植林の力

 「昔、あるところに男と木があった。この木は男に日陰を提供し、葉っぱや実を与えた。ところがある日、悪魔がやってきて、男にこの木を切るようにささやいた。男は木を切った。しかし、このため、太陽が男に直接当たり、男は実を食べられなくなってしまった」

 「それから男は後悔して家族を呼び寄せ、また村人に呼び掛け、植林をするように勧め、自分の罪をあがなおうとした。木は天と地の間をとりもっている。天から雨が降り、地は木の根っこを通じて水分を吸い上げる。木は自然の保護にとって非常に大切なものだ。人間が生き延びていくためにも必要だ」

 「日本では植林が行われ、木が保護されていると聞いている。木を切り倒すためには当局の許可が必要で、切ったら必ずそのあとにまた新しく木を植えなければいけないと聞いている。セネガルでもこの日本の精神を生かし、同様な措置をとっていかなければいけない」

 「セネガルは農業国で、人々は自然の保護に敏感になっている。木がなければ発展がないことも知っている。われわれはみなさんの努力がさらに続けられることを願っている」(1993年8月20日、セネガル・ティエス市郊外ティエナバセック村での村長=村の宗教的指導者マラブーの話)

 ノーベル平和賞を昨年受賞し、毎日新聞社の招きで来日中のケニアの副環境相、ワンガリ・マータイさん(64)が2月21日、東京・千代田区内幸町の日本記者クラブで行った記者会見を聞きながら、もう10年以上も前に参加した西アフリカ・セネガルでの植林ツアー「グリーンサヘル」(大阪国際交流センター主催)を思い出していた。

 セネガルには昔から、「植林する」という概念がなかったと聞いた。木は切ったら、切りっぱなしで、どんどん荒れていくばかりだった。炊事のための薪炭需要が旺盛だったためだ。そこに、極東の森林国・日本がこの考えを持ち込んで、植え付けた。

 マータイさんはセネガルとは反対の東アフリカに位置するケニアで、1977年には有志と「グリーンベルト運動」(非政府組織)を創設し、植林運動を開始。それも単なる自然保護運動ではなく、植林を通じて貧しい人々の社会参加の意識を高め、女性の地位向上を含むケニア社会の民主化に結び付けようとした。こうした姿勢はモイ前大統領の独裁政権から弾圧の対象と見なされ、幾度も逮捕された経験がある。

 現在、ケニア全土には約1500カ所の苗床を持ち、参加者は女性を中心に約8万人に上る。植林した苗木は3000万本に達し、「植林はケニア民主化のシンボルになった」という。

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