試写会『中国日本わたしの国』

映画パンフレット

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監督:ちと瀬千比呂(1973年長野県生まれ、デビュー作)
出演者:山田静(1954年 大連生まれ)ほか、親族
2014年4月4日@日本記者クラブ
6月から東京・ユーロスペースほか全国順次ロードショー

いろんな人生がある。楽しく幸せな人生もあれば、辛く過酷な人生もある。人は一人では存在しない。自分では選択できない家族と運命を共にしなければならない。

山田静(やまだ・しずか)さん、59歳。東京・亀有駅でタクシードライバーをしている女性だ。戦後の1954年、中国・東北の大連で中国人の父親と日本人の母親の間に生まれた。1945年の終戦時、在満の日本人はほぼ全員日本へ引き揚げたが、通信関係の仕事をしていたお母さんのお父さんは、技術を中国人に教えるため、帰国できなかった。

1935年生まれで、新聞記者だった父親に連れられて幼少期を大連で過ごした作家で詩人の三木卓氏が一文を寄せている。それによると、帰国できなかったのは「<留用>と呼ばれたもので、満鉄関係の技術者などは、それで帰国がずいぶん遅れた」という。

静さんのお母さんは一緒に残って病院で働き、中国人のお父さんと結婚する。そして静さんが生まれる。中国は49年に共産党政権が誕生。静さんが12歳のときに文化大革命(66~77年)が始まった。

三木氏は「日本人の血の流れているこどもが、百花斉放や文化大革命の時代を生きるということは、なまやさしいことではなかった」と書いている。作品の中でも、その当たりのことが語られる。16歳のときには中学校で、「隔離審理」(身柄拘束下での取り調べ)を受けている。

静さんは中国で2度、中国人の男性と結婚し、長男、次男、長女の3人のこどもをもうけ、91年(37歳)のときに、夫、次男、長女と母の祖国・日本に来た。夫とは来日後離婚し、日本人のタクシー運転手・山田博志さんと再婚。3男を生んだが、2000年に離婚。今度は長男が来日し、家族と合流した。13年は来日22年目になる。

中国で2度、日本で1度離婚しながらも、異父兄妹4人の子どもを女手1つで育て上げた中国残留邦人2世。「時代に翻弄されながらも、家族とともに、強く明るく生きた波乱万丈の人生」を描いている。

日本のお母さんならば、さしずめ「肝っ玉母さん」のような存在だ。とにかくたくましい。大連では内装工事の会社を興し、多額の利益を得た。お金が入ってくると、そのお金を家族や親戚のためにじゃんじゃん使った。経済力があって、しかも美人。どうやら問題はそういう女に集まってくる男はどうも怠け者らしい。

「オプティミスティックでなければ、人は生きられない」(三木氏)。静さんはやがては日中を結ぶ旅行社を立ち上げる、という夢を今もなお持っている。「それこそ背負わされた運命とあくまでたたかおうという姿勢だと思う」(三木氏)。

 

あいさつするちと瀬千比呂監督

あいさつするちと瀬千比呂監督

 

ちと瀬監督は試写会の冒頭で、「これは彼女の力を伝えようとして撮った映画」だと述べた。静さんは「中国と日本。2つの国は、わたしの国。国籍は関係ない」と語る。中国は日本に悪感情を抱いている。日本も中国に親しみを感じていない。難しいものだ。

しかし、日本の同僚のタクシードライバーたちは静さんに親しみを感じていることが映像の中でも伝わってくる。彼女は日中間の架け橋になれる人物で、今ほどそういう人が必要な時期はない。

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