オハマ米大統領一般教書演説

 オバマ米大統領が25日夜(日本時間26日午前)、上下両院合同会議で一般教書演説(施政方針演説)を行った。大統領と議会の役割が明確に分かれている米国では、大統領が議会に足を運ぶ機会は非常に少ないが、毎年1月下旬に行われる一般教書演説は特別のようだ。

 仕事をしながら、NHKがLIVE中継したテレビ画面をちらちらみたから、きちんと聞いたわけではない。しかし、同じ国会でも日本や英国と何とこうも違うのか。ヤジが飛ばない。大統領と議会側で合意が成立していて、とにかく大統領の演説はきちんと聞くスタイルが確立しているようだ。リアルタイムで質問攻めに遭う姿も見たことがない。特別な存在として尊重されているのだろう。

 ただ、大統領の任命した閣僚はそうではなく、議会の公聴会で証言する閣僚は袋叩きに遭うこともしばしばだ。特にリーマン・ショック直後の議会はすさまじかった。日本の国会の比ではない。激しく議論をぶつけ合い、閣僚だろうと遠慮しない。閣僚の記者会見での記者団の追及も厳しい。

 オバマ大統領の演説は話が非常に具体的だ。固有名詞が次から次へと出てくる。演説も説得力がある。会話の専門家・竹内義晴氏は自身のサイトで、オバマ大統領のスピーチには、①自信を思わせる振る舞い②にこやかな笑顔③1人ひとりの聴衆と目線を合わせながら④心に響く言葉遣い―があると指摘する。

 同氏によると、アメリカのリーダーはプレゼンテーションが上手だという。言語コミュニケーションだけでなく、人を魅了する、聞かせるような顔や表情などの非言語コミュニケーションをトレーナーを付けて、きちんとトレーニングするのだという。

 このオバマ大統領も野党共和党から厳しい批判を浴びており、とりわけ議会対策では妥協に次ぐ妥協を強いられているのが実態だ。しかし、自らの政策には絶大な自信を持っており、その取り組みへのひた向きさを演説から感じられる。それが日本の政治家から全く感じられないのはなぜなのか。

 日本と同じ議会制民主主義を取っている英国。ロンドン駐在時代にしばしば議会に出掛けて2階から党首討論を傍聴した。こちらはすさまじいヤジが飛び交う、まごうかたなき言論の”戦場”だ。しかし、いくらヤジられても、それに負けないくらいの言論で対抗するのだ。

 日本では24日に通常国会が開幕し、菅直人首相が施政方針演説を行ったばかり。演説をじっくり聞きたくても、議場内にレベルの低いヤジが飛び交い、とても聞くに堪えない。演説草稿を読み上げるだけで、気持ちが伝わらない百万語には耳を傾ける気になれない。

 その日の夕刊には全文が掲載されていたが、見出しを眺めるだけで、読みたい気分にもならない。言葉よりも行動を求められているからだ。日本では政治家が言葉で国民を感動させることは絶えて久しい。もちろん行動は大切だが、国民をその気にさせる言葉がやはり欲しい。

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