『へばの』

 「ポレポレ東中野」で木村文洋脚本・監督作品『へばの』(2008年日本映画、81分)を観た。観る前に分かっていたのは作品の舞台が青森県六ヶ所村であることぐらいで、「へばの」が「さようなら」という意味であることも、「わは、ここにいる」というサブタイトルの「わ」は「わたし」であることさえも知らなかった。青森弁も分かりにくかった。

 何年前か「六ヶ所村」へは一度行こうとしたが、実現しなかった。核燃料再処理工場があるところだ。映画のテーマは再処理工場で働く戸澤治と六ヶ所村PRセンターで働く對馬紀美の別れと再会。治は作業中にプルトニウムに被爆し、紀美の前から突然姿を消す。紀美は六ヶ所村の生活をやめない。

 観終わった後、パンフレットを読んで、ようやく分かったことも多い。作品としては評価できない。評価するというよりも、評価される条件を揃えていない。内容も分裂的だし、観客に対しても不親切極まりない。再処理事業反対、原発撤廃を訴えるプロパガンダ映画なのか。監督が何を訴えたいのかもよく分からない。

 終映後、3月上映予定の『デメキング』の原作者いましろたかし氏と木村監督のトークを聞いた。木村監督は「別に舞台が六ヶ所村でなくても良かった」と言っていたが、観る側が「六ヶ所=原発」と思い込むのは自然。いくら青森出身だからといって、安易に六ヶ所を持ち出してもらっては困る。

 「木村文洋は昔から頭の悪い男だ。世の中のほとんどの男が『わかった気でいる』か『わからないって割りきったポーズ』をしてそれなりに上手く立ち回る中で、木村は『わかりたい』と駄々をこね、衝突し、停滞しては、またぶつかっていく。映画『へばの』は物分りの悪い男(=監督)と解られてたまるかという女(女優・西山真央)が、雪の中で向かい合って性交している様を観ているようだ。まったくもって頭が悪い。ただ、あなたが『安全な偽物』より『危険な本物』を選ぶ人種なら、絶対『へばの』を観るべきだ」

 帰りがけにもらったB5パンフの裏面には12人の映画監督らのコメントが掲載されているが、西尾孔志CO2ディレクター映画監督のコメントが一番しっくりきたので紹介しておきたい。

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