銀座の柳

 秋も深まるにつれて紅葉した木々の葉も落ち始め、銀座の通りも寒々とした風景に変わりつつある。そんな中で柳だけはいつもと変わらぬ風狂とした佇まいで、実に自然体だ。もう少し骨があったほうがいいようにも思うが、そこは柳の柳たるゆえんだ。

 銀座は1丁目から9丁目まであって南北東西四方は結構広い。幾つもの通りがあるものの、そんなに目立った街路樹にはお目に掛からない。ほとんど目に付かないといったほうが正確かもしれない。意識的なのかどうか知らないが、意外と自然の乏しい街のような気がする。

 「パリのマロニエ、銀座の柳」と歌で歌われている割には柳もそんなに植わっていない。それなのに、職場に近い銀中通りにはなぜか、柳が多いのだ。昨日の夕方は”散髪”していたのを見掛けた。どうりで今朝はさっぱりしていた。空気は冷え込んだが、柳も気持ち良さそうだった。

 東京都中央区観光協会のホームページによると、銀座通りの並木に柳が植え始められたのは明治10年頃。松や桜に比べ生命力があるというのが理由らしいが、しかし、大正10年(1921)、京橋・新橋間の車道拡張のため撤去された。その直後の大正12年(1923)には関東大震災で銀座そのものが焼失。

 昭和に入った4年に、「昔恋しい銀座の柳」と歌った「東京行進曲」が一世を風靡し、朝日新聞社が300本の柳を贈呈。数寄屋橋や銀座大通りに植えられた。しかし、この柳も昭和20年(1945)の東京大空襲で焼かれ、姿を消した。

 戦後復興とともに街路樹も徐々に整備され、昭和30年時点では銀座の街路樹は1234本、うち柳は343本まで復活した。しかし、昭和43年、道路整備のため、銀座通りの柳はすべて撤去され、三度受難のときを迎えた、という。

 撤去された柳の一部は都下日野市の旧建設省街路樹苗園に移植された。その生き残りがどうやら現在、銀座の各所に植えられているようだ。銀座の柳もなかなかの粘り腰、柳腰である。銀座4丁目交差点から新橋方向に中央通りを歩いていくと首都高速都心環状線をくぐった左隅っこのミニ公園に「銀座柳の碑」が立ち、そばに「銀座の柳二世」が植えられていた。


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