれていると、フルーツパーク富士屋ホテルの先にあやしい動きがだんだんと形を作ってくる。

テラスの花に水をやっている従業員に聞くとこういう現象は「毎日ですよ。ゲリラ豪雨が降っている。朝の天気予報で大気の状態が不安定だと言っていると、午後には必ずこういう現象が起こる」らしい。

ゲリラ豪雨が発生したあとはきれいに晴れて、富士山が頭を顔を出していた。どうやら新日本3大夜景や富士山の絶景が楽しめるぷくぷく温泉のテラスはゲリラ豪雨の格好の観測場所にもなっていそうだ。

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