市場主義経済に思う

 このところ、ずっと市場主義経済の是非について考えている。もう1年以上だ。私が市場主義経済の洗礼を受けたのは1980年代後半の英国駐在時代。サッチャーリズムが全盛で、ウインブルドン現象という影はあったものの、英国経済は大国病から立ち直り、活気を取り戻していた。時代はバブルに浮かれ、人も浮遊した。

ベルリンの壁が崩壊し、冷戦構造は終結。世界は新しい「グローバリゼーション」という新しい時代に入った。ジャパンマネーが世界を席巻し、繁栄に浮かれた英国から1990年初頭、日本に戻ってくると、日本のバブルもほどなくして破裂。それからが今に至るまで20年近く、「失われた時代」が延々と続く。

 グローバリゼーションを牽引したのはアメリカの金融至上主義。マネー資本主義だ。日本でもその流れに乗って、金融ビッグバンが始まった。市場化、規制緩和を政策の中心に据えた国家運営である。自己責任による競争原理の導入だった。日本でビッグバンを始めたのは橋本龍太郎政権だったが、それを引き継いだのは小泉純一郎政権の構造改革路線である。

 米国を中心に、世界中でグローバル金融資本主義の嵐が猛威を振るう中で、日本経済だけが低迷を続けた。90年代から始まったデフレから脱却するチャンスもあったものの、景気浮揚の入り口で引き締め政策を実施(1996年)する橋本政権の失政で景気は失速した。

 日本経済が底の見えない低迷と閉塞状況にあえいでいる状況下に登場したのが小泉構造改革。その時代がかったパフォーマンスを支持したのは国民だった。「改革なくして成長なし」「抵抗すれば自民党をぶっ潰す」という威勢の良いスローガンだけが耳に届いた。国民は彼を信じた、信じ込まされた。

 そして今。日本社会は戦後最悪の失業と格差拡大に苦しむ。経済はデフレから脱却できないばかりか、年金・雇用・医療不安が蔓延し、社会はガタガタ。金融資本主義の亡者・米経済の崩壊の大波が苦境に追い討ちを掛けた。まあよくもこれだけ、次から次へと難問が押し寄せてくるものである。

 市場主義経済が悪かったと言われても、ずっと市場主義経済の中で育ってきたものにとっては困る。もう30年も市場主義経済の中で生きてきた。今さら、市場主義をやめるなんてことはできないし、そうしようとするのは非現実的だ。市場原理主義は問題だが、市場主義はもう社会のインフラそのものだ。

 そういう状況での鳩山民主党政権の誕生である。市場主義経済が今後、どうなっていくのは気になるところだ。成長戦略をどうするのか。非常に重要な時期だ。

 

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