【東北ドライブ】藩政改革を実行した9代目米沢藩主・上杉鷹山の「成せばなる 成さねばならぬ 何事も・・・」
■上杉神社は上杉謙信を祀る神社
米沢市(よねざわし)は、山形県の置賜(おきたま)地方最大の市で人口は山形市、酒田市、鶴岡市に次いで県内第4位。上杉氏の城下町として知られる。
上杉神社は上杉謙信を祀る神社。明治9年(1876年)、米沢城本丸跡に建立。境内にある稽照殿は謙信の遺品をはじめ貴重な文化財を展示してあるそうだが、時間が遅く見ることはかなわなかった。上杉神社は市の中心部に立地し、厳かな雰囲気に包まれていた。
■置賜文化ホールと上杉博物館を合築
最初に見たのはこちら。「伝国の杜(でんこくのもり) 米沢市上杉博物館」。この建物は2001年(平成13年)9月29日、米沢市に建てられた博物館・文化施設。県立置賜文化ホールと市立米沢上杉博物館をひとまとめにしたものだ。
伝国の杜はかつての米沢藩主・上杉鷹山(うえすぎ・ようざん)が藩主の心得として残した「伝国之辞」(でんこくのじ)に由来している。藩主(政治家)に対して残した言葉で、「人々のために残し、伝え、豊かにする」という鷹山の精神を受け継いだものだ。
置賜文化ホールは音楽、演劇などさまざまな催しを行っており、また米沢市上杉博物館には上杉氏ゆかりの品物や国宝が収蔵されている。上杉博物館では特別展「米沢城-上杉氏の居城-」(9月19日~11月23日)が開催されていた。
伝国の杜は市民の憩いの場所「松が岬公園」に隣接し、構成美を追求した建築の中にも「深いひさし」や「細い列柱」など和風建築の要素が取り入れられており、周辺の景観との調和が配慮されている。
■米沢藩の改革に尽くした9代目上杉鷹山
上杉鷹山は1751年(宝暦元年)7月20日、日向国(ひゅうがのくに、宮崎県)高鍋藩主・秋月種美(たねみつ)の次男として江戸で生まれた(幼名・直松)。母・春姫は4代目米沢藩主・上杉綱憲の孫娘だった。1760年(宝暦10年)に8代目米沢藩主・上杉重定(しげさだ)の養子となり、元服の際に「治憲」(はるのり)とする。
翌年の1767年(明和4年)に家督を継いで弱冠17歳で9代目米沢藩主となった治憲は、傾いた米沢藩を救うため、「大倹約令」を発し、藩政改革の第一歩をスタートさせた。
その後、農政を改革し、教育を進め、産業を発展させていくが、最も大きな改革は「織物業」だった。置賜特産の青苧(あおそ)を原料とした縮織り(ちじみおり)に始まり、これらを基として養蚕業・絹織物へと発展していく。
鷹山という名前にしたのは52歳からで、1806年(文化3年)には56歳となった鷹山が「養蚕手引」を発行・配布している。1822年(文政5年)に72歳で死去するが、生涯を米沢藩の人々のために尽くした功績は初代・上杉謙信と並んで後世に語り継がれている。
博物館には17分で鷹山の功績を紹介する「鷹山シアター」が常設展示してあった。俳優を起用してドラマ仕立てで鷹山の改革を演じるなど工夫を凝らしている。
なせば成る
なさねば成らぬ何事も
成らぬは人の
なさぬなりけり
車を駐めた近くに「米沢牛」の大きな看板が見えた。まだ空いていたので中に入ると、牛がぎゅうぎゅう。お土産に手頃な牛タンやメンチカツなどを買った。メンチは油で揚げるだけの状態だったが、家で食べてもおしいかった。