試写会『李藝-最初の朝鮮通信使』

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タイトル:『李藝-最初の朝鮮通信使』(日韓共同製作ドキュメンタリー映画)
ナビゲーター・ユン・テヨン
2013年4月4日@日本記者クラブ

韓国や中国との政治的対立が表面化する中で、日本側に問題があるとすれば、やはりそれは日本側が韓国や中国の歴史についてあまりにも知らなさすぎるということかもしれない。日本の戦後教育は近現代史をきちんと教えてこなかったからだ。

高校3年は2学期で終わり、年が明けると、ほとんどの高3生が受験モードに入る。近現代史を学ぶ時間がカットされるのだ。大学や社会に出ても、それが学習されることはなく、日中関係や日韓関係については基本的な史実を知らないまま育っていく。

関係が良好なときはまだしも、問題は関係が悪化した現在のようなときだ。歴史認識はおろか、歴史の事実すらきちんと学んでいないことが明らかになってくる。国民感情としては政府の主張を受け入れるしかない。それはそうだとしても、やはり基本的な史実を学ばずして認識も何もない。

「朝鮮通信使」の存在もこの映画で初めて知った。「李氏朝鮮の国王が日本国王(日本の外交権者)に国書を手交するために派遣した使節」(世界大百科事典第2版)のことを言う。1404年(応永11)足利義満が日本国王として朝鮮と対等の外交関係を開いてから、明治維新に至るまで続いたが、頻繁な往来は豊臣秀吉の侵略戦争「文禄・慶長の役」(1592-98)までだったという。

この日韓共同製作ドキュメンタリー映画(6月Ⅰ日から東京・ヒューマントラストシネマ有楽町などで公開予定)は最初の朝鮮通信使である「李藝(りげい、韓国語読みイ・イェ)」の足跡を韓国人俳優ヨン・テヨンがたどる形をとっている。

李藝は今から600年前の室町時代に朝鮮半島から命がけの航海で43年間に40数回も来日している。室町幕府の足利将軍にも京都で謁見している。地方の小役人だったが、世宗(セジョン)大王の厚い信頼を得る外交官になった。

李藝がかくも日本に強い関心を示した理由は8歳の頃、母を倭寇(海賊、密貿易商人)に拉致される不幸な過去があり、日本訪問は母親探しの目的だったという。少年の心に芽生えた日本への憎しみはその後、友愛の情に変わっていく。歴史を乗り越えて、日本人と韓国人が共に前に進むために、どう友好を育てていけばよいかを探った映画でもある。

不思議なのは今や寂れた瀬戸内の小さな港町には、朝鮮通信使をもてなした交流の歴史が今もしっかりと大切に残されていること。壇ノ浦(山口県)、牛窓(岡山県)、室津(兵庫県)まで海路を使い、室津からは陸路、京都に向かう。

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