『天孫降臨』

 

『天孫降臨』(花伝社)

 

書名:『天孫降臨』(てんそんこうりん)
著者:信太謙三(しだ・けんぞう)
出版社:花伝社

時事通信社の中国担当記者、信太謙三氏が初めて取り組んだ小説だ。「入念な古代史研究に基づく、もう一つの立国史」(花伝社)でもあるが、時代は日本で稲作が始まったといわれる2300年前の縄文晩期だから、読者に読ませようと思ったら、もちろん物語性を持ったエンターテインメント(芸能)小説にせざるを得ない。

最初から説明も必要となる。「日本に天皇を中心とする強大な国家が誕生するずっと前、今から2300年以上も昔のことである。4つの大きな島はいずれも鬱蒼たる森に覆われ、そこで暮らす人々はすべて合わせても10万人に満たず、海や川で魚や貝をとり、森の中でイノシシやシカなどを追い、ドングリなどの木の実を集めて生きていた」

「当時、人口が比較的多かったのは東日本の東北や北海道などで、西日本の九州にはすべて合わせても1万人程度しかいなかったが、中国大陸や朝鮮半島から小さな木造船や丸木舟で荒波を乗り越え、九州北部や中国地方に移り住み、稲作を始める人たちもでてきていた」

「日本史の時代区分でいえば、縄文晩期の最後のころで、地球規模での寒冷化が進み、気温は現在より2度ほど低く、木の実が減少し動物の数も少なくなって食糧事情が悪化、飢えや病で死んでいく者が後を絶たず、各地で人口が減り続けていた」

「九州山地の一角、今で言えば、宮崎県高千穂町の中心部を北から南に大きく蛇行しながら流れる五ヶ瀬川の支流、神代川近くの高台にあったヒミ集落も例外ではなかった」。物語の舞台を記すためにも冒頭、こんなに説明を要する時代の話だ。

登場人物も多い。多すぎる。著者が「主な登場人物」として説明しているだけでも23人。チクシ(筑紫)統一を主導したタケとタケの大伯母で博覧強記の巫女のポポくらいは何となく分かるが、他は人物をしっかり把握しないと物語が読めない。読者にはかなりの負担だ。

物語に入っていくのも難しかった。せっかく登場人物に感情移入しながら読んでいっても、間を空けると、また最初から読み直す必要があった。面白いと思え出したのは第一部「新天地」もかなり読み進めたあとだった。途中で読み続けるのをやめた人が出てきても不思議に思わない。

しかし、我慢して読み進めていくと、何とか面白さを感じるようになる。ポポの祖父ザンフィや父ザンチの故郷は大陸の楚の中でも東寄りのウシ村。彼らの家はここで代々、自ら農業を営む旁ら、都の郢(えい)に住む王族の代わりに村人から年貢を集める役割を担っていた。

楚は北の大国である魏、韓、斉の圧迫を受け、南の呉には攻め込まれた。ザンフィたちは村を捨て、海の彼方にあるチクシ(筑紫)島を目指した。「そこは雨も多く、だれの者でもない手つかずの土地が広がっているという。行ってみようではないか」

ウシ村は長江デルタ地域にあり、水路を伝って長江に出、木造船に乗った。危険を承知で大海を突っ切るルートを選択。大海原に出ると、船山群島(舟山群島=中国浙江省の東シナ海上にある群島)の沖から700~800km先のチクシ(筑紫)を目指した。

ザンフィはたどり着いたチクシで森の民の頭目で、ケガをしたヒガキ集落の頭目サットを助けたのを縁に、目的地のマツラに居住する。ザンフィはコメで酒を造り、ヒガキとマツラの両集落はともに発展していく。日本と中国、韓国はいまでこそ勢力を争っているものの、昔は一体的な存在だった。

ポポが生まれたのはザンフィらがマツラに入植してちょうど12年目の夏だった。ザンフィは「チクシは大陸に比べ、確かに貧しいよ。でも、ここには何よりも大切な平和で安定した、人にとってやさしい生活がある。渡来人のわれわれを受け入れてくれたサットたちには感謝するしかない」と酒を飲むといつもこう言って頭を下げた。

これに対し、サットは必ず、「森の民の祖先たちは遠い昔、遙かなる天から海を歩いてこのチクシの地にやってきた」という自分たちの言い伝えを持ち出し、「皆、外からやってきた者たちだ。仲良くやっていくのは当たり前だ」と応じた。

しかし、両集落のこの平和で安定した生活はいとも簡単に崩れ去ってしまった。ポポが7歳のとき、ザンフィとサットが相次いで亡くなり、マツラ集落の酒と塩の利権をめぐって対立が生じ、他の集落を巻き込んだ争いに発展したからだ。

それに朝鮮半島西南部を支配しているカラ国の王族の1人イサムが権力闘争に敗れ、一族郎党を率いて九州に逃れ、クダ集落を開いたことで状況が一変した。イサムは半島への帰還を夢見て、先に入植していた朝鮮からの渡来人を糾合。現在の福岡市博多区の高台に開いた集落を拠点とし、稲作を展開。多数の兵士を養い、青銅の剣や鉾を大量に生産し、武力を使って森の民を含む倭人の支配地域を次々に奪っていった。その中にマツラ集落もあった。

マツラはイサムの命を受けた兵隊頭キムピ率いる約30人の兵士の軍門に下った。ポポは奴隷となり、クダ集落に連れて行かれた。死は選択の中になかった。「一度生を受けたら、どんなことがあっても生き続ける。それがあらゆる動植物に天が与えた責務であり、この時代、人間も例外ではなかった」

ポポはクダで1人の白い衣装をまとった年老いた侍女イビョンの目に止まった。頭目イサムの姉で、巫女を務めていた。集落で絶大な力を有し、神を祭るためのイビョンの斎場は大きな高床式住居の一部を仕切って設けられていた。

ポポは聞き覚えたばかりのカラ語を使ってイビョンの関心を勝ち得、「おもしろい子じゃ。賢い子じゃ。お前は・・・」と思われた。

ポポがクダ集落に来てから9年。16歳だった。身分も奴隷からイビョンの養女となり、記憶力はだれもが驚くほどだった。イサムもポポに意見を求めるようになっていた。しかし、ポポは心の中では母や弟、森に囲まれた故郷マツラ集落のことを思っていた。しかし、ポポはそれをおくびにも出さなかった。

しかし、イビョンが「大巫女」を名乗り、ポポが「巫女」となった18歳のとき、イサムが緊迫した面持ちで斎場に姿を見せ、カラ国について意見を求めた。カラはこのとき、滅亡の危機に直面していた。朝鮮半島には戦乱が続く大陸から逃れてくる華人が後を絶たず、そうした難民が自分たちの治めるシラ国を半島に設立し、カラ国などの朝鮮人の国を攻めてきた。

こうした中でイサムは調略に屈した副官にクーデタを起こされ、結局ポポは身柄を拘束され、土牢に放り込まれた。イビョンは首をはねられた。カラ国の版図を九州だけでなく、山陰地方にも伸ばす計画は着々と進んで行った。

「姉貴、姉貴・・・」

蒸し暑い夏の夜だった。土牢の丸太格子の方から押し殺したような小さな声が聞こえてきた。マツラ集落で使っていた大陸の言葉だった。ポポははっとして体を起こすと、真っ暗な中、這ってままで格子のところまでいった。

「姉貴、(弟の)ザンドゥだ。分かるか?」

脱獄。ここから先は結構、読める。一気呵成だ。

日本は今、東シナ海を巡って中国や韓国、台湾とトラブルを抱えている。2300年前の縄文時代と同じだ。そのことを著者は言いたいのかもしれない。筆者は「日本という国がいったいどういう国で、日本人がどういう民族なのか。この物語を楽しみつつ、考えてもらえばありがたい」と語っている(井上雄介のたいわんブログ)。次作以降が楽しみだ。

 

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