試写会『海難1890』

 

『海難1890』パンフレットから

『海難1890』パンフレットから

 

作品名:『海難1890』(日本・トルコ合作)
企画・監督:田中光敏
キャスト:内野聖陽(診療所を営む医師・田村元貞)
ケナン・エジェ(トルコ海軍機関大尉ムスタファ/在イラントルコ大使館職員ムラト)
2015年11月6日@日本記者クラブ(12月5日から全国ロードショー)

1887 年に小松宮彰仁親王殿下・同妃殿下一行がイスタンブールを訪問したことへの答礼として、オスマン帝国はトルコ初の親善大使としてエルトゥールル号を日本に派遣した。乗組員650名以上。

・全長:76.2m
・艦幅:15.1m
・排水量:2334t
・帆走装置:3本マスト、シップ型
・蒸気機関:2シリンダ直動機関1基
・馬力:2200馬力
・ボイラ:2基
・推進装置:スクリュープロペラ1基
・速力:10ノット(時速18.52km)
・搭載燃料:石炭350t
・竣工:1865年2月

エルトゥールル号は1889年7月14日イスタンブールを出航。建造後既に25年を経た木造の老朽艦だった。航海は当初6カ月の予定だったが、スエズ運河で砂州に乗り上げたり、シンガポールでは破損した船体を修理したり、香港から長崎に向かう途中では暴風雨に見舞われ福州に待避したりした結果、約11カ月を要し、結局横浜に着いたのは約11カ月後の1890年6月7日だった。

一行は6月13日に明治天皇に謁見し、アブドゥル・ハミッド2世の親書を奉呈した。帰国の途に就いたのは9月15日。台風が日本に接近していたが、関東で流行していたコレラによって乗組員10人超が死亡する事態に陥り、2カ月以上も日本に足止めされていたことで、台風の危険性を押し切って出航した。

そして9月16日、台風の影響下に入ったエルトゥールル号は和歌山県樫野岬沖(現串本沖)で座礁・沈没した。事故を知った村人は総出で救助・看護活動に奔走し、少ない食べ物や衣服を言葉も通じないトルコ人船員たちに惜しげもなく提供。生き残った船員は69人にとどまった。

 

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