【北関東旅行】目の前に広々とした太平洋の絶景を眺めながら浸かった「蟹洗温泉」再訪=岡倉天心をしのぶ五浦海岸「六角堂」

太平洋健康センター「いわき蟹洗温泉」(同温泉HPから)

 

■10年前に日帰り入浴

 

太平洋に突き出た一角にへばりついたように立地する太平洋健康センター「いわき蟹洗温泉」(福島県いわき市四倉町)。広大な海を眺めながらお湯に浸かりたくて茨城県牛久市から常磐自動車道を北上すること170km。途中で降雨待機もあって温泉に到着したのは午後7時だった。

昔、立ち寄ったのは10年前の2013年9月21日。いわき市の北30kmの洋上に巨大風車を建設する福島復興浮体式洋上ウィンドファーム実証実験事業を見学するためだったが、結局断念。

帰途、国道6号線を南下していて、「いわき蟹洗温泉」にぶつかった。朝からのロングドライブで疲れていたので、一風呂浴びることにした。その時のことをブログに書いている

同温泉は、2011年3月11日の東日本大震災で施設の大半に海水が流れ込み使用不可となったものの、温泉は枯れずに残った。そして2013年7月16日、2年4カ月ぶりに営業を再開したばかりだった。

 

会津ほまれの熱燗

 

■大広間で夕食を

 

目の前に広々とした太平洋。ホテル蟹洗の1泊朝食付き料金は1人当たり6630円(消費税、入湯税込み)。時間が遅かったのでチェックインし1階レストラン太平洋で夕食を食べた。

揚げ物ばかりだったが、つまみを幾つか頼むとお腹はいっぱいになった。レストランは大広間。昔、自宅近くにあったラドン温泉によく似ていた。舞台があって、それを眺めながら食事もできた。そんな感じのレストランだった。

 

朝食

 

太平洋の大パノラマ

 

朝風呂は午前6時から9時まで。朝風呂に浸かり、レストランで朝食を食べた。のんびりした朝だった。朝食後、周囲を散歩したが、9.11対策で護岸対策がしっかりと施され、海に出ることはできなかった。

 

蟹の椅子に座る

 

■安全と引き換えに失った自然

 

当温泉の所在地はもともと「蟹洗」と呼ばれ、枝振りの良い松の木が点在し、平坦な磯で戯れる蟹が、押し寄せる大波によってきれいに洗い流されるという風流な絶景地であった。

大正の初め頃まで、近くの鉱山から採れる鉄を洗ったことから「金洗」と呼ばれ、いつのまにかこの場所にふさわしい「蟹洗」に変わったと言われている。

たしか10年前も2本のはさみと4対の足の合わせて10本の蟹の椅子に座った覚えがある。今度もまた腰掛けた。座り心地はゆったりとして良かった。

レストランといい、お土産物屋といい、眼前の海とかここには何でもあるが、かといって何かが足りない。それは恐らく「冒険」をくすぐる仕掛けではないか。それが人工的な護岸工事で消されている。

安全を守る対策がしっかりされており、逆にそれが絶景を台無しにしている。安全と引き換えに自然の荒々しさも失っている。これが現代の姿なのだろう。安全に勝る物は何もないと歴史は教えている。

 

復興サイクリングロード「いわき七浜海道」も一部は冠水して(蟹洗温泉周辺)

 

「いわき七浜海道」沿いの海を眺める

 

■天心記念美術館

 

「いわき七浜海道」は、白砂青松が広がるいわき市特有の美しい海岸線に沿って、復旧・復興事業により整備された防波堤や既存の国・県道や市道などを活用し、自転車走行空間として整備したものだ。

勿来の関公園から久之浜防災緑地までの総延長約53kmのサイクリングルート。2019年8月までに勿来の関公園から三崎公園までの約26kmの区間が完成、三崎公園から新舞子ビーチ間13kmの整備が2020年8月に完成。21年3月28日に全線が開通した。

蟹洗温泉から国道382号線を海沿いに南下し、しばし海岸で遊びながら、勿来(なこそ)まで走行。防波堤の側が自転車道路になっていた。目指したのは天心記念五浦美術館(茨城県北茨城市大津町)。

太平洋を一望できる五浦(いづら)海岸に立つ美術館。岡倉天心や横山大観をはじめとする五浦ゆかりの作家たちの業績を顕彰するともに、展望ロビーやカフェテリアからは、大小の入り江と美しい松林が見事な景観を作り出す五浦海岸の眺望を楽しめる。

それにしても岡倉天心や横山大観とは古い。びっくりするほど古い人物だ。文明開化の時代に活躍した岡倉天心がいくら天災思想家だと言われても簡単に信じるわけには行かない。時代の創世記に登場した天才かもしれないが、「矛盾を抱えた人物」なのだろう。

 

六角堂

 

■岡倉天心の思索の場所「六角堂」

 

六角堂は茨城県北茨城市大津町五浦(いづら)にある六角形の建築物。明治時代に岡倉天心が思索の場所として自ら設計したもので、茨城大学が管理している。

 

岡倉天心の自宅

 

亜細亜は一つなり

 

明治の思想家、岡倉天心が1903年に書いた『The Ideals of the East』(東洋の思想)は「Asia is one」で始まる。

岡倉天心は「普遍的なものを求める愛」をアジア民族共通の思想とし、「Asia is one」と表現した。

 

岡倉天心像by平櫛田中

 

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