日本橋人形町

 

甘酒横丁は今も健在のようだ

甘酒横丁は今も健在のようだ

 

東京で待っていたのは医者通い。神田で帰省中困っていた歯の治療をしてもらった後、今度は中央線快速・総武線で大久保に向かい、大腸肛門科に掛かっ た。潰瘍性大腸炎とは手術してすぐさまおさらばするつもりだったが、なかなか解放してもらえない。思ったようにいかないものだ。

会食の場所は日本橋人形町。ちょうど20年前にはこの町の空気を吸っていた。診察が珍しく早く終わったので、早めに着いた。せっかくなので人形町界隈を少し歩いた。

魚久人形町店、板倉屋、よし梅、玉ひでなどは今も健在だった。人形焼きの重盛永信堂総本店はどこに行ったのだろうか。店の場所が分からなくなってしまった。時代は変わる。店も変わって当然だ。

 

裏通りを歩いていたら東京商品取引所(かつては東京工業品取引所)にぶつかった

裏通りを歩いていたら東京商品取引所(東商取)にぶつかった

 

ここはかつて東京工業品取引所(東工取)と呼ばれていた。農産物を取引していた東京穀物商品取引所(東穀取)は日本橋蛎殻町にあったが、東工取に吸収され、その東工取も東商取に名前が変わった。

 

椙森神社も昔のまま

椙森神社(すぎのもりじんじゃ)も昔のまま

 

取引所の隣にある小さな神社。この字が最初は読めなかった。東工取の中になる記者クラブを「椙森クラブ」と名乗っていた。建て替え前の取引所はなかなか味わいのある建物だった。

椙森神社は何を祀っているのかよく分からない神社だった。そんなに活発に活動しているようにはとても思えない。秋のべったら市のときだけは周辺が急に賑わった。人形町七福神のひとつ、商売繁盛の恵比寿神を祀っているらしいが、どうしても祀らなければならないとは思えない。

江戸時代は「江戸三森」の一社と呼ばれ、庶民の信仰を集めていたという。他の2社は柳森(千代田区)と烏森(港区)。どうでもいいことだが、昔の縁でちょっと手を合わせた。

 

吟醸酒「獺祭」を飲む

山口食彩店「福の花人形町店」で吟醸酒「獺祭」を飲む

 

地域密着型の和風居酒屋「福の花」を展開するのは株式会社ベアーズコーポレーション(本社東京都文京区根津、中嶋唯雄社長)。山口食彩店を名乗るものの、同社の沿革を見れば、東京出店が先で、山口に店を出したのは最近。ただ中嶋社長は山口出身らしい。2015年3月時点の出展数は36店舗。

「山口食彩店」を名乗っているから、「山口」とのつながりがかなり深いと思ったが、キャリアはそれほどでもなかった。居酒屋としてのキャリアは1996年、「福の花」第1号店は2004年出店。そんなことなどどうでもよく、料理がうまく、酒がうまければいいのかもしれないが、なかには店の歴史や文化をさかなに飲む客もいる。

 

山口県下関市豊浦町の郷土料理「瓦そば」

山口県下関市豊浦町の郷土料理「瓦そば」

 

瓦そばは初めて食べた。熱した瓦の上に茶そばと具を乗せた料理。とにかく珍しさに目が行った。

 

 

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