銘々膳

昔はこんな食卓が普通だった

昔はこんな食卓が普通だった

 

49日の忌明法要を営んだ。とにかく、これをやらないと、霊は成仏できないらしい。午前10時から始まり、およそ1時間ほど。何度も親族を呼ぶのは大変なので、初盆の棚経も同時にお願いした。普通は8月12日か13日に行うものだが、施主の都合を優先させてもらった。

自宅での法要を終えると、歩いて300mほどの山裾にあるお墓に行く。住職と親族がお墓に参って納骨を行う。家族円満塔の下の骨壺に故人の骨を収める。霊標板の彫刻とクリーニングをお願いした石材店のスタッフ(社長)の助けを借りながら20分ほどで終わった。

次はお寺。こちらも車で10分ほどのお墓と反対側の山裾にある。同じ部落内だ。今度は施餓鬼法要を執り行う。20分ほどの儀式。

そして自宅に戻ると、ようやく食事に有り付ける。食事は自宅だが、ケータリングサービスを利用した。要は仕出しだ。そこで登場したのが銘々膳だ。各人が銘々に自分の膳で食事する。今は洋風テーブルが当たり前だが、昭和もかなり長い間はちゃぶ台だった。明治維新の前はこの銘々膳だった。

個人の自宅では、それなりの人数になれば、テーブルで一緒に食事するのはとても無理だ。そこで出番が出てくるのが銘々膳。父親の法事もこれだった。食事の準備も外に頼まず身内が用意した。それが大変だった。今は仕出し屋に頼むのがほとんどだが、自宅で大人数が食事するのは少なくなっている。

準備が大変なのと、それなりのスペースが要るからだ。田舎の家の造りはこうした人寄せ用になっている。普段は使わないが、こういう時には活躍する。自宅で銘々膳で食事をいただくのは実に久しぶりだ。これが何とも風情があっていいのである。

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