【国葬】世界が注目した英エリザベス女王の国葬

 

英女王国葬

 

■2000人が参列、敬意を示す

 

「英国の女王エリザベス2世の国葬が19日、ロンドンのウエストミンスター寺院で執り行われた。日本の天皇、皇后両陛下や刻々の元首らが参列し、国内外で愛された君主に敬意を示した。

第2次世界大戦後の歴史とともに歩んだ女王の時代が終わり、新国王チャールズ3世(73)の治世が本格的に始まる。

国葬は19日午前11時から約1時間で、英王室や政府関係者ら約2000人が参列した。このうち約500人は天皇、皇后両陛下をはじめ各国の元首や首脳とその配偶者らだ。

欧州の皇室のほか、バイデン米大統領、マクロン仏大統領、カナダのトルドー首相など世界のリーダーがロンドンに集った。

女王の棺には王室の旗がかけられ、王冠や花などが上に置かれた。国葬ではトラス首相が聖書の一節を読み上げたほか、参列者が聖書を歌った。2分間の黙祷は国葬会場だけではなく英全土で行われた。

最後に国歌の斉唱を終えると同時に、曇り空だったロンドンに日が差し込んだ。

棺は国葬後、砲車に乗せられてバッキンガム宮殿の周辺を行進。チャールズ国王らが後ろに続いた。その後ロンドン郊外のウィンザー城に霊柩車で運ばれ、歴代の君主や夫のフィリップ殿下が眠る聖ジョージ礼拝堂に埋葬された。」(以上、9月20日付朝刊から)

エリザベス女王は2022年9月8日に96歳で亡くなった。

 

■プライバシーを公開し一部廃止論に抵抗

 

ロンドン時事電によると、エリザベス女王は父ジョージ6世が56歳の若さで死去したとき、まだ25歳で、ケニア公式訪問中だった。しかし父親の訃報に接し直ちにロンドンにとって返し即位した。

「私には修業時代がありませんでした。父の死はあまりに早かった」と当時の心境を述懐する言葉を残している。若くスター性のある女王の戴冠は、まだ戦後の窮乏を引きずり、大英帝国の没後に直面していた英国にとって久々の明るい話題だった。

国民は大歓迎し、世界各国への訪問でも新女王は人気を集め、英外交にとって計り知れない「財産」となった。生涯で公式に訪れた国は120カ国以上に上るという。

長い伝統を誇る英王室だが、一部で廃止論もくすぶっている。これに対し女王は、1962年にバッキンガム宮殿の一部を初めて一般公開。私生活をテレビ番組で紹介したりした。

インターネットの動画投稿サイトに王室の専用チャンネルを開設し、毎年恒例のクリスマスメッセージを掲載した。大衆酒場のパブを訪れるなど親近感もアピールした。

 

■転機となったダイアナ妃交通事故死への対応

 

女王にとって最大の危機は1997年のダイアナ元皇太子妃の交通事故死。当初女王は国民の悲嘆ムードと距離を置き、バッキンガム宮殿に半旗を掲げなかったことで「王室は元妃を冷たく扱った」と強い反発を受けた。

当時女王は71歳だったが、世論調査では、約5割の国民が75歳までに退位すべきだと答えるなど王室批判が強まった。女王は態度を改め異例の追討メッセージを読み上げ、元妃が暮らしていたケンジントン宮殿前に花束を手向ける市民と言葉を交わした。

この行為が常に国民の気持ちに寄り添おうと心を砕く市民の王室への信頼を生んだ。この女王の外に開く王室の姿勢は他の国の王族にも手本となったとされる。

この女王も13歳の時の初恋の相手、夫のフィリップ殿下とともに歳を重ね、晩年は愛きょうのある笑顔が似合う「おばあちゃん」として親しまれた。

女王は「私は継続することこそ重要と考えます。王位は一生の仕事です」と述べた。起伏に富んだ英国戦後史の大部分を君子として見届け、96年の長い生涯を国民に捧げた。

 

エリザベス女王国葬

 

ウェストミンスター寺院

 

遺体を待つ砲車

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