「五味康祐の世界」展

 稲垣兄弟展を観たあと、同じ練馬区立の石神井公園ふるさと文化館(石神井5-12-16)で「五味康祐の世界-作家の遺品が語るもの-展」をはしごした。剣豪小説で一世を風靡(ふうび)した作家は亡くなるまで長く石神井に居住した。1921-1980年。今回の回顧展は没後30年と銘打っている。

 五味康祐と言えば、『柳生武芸帳』を筆頭に、剣豪小説の第一人者として時代小説のハシリとも呼ぶべき人物だが、本業以外に、クラシック音楽やオーディオ評論のほか、マージャン、占いなどにも秀でた異能の持ち主だった。むしろ小説以外の部分での活躍も目立ったので、作家としての正統性に対する評価で損をしているような気がする。

 『柳生武芸帳』も原作よりも映画で知っているぐらいだ。五味康祐は昭和28年(1953)に『喪神』で芥川賞を受賞したが、松本清張との同時受賞だったことも回顧展で初めて知った。五味と言えば剣豪小説だが、彼がそれを書きたいと思ってそのジャンルに取り組んだのではないことも初耳だった。

 たまたま展示を見ていたら、五味康祐氏と親交のあった元編集者による展示解説が始まった。光文社の元編集者・桜井秀勲氏(さくらい・ひでのり、79歳)で、あとで知ったが、まだ現役の作家・編集者。同氏によれば、第二次大戦に負けた日本はマッカーサー米軍司令官からチャンバラ小説の発表を禁止されていた。

 しかし、昭和26年にそれが解除され、五味康祐は編集者の勧めもあって、剣豪小説を書くようになったのだという。それが同30年(1955)に発表された『秘剣』だという。編集者の存在は今以上に大きかったらしい。

 

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