長谷川等伯展@石川県七尾美術館

 

目指したのは七尾美術館だった

目指したのは七尾美術館だった

 

能登半島に足を踏み入れたのは石川県七尾美術館(七尾市小丸山台)で開催中の「長谷川等伯展」(~等伯と一門の精鋭たち~)を見るためだった。七尾は長谷川等伯(1539~1610)の生誕の地とされている。

同館は毎年、長谷川等伯シリーズと銘打って特別展を開いており、21回目となる今年は、「等伯60歳以降」および「長谷川派の絵師たち」に焦点を当てた。桃山時代は狩野派を筆頭に、それぞれ多くの弟子たちを擁し、集団で制作活動を行っていたという。

等伯も長谷川派を形成し、総帥として一門を率い大規模な寺院の障壁画制作などを手掛けた。今回の展示では等伯晩年期制作の水墨画や、能登や京都で等伯を支え、長谷川派を盛り立てた一門の絵師たちによる彩色画や水墨画、金箔画など、合わせて27点が紹介されていた。

鑑賞力はないが、等伯の生地で彼の作品を見るのは何とも言えない気分だ。

七尾市教育委員会によると、織田信長や豊臣秀吉ら、数多くの武将たちが活躍した安土桃山時代。生家は当時能登国を統治した大名・能登畠山氏の家臣といわれる奥村家で、その後七尾城下で染色や仏画を生業としていた長谷川家の養子となったという。

当初は「信春」の名で、能登周辺で仏画や肖像画などを描く。30歳代頃に京都に拠点を移し、50歳頃に「等伯」と改名、幅広い画技を身に付けて千利休や春屋宗園など当時を代表する文化人たちと交流し、「長谷川派」の総帥として京都画壇に確固たる地位を築いた。慶長15年(1610)、江戸への道中で病を得、72歳で没したといわれる。

等伯はその生涯で数多くの作品を制作、特に「日本水墨画の最高峰」と名高い「松林屏風図」(国宝、東京国立博物館蔵)や、絢爛豪華な桃山文化を象徴する絵画として知られる「祥雲禅寺障壁画」(国宝、京都市・智積院蔵)は代表作。

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