【小布施町】北斎・栗・修景の3つで年間120万人の観光客=北斎館で肉筆画を鑑賞し栗料理も堪能
■観光客ゼロの町から大観光地へ
軽井沢に行った帰り、小布施町に寄った。8年前の2014年1月に1度取材で訪れている。その時にインタビュー取材したのが栗菓子屋「小布施堂」17代当主の市村次夫氏だった。
小布施町はいまでこそ年間120万人も訪れる大観光地になっているが、インタビュー記事によると、「40年前は観光客ゼロの町だった」。それを可能にしたのが①葛飾北斎②栗と栗菓子③町並み修景ーの3つだ。
北斎は天保13年(1842)に初めて同地を訪れ、町内にある岩松院に天井画を描いた。北斎を小布施に招いたのが市村家第12代の市村三九郎氏(高井鴻山)。その後明治30年代に栗菓子の製造も始めた。さらに町並みを修景し、「気持ちのよい空間」を作り出した。
種があっても、それが大きく育つまでには水をやり肥料を与え続けなければならない。小布施町活性化の中心になって動いている1人が市村氏で、千代田区立日比谷図書文化館で2014年には「小布施町30年の軌跡」と題して講演をした。この講演を聞いて私はインタビュー取材を申し込んだのだった。
私は2014年2月18日、ニッポンドットコムに「昔も今も家業で地域文化に貢献する栗菓子屋ー小布施堂」を書いている。
■本店レストランで栗の料理
軽井沢は午前10時前に出たものの、ICを間違、小布施町に着いたのは午後も1時を回っていた。50kmの道のりに3時間をかかってしまった。すごい時間ロスだが、仕方ない。
北斎館駐車場が満車だったので北斎館裏手の東町駐車場に向かった。小さな町のうえ修景地域もそんなに広くはない。町をブルブラするのも時間がかからない。ちょっと歩いていると、小布施堂本店の前に出た。
小布施堂本店には奥まったところにレストランが併設されていた。提供されていたのは季節の食材を月替わりの内容で出す和食コース料理で、「地野菜のショウルーム」としての役割を自覚しているという。
9月と10月のメニューは小布施自慢の「栗」がメイン料理。昨日はフレンチを食べたが、今日は栗料理。旅先である。遠慮なくいただくことにした。実にぜいたくである。
茶巾絞りの中に隠れたわさびが栗の甘さを引き立てる。口いっぱいに広がる風味は筆舌に尽くしがたい。栗のみを用いた一品だ。
脂の乗った旬の秋鯖を香ばしく焼き、あっさりとしたすまし仕立てにした椀物。旬のキノコとともにいただくのが嬉しい。
豚のブイヨンで炊いた豚の肉団子、人参、しめじ、ほうれん草と色とりどりの体の温まる一品だ。
蒸しただけの新栗を使った栗本来の甘さを生かした栗おこわ。小布施の味わいだ。丹波生まれの私には丹波栗とも相まって懐かしさが湧いてくる。
わらび粉で作ったぶどう餅と長野県産の甘みの強いぶどうのコラボレーション。食感が違って何とも言えないおいしさが口の中に広がる。
大納言あずきと新栗で作った小布施町の里山「雁田山」に見立てた生菓子。上品な甘さが口いっぱいに広がる。
これが「栗の点心 朱雀(すざく)」で、9月10日から10月16日まで完全予約制にて提供していた同社の新種商品。イベントに出品されるたびに熱烈なファンが開店時から行列する人気沸騰のスイーツ。
われわれが小布施町に行ったのは10月17日で、「朱雀」は終わっていた。せめて写真だけでも掲載しておきたい。
■83歳で初めて小布施を訪れた北斎
北斎が小布施町を初めて訪れたのは83歳の秋だった。以後、北斎は都合4回小布施を訪れ、晩年の集大成である肉筆画に全力を注いだ。浮世絵には多色刷りの版画のものもある。
当時の小布施は北信濃の経済の中心地として栄え、小布施文化の花開いた時代だった。高井鴻山は江戸日本橋で呉服商を営む小布施出身の小山文右衛門(十八屋)を介して北斎と出会い、小布施に招いた。
北斎館は昭和51年(1976)、町内に遺されている北斎作品の散逸を防ぎ、収蔵・公開するための美術館として開館。貴重な肉筆画を中心に企画展を通じて北斎作品や史料を紹介している。
■「富士越龍」は北斎の絶筆
北斎最晩年の名品「富士越龍」は北斎亡きあと、高井鴻山が入手したのち転々とし、北斎館が海外から買い戻したという里帰りの作品。
雄大な富士と駆け上がる龍の姿から北斎自身を照らし出した作品と考えられる肉筆画の逸品。北斎の絶筆とも言われている。
北斎は90年の生涯の中で3万点もの作品を描いたという。有名な「富岳三十六景」などの風景版画だけでなく、肉筆画やさまざまなジャンルの作品を残している。
「富士越龍」は富士山を取り巻く黒い雲の中を、龍が天を目指して昇っていく姿を描いている。「黒雲を呼び、昇天する龍の姿からは画業の高みへともっと昇りつめたいという北斎の最晩年の心境がうかがえる」との声も聞かれるほどだ。
祭屋台展示室には北斎の天井絵が描かれた2基の祭屋台が収蔵展示されている。東町祭屋台の「龍」と「鳳凰」は天保15年(1844)、北斎85歳の時の作品だ。
また上町祭屋台の「男浪」「女浪」の「怒濤図」は弘化2年(1845)、北斎86歳の作品である。
■由来は福島正則公が安置した観音様
地元に人にどこかいい日帰り温泉はないかと聞いて紹介されたのが「おぶせ温泉 穴観音の湯」(小布施町雁田1194)。同じ場所に「あけびの湯」と並んであった。昔も1度浸かった覚えがある。
雨が降り出したのでとにかくそこへ急行した。8年前と同様、雁田山の崖っぷちにへばりつくようにあった。もちろん「穴観音の湯」と命名されたのには由来がある。
「豊臣秀吉の家臣で戦国武将・福島正則公が安芸・広島から信濃国高井郡に流され晩年を過ごしたとき、当館に隣接する岩窟に持仏の観音像を安置したと伝われる『穴観音』。
「当館開業前は、『穴観音』以外は何も無く周囲は雑木林が広がっていましたが、お参りを欠かさず信心深かった創業者の碓井亮一が『私の足元で温泉を掘りなさい』と夢の中でお告げを授かり、それを信じて、掘削し温泉が湧き出たことで『穴観音の湯』と命名されました」という。
自家源泉を使い、加水や添加物を一切使用しない源泉掛け流しの湯。硫黄を含む泉質なので、殺菌効果があり、傷やあせもに効果があるという。
大人650円と安いのも魅力的。10回分の回数券は5000円で、ワンコインで入れる。露天風呂もあってそれなりの至福感に浸れるのも満足できる。