「戦後70年を語る」村山・河野対談

 

村山富市元首相

村山富市元首相

 

河野洋平元官房長官

河野洋平元官房長官

 

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村山富市元首相と河野洋平元官房長官が日本記者クラブでそろって記者会見した。河野氏は、慰安婦問題で旧日本軍の関与を認めた「河野談話」(1993年8月4日)、村山氏は、戦後50年の節目に「植民地支配と侵略」「痛切な反省」といった文言を盛り込んだ「村山談話」(1995年8月15日)を発表した当事者。

歴代の政府はこれまで数多い談話を発表しているが、この2つの談話ほど長い生命力を持った談話は他にはない。安倍晋三首相が今夏発表予定の「戦後70周年談話」、また安倍首相が成立を目指す安全保障法制との関連で河野・村山両談話にもスポットが当たっている。

それにしても分かったようで、その実よく分からないことがあまりにも多い。そういう中で、表面的な論議や審議が進んでいく。議論も抽象的すぎて、少しもかみ合わない。いくら時間をかけても議論が深まらない。

なぜ分からないのか。もう少しわかってもいいのに、なぜこんなに分からないことが多いのか。頭が悪いからか。どうもそれだけではないように思う。きちんと教えられてこなかったからではないのか。情報がしっかり開示されてこなかったからなのではないか。

「河野談話」、「村山談話」について、これまで背景を含めてしっかり考えたことがなかった。談話の内容頭に入っているとは思えない。この日の会見で、2談話を全文載せたA4紙1枚が参考に配られた。そんなに長い内容ではない。
慰安婦関係調査結果発表に関する
河野内閣官房長官談話

平成5年(1993)8月4日

いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。
今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。

(出所:外務省ホームページ、赤字は筆者)

「1991年8月14日、金学順(キム・ハクスン)という韓国の女性が、自分は、『慰安婦』だったと名乗り出た。彼女は12月にはほかの元『慰安婦』とともに日本の責任を追及して東京地裁に訴えた。慰安婦問題はすでに韓国では大きく報じられ、日本の国会でも質疑が行われていたが、一般の関心はそれほど高くなかった。しかし、1人の生身の女性が元『慰安婦』という過去を告白して日本を訴えたことの衝撃は大きく、問題は大きく社会化する様相をみせていた」(大沼保昭著『「慰安婦」問題とは何だったのか』中公新書)

日本政府は調査に乗り出し、92年7月には宮澤喜一内閣の加藤紘一官房長官が第一次調査結果を発表(談話も発表)、93年8月には河野洋平官房長官が第二次調査結果を発表した際、河野談話を出した。

慰安婦問題は1990年代の日本社会を揺るがす大問題になったが、社会問題化する上で大きな役割を果たしたのが朝日新聞だった。朝日は1992年1月11日付一面トップで、慰安所の設置、慰安婦の募集・監督などに日本軍が関与していたことが史料的に示されたと報じた。他紙やテレビも追随した。

「朝日のスクープ記事が出た5日後に訪韓した宮沢首相は、対日非難に荒れ狂う韓国社会に身を置いて、繰り返し謝罪を表明した」(前掲書)という。宮沢内閣は、2つの官房長官談話を出したものの、「お詫びと反省の気持ちを具体化することなく退陣した」という。

ややこしいのは河野談話の内容に大きな影響を与えた朝日の記事が、吉田清治氏による済州島での慰安婦狩り証言に基づいていたことであり、しかもその証言が虚偽であり、朝日自身が記事を削除したこと。河野談話の妥当性自体に問題が生じたとも言えなくもないからだ。しっかりファクトを押さえなければ、理解を間違う。

 

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