朝日、朝鮮人慰安婦「強制連行証言」取り消し

読者の疑問に答える形で「強制連行証言は虚偽」と判断し、記事を取り消す

「強制連行証言は虚偽」と記事を取り消す(8月5日付朝刊)

 

福井に出張していた間にジャーナリズムの世界で大変なことが起こっていた。朝日新聞が8月5日の朝刊で、朝鮮人従軍慰安婦報道(初掲載は1982年9月2日付大阪本社版朝刊)の核心部分だった男性の証言を、虚偽であったとして取り消したからだ。朝日の従軍慰安婦報道はこの証言を基に展開されていた。影響は大きい。

日本政府は、男性証言を受け、河野洋平元官房長官談話(1993年8月)で「お詫びと反省」を表明。さらには国連の委員会もそれを追認し、日本軍による従軍慰安婦「強制連行」は国際的事実として一人歩きしている。しかも、一人歩きが32年間も続いている。

問題の記事は、山口県労務報国会下関支部で動員部長をしていた吉田清治氏(2000年7月死去)が大阪市内での講演を報じたもの。「済州島で200人の若い朝鮮人女性が『狩り出した』」というものだ。朝日の検証記事によると、「執筆した大阪社会部の記者は『講演での話の内容は具体的かつ詳細で全く疑わなかった』」という。

朝日は、「吉田氏について確認できただけで16回、記事にした」(検証記事)。90年代初めは他の新聞社も集会などで証言する吉田氏を記事で取り上げていたという。

これに疑義を唱えたのが産経新聞。「92年4月30日、産経新聞は朝刊で、秦郁彦氏(はた・いくひこ)による済州島での調査結果を元に証言に疑問を投げかける記事を掲載。週刊誌も『創作』の疑いと報じ始めた」

朝日の「東京社会部の記者は産経新聞の記事の掲載直後、デスクの指示で吉田氏に会い、裏付けのための関係者の紹介やデータ提供を要請したが拒まれたという」

「97年3月31日の特集記事のための取材の際、吉田氏は東京社会部記者との面会を拒否。虚偽ではないかという報道があることを電話で問うと『体験をそのまま書いた』と答えた」

「済州島でも取材し裏付けは得られなかったが、吉田氏の証言が虚偽だという確証がなかったため、『真偽は確認できない』と表記した。その後、朝日新聞は吉田氏を取り上げていない」

「今年4~5月、済州島内で70代後半~90代の計40人に話を聞いたが、強制連行したという吉田氏の記述を裏付ける証言は得られなかった」。研究者への取材でも証言の核心部分についても矛盾がいくつも明らかになった、という。そもそも、吉田氏の素性にもすっきりしないところが多い。

朝日新聞は今回、初掲載から32年ぶりに証言を取り消す判断をしたのは英断であることには間違いない。産経新聞はもちろん、ライバルの読売新聞も鬼の首をとったようなはしゃぎぶりだが、過ちは個人も組織も犯す。

問題はそれが判明すれば、速やかに非を認めることだが、今回はあまりにも遅かった。32年もかかった。しかも、その結果、虚偽の証言が一人歩きし、日本政府どころか、米国世論や国連まで巻き込み、日本人による「国際犯罪」にまで発展させてしまったことの罪は大きい。

何か失敗を犯し、自分では「しまった」と思ったものの、なかなかそれを言い出せなくて、ずるずるそのままになってしまっていることは、誰の中にも1つや2つはあるはずだ。何気ない顔をしているものの、突き詰めて考えれば、平静ではおれなくなる。

朝日の場合も、そうだったはずだ。誰からも指摘されなかったのならともかく、天敵・産経や朝日批判で飯を食っている週刊新潮や週刊文春によるバッシング報道が強まってきたからだ。

朝日は何度も吉田清治氏にアプローチし、再取材を試みている。安倍晋三自民党総裁が2012年11月の党首討論会で、「朝日新聞の誤報による吉田清治という詐欺師のような男がつくった本がまるで事実かのように日本中に伝わって問題が大きくなった」と発言。朝日はこれを受ける形で、現地再取材を実施した。

吉田清治氏は2冊の本を書いている。『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社、1977)と『私の戦争犯罪』(三一書房、1983)だ。2冊とも「創作」であり、「小説」だったという。吉田氏もそのことを認めていたともいう。何ということか。

朝日による97年当時の取材では、吉田証言が虚偽であることを確認できなかった。それで、朝日は「真偽を確認できなかった」と書いた。記事の訂正、あるいは取り消しまで踏み込まなかった。今回、朝日は、吉田証言の虚偽と判断し、記事を取り消した。

今回の再取材をどういう形で報道するかについて、朝日は考えに考えたであろう。状況は、今回も「真偽を確認できない」ですませられないところにまできていると判断したと思われる。それにしても遅すぎた。

もっと早い段階で、記事を取り消していれば、問題がこれほど国際化することはなかったかもしれない。国連人権委員会「女性への暴力特別報告」(クマラスワミ報告、1996年1月)や米下院外交委員会121号決議(従軍慰安婦問題の対日謝罪要求決議、2007年6月)の事実認定では吉田証言が証拠となった。

現代史家で、最初に吉田証言への疑義を唱えた秦郁彦氏は、産経新聞の「正論」欄(2013年10月23日付)で、「慰安婦問題で日本を現在のような窮地に追い込んだ責任は先に例示した活動家とその支援組織、朝日などのマスコミ、そして、彼らが連携して加える圧力に屈服した河野氏という政治家にあることは明らかだ」と指摘している。

 

図表「慰安所と慰安婦」(2014年8月5日付朝日新聞朝刊)

図表「慰安所と慰安婦」(2014年8月5日付朝日新聞朝刊)

 

Q:慰安婦とは何か。

朝日は5日付朝刊の紙面「慰安婦問題を考える(上)」のQ&A記事で、「戦時中、日本軍の関与の下で作られた慰安所で、将兵の性の相手を強いられた女性」としている。「総数を示す公式記録はなく、研究者の推計しかない。秦郁彦氏は93年に6万~9万人と推計し、99年に2万人前後と修正。吉見義明・中央大教授は95年に5万~20万人と推計し、最近は5万人以上と改めた。韓国や中国ではさらに多い数字をあげている人もいる」

Q:慰安所はいつ、どんな経緯で作られたのか。

「満州事変の翌年、32年の上海事変で日本兵が中国人女性を強姦する事件が起きたため、反日感情の高まりを防ぐためとして吸収から軍人・軍属専用の慰安婦団を招いたとの記録がある。その後、性病蔓延による戦力低下や機密漏洩の防止、軍人の慰安のための理由が加わった」

朝日は今回の検証記事で、「済州島で慰安婦を強制連行したとする吉田氏の証言は虚偽だと判断し、記事を取り消した」。しかし、日本軍が戦争中に、慰安婦狩りを行って、「強制連行」したことについては、そうした事実があったとの見解を維持した。

 

 

 

 

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