モンゴルの至宝展

 「横綱朝青龍が2場所ぶり25度目の優勝を果たした大相撲初場所。千秋楽の翌朝、本紙スポーツ面の星取表をみていると、『モンゴ』の3文字がいくつも踊っていた。朝青龍、白鵬の両横綱をはじめ・・・12人にも上った。初場所の幕内力士は42人だったから、モンゴル出身力士は3割弱を占めている。いつのまにか、”巨大なモンゴル帝国”が角界に出現していた」(2月3日付産経新聞朝刊)

 「体の大きさは日本人力士とさほど変わらないように見えるが、このところの大相撲はモンゴル出身力士ばかりが目立っている。強さの秘密はどこにあるのだろうか。騎馬遊牧民族の歴史や文化に触れれば、秘密が分かるかもしれない」(同)とあったので、「チンギス・ハーンとモンゴルの至宝展」(江戸東京博物館)に出掛けた。

 モンゴル帝国は、チンギス・ハーンが1206年に建国した騎馬遊牧国家。13世紀後半、子孫のフビライ(元の初代皇帝)の時代になると、中国全土だけでなく、南はベトナム、北はモスクワ、西は地中海まで世界最大の領土を支配した。日本にも1274年(文永11)と81年(弘安4)に襲来したが、大風(神風)のおかげもあって征服を免れた。

 帝国の版図は変化しているほか、モンゴル自体も現在のモンゴル人民共和国と中国・内モンゴル自治区に分かれたため、ちょっと分かりにくい。同展に出品されているのは中国・内モンゴル博物院の所蔵品。フビライの建国した元は大都(今の北京)に都を置いたから、モンゴル=中国で、明確に区分する必要はないのかもしれない。相撲界のモンゴルは間違いなく、今のモンゴルで、中国・内モンゴルではない。

 展覧会で目を引いたのは2分の1のスケールで復元された投石機と4分の1のサイズで復元された宮帳戦車(こうちょうせんしゃ)。「チンギス・ハーンが考案したとされ、大きな車輪の台車にモンゴルの住居である包(パオ)を載せ、20頭ほどの牛に引かせて移動。包は敵の矢を防ぐ鉄板で覆い、包の上から兵士が敵に向って一斉に矢を放った。まさに動く要塞だ」(産経紙)。

 日本の相撲界に対する海外勢の進出は著しい。高見山が初土俵を踏んだのは昭和39年(1964)3月。恵まれた体格とパワーを主体とした相撲で横綱・曙、大関・小錦、関脇・高見山を生むなどハワイ勢全盛期が平成初期まで続いた。モンゴル人力士の初入門は平成4年(1992)初土俵の旭鷲山ら6人。強さの秘密はモンゴル相撲で鍛えた多彩な技と足腰の強さにあるといわれる。

 いくら天賦の才能があろうと、何事も頂点を極めるのは至難の業だ。どんな天才だって、すさまじいまでの努力の持続がなければ、その地位を維持するのは難しい。あっという間に失速するだろう。モンゴル勢の強さに感心していないで、どうすれば強くなれるかを研究し、不断の努力を続けるしかないのだろう。上り詰めることよりも、むしろ、それを維持するほうがもっと難しいのは誰もが認める真理である。

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